中国の貴陽から日本に戻ってきた。貴州師範大学で、中国人学生に日本語を教えた。5年間の中国生活だった。残念ながら、中国人と会話ができるところまで至らなかった。アメリカに3年間いたが、英語もモノにならなかった。語学学校にも通ったが、だめなところを見ると頭が悪いのだろう。
このブログも、役目を終えたので今日で終了する。読み返してみると、さまざまな経験をしていたのが分かる。学生たちの親切のおかげである。感謝しながら、終わる。
今学期、白雲校舎の授業後、1時間待たなければバスがない。最初は散歩していたが、あまりにも時間が無駄なので、無線インターネットを購入し、余暇の時間をパソコンで過ごすことにした.
加入したのが4月上旬、加入料350元、USB400元。それで4月は料金が必要ないかと思えば、そうではなかった.。追加の金を200元、また200元、さらに450元と、全部で1600元(中国の1ヶ月の給料に相当)使った。5月になり、3日の段階で基本料を使い切りました、というメッセージが出た。これからの使用は料金がかかりますという。仕方がないから追加料金として300元を払った。
私は7月の試験が終わったら、日本に帰るので、辛抱して金を払ったが、あまりにも料金が高すぎる。日本で、同じように無線インターネットに入っているが、物価が高い日本でさえ、毎日つなぎっ放しでも5000円かからない。自分が馬鹿だったと思うしかない。何ともうまい商売をする中国社会であることよ。
大学で5年も同じことをやっていると、ついマンネリになってしまう。そして自分が教えていることは正しいと錯覚してしまうことがある。先日も2年生の会話の授業で間違いをした。
来られるかどうか分かりませんが、できるだけ来るようにします。
という一般動詞を可能動詞にしたり、可能動詞を一般動詞に戻したりする問題がでた。変化させる言葉は「出席する」「準備する」などの5問あった。そのとき、私はどちらも可能動詞をあてはめるのが正解だと教えたのである。当然学生は「先生、おかしいです。」と訴えるが、私は「いや、間違うはずがない」と思い込んでしまったのだ。授業後、もう一度問題を読み直し、自分の間違いに恥ずかしくなった。
こんなこともあった。「何のためにお金を貯めているんですか?」「家を買うためにお金を貯めているんです」この「お金を貯めている」の部分に、「お酒を飲みます」を活用させて、あてはめる問題である。学生は「何のためにお酒を飲みますか?」と答えたので、「それは違いますよ。正しくは『何のためにお酒を飲んでいる』んですか?」と話すと、学生は「どうしてなのか分かりません。」と言う。「何のために( )んですか?」( )にあてはまる言葉を考える問題だと言えば、学生は納得するのに、自分は日本人だから、日本語に間違いはないと思い込んでいる。まったく情けない限りである。残された日々、この慣れをなくさなければならないと思っている。
学生は貧乏とはいえそこそこの生活をしている。ここ中国はもっと貧乏な生活をしている人がたくさんいる。子どもが袋をかかえ、ごみ箱をあさっているのを見ると胸が痛くなる。ここ中国では小学生ぐらいの子どもがたくさん働いている。レストランに行くと子どもらしき小さいのが、注文を聞きに来る。出前も子どもだ。
今、夜の11時前である。さっきから、もう30分も注文主を呼ぶ子どもらしき声がする。出前だ。注文した学生は寝ているのか、いっこうに声が止まらない。呼んでも注文主が出てこないからと言って、出前の子どもが食べ物を持って帰ると主人から怒られるのは容易に予想がつく。だから、いつまでも寮の下で大きな声で注文した学生の名前を呼んでいる。学生寮は9階建てだし、部外者は寮の中には入れないから必然的に寮の下から注文主を呼ぶのだが、その声が遠く、私の寮まで聞こえてくる。9階の住人が注文したのなら、ある程度大きな声でないと伝わらない。
中国は金持ちから貧乏人、乞食まで様々な人がいるので、それぞれの人がどの階級、レベルか、容易に見当がつく。ここは日本と違うところだ。金持ちはレクサスに乗っている。車もピカピカだ。貧乏人は汚いなりをして、1年以上も風呂に入っていないのだろう、垢にまみれた汚い格好で、髪も伸び放題に伸びている。簡単に「貧富の差」とは言うけれど、実際目の当たりにすると、私は日本人でよかったと、つい思ってしまう。
中国は今、連休中である。連休といっても特にやることはない。とりあえずスーパーに行って食べ物を買う。帰りに果物屋に寄ってイチゴを買おうとするが、すでに店には置いていない。もう季節が終わったのだろう。が、その代わりにサクランボがある。そこで、イチゴを買うお金でこのさくらんぼを買う。これはこれでおいしい。日本で買うと目が飛び出るくらいの値段がするが、中国は安い。
寮に戻ると、学生から電話が入っている。今日は電話を持たずに買い物に出かけたので、早速、リダイヤルすると求是3年のBさんとRさんだ。「これからイチゴ狩りに出かけませんか」と言う。これは願ってもない話だ。渡りに船とはこのことをいうのだろう。すぐにOKの返事をして出掛ける。
現地に着くと、Yさんが待っている。「先生、イチゴ狩りはもう終わったようです。先週だったらやっていたんですが、今日はもうできません」と言う。ずいぶん恐縮している。そして「すみません」「すみません」と何度も謝ってくる。私をイチゴ狩りに誘ったのに、イチゴ狩りができないのだから、彼らにとっては当然の謝罪なのだろう。しかし、私はそんなことはみじんも思っていない。暇な私を誘ってくれて、いろいろ親切にしてくれるのだから、こちらこそ恐縮したり、お礼を言ったりしなければならない。しかも、帰りには土産だと言って、どこで買ってきたのか山盛りのイチゴを持っている。
何度も繰り返すようだが、中国の学生は親切だ。私の期待以上の親切をしてくれる。何とかお返しをと思うのだが、いまだにそれを果たせずにいる。写真を載せる。イチゴ狩りができず、近くの公園に出かけた時のものである。
三个人都是男生。都是??范大学1期生、2期生、3期生。先在?阳来的是3期生K。?在F大学的留学生,春休みになったというので里帰りの途中、大学に顔をのぞかせた。彼女を連れている。日本のF大学に留学希望の外国語2年生3人を連れて一緒に食事をする。
次にやってきたのが1期生のK君。今、やはり日本のH大学大学院に行っている。同級生のKさん、Bさんを連れ、3人でやってきた。そこで今度は是求学院の2年生を呼んで、一緒に食事をする。留学の様子は私が話をするより、本人に直接聞いた方がよく分かるし、説得力がある。私はしばしばこの方法を採用する。昔、日本の漢文で習った「友、遠方より来たるあり、また楽しからずや」という文章を思い出す。
今度の5月の連休には2期生のK君が貴陽に来るという連絡があった。早速食事をする約束をした。どうやら彼女に会いに来るらしい。卒業した学生に出会い、若い人の成長した姿を見るのが、歳をとった私の楽しみである。
市場に蕨が出ている。今はまだ3月の初めなのにと思うと、うれしくなる。私はワラビが大好きである。石ばしるたるみの上のさわらびの燃えいずる春になりにけるかも。そういえば、今頃の様子を歌った短歌である。暖かくなった喜びがよく分かる歌である。早速買って、味噌汁にする。あのぬめぬめした感じが何ともいえず、おいしい。
以前、ワラビとリといって5月の連休に近くの山に出かけたものであるが、あの頃は子どもも小さかったが私も若かった。そんなことを思い出す。そしていつの間にか干し柿がスーパーの棚から消えている。少しずつ季節が移ろっていることを感じる。
もう少ししたら枝豆の季節だ。そうなるとビールがうまい。7月に帰国するが、機会があったらもう一度中国にやってこよう。安くておいしいものがいっぱいある中国は、何と言ってもお得な国である。