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徳島の坂東という所に昔ドイツ兵の俘虜収容所がありました。第一次世界大戦で敗れたドイツ兵士5000人の内1000人がこの収容所に連れてこられ、1917年から1920年の3年間過ごしました。日本各地の収容所に送られたドイツ兵俘虜達は厳しい待遇であったにも関わらず、徳島に送られた俘虜は他のそれとは全く違っていました。坂東俘虜収容所に務める会津人の松江豊寿は陸軍上層部の意思に背いても俘虜の人権を守り肝要な待遇をさせました。 俘虜たちはパンを焼くことも新聞を印刷することも楽器を演奏することもお酒を飲むことも許されました。そして言語、習慣、文化の異なる地域住民 たちの暖かさに触れ収容所生活の中で生きる喜びを見出していきました。大ドイツ帝国が崩壊した後、自由を宣告された俘虜たちは松江豊寿や所員そして地元民の為に感謝をこめて日本で初めてベートーベンの「交響曲第九番 歓喜の歌」を演奏することに挑戦したのでした。 映画「バルトの楽園」は実話に基づいているのですが、このロケセットの入り口にあった門は当時のものと全く同じように作られています。下の写真は俘虜の部屋の一部で他にもパンを焼く小屋や風呂場などありました。 こういったオープンロケセットを見ていると当時の様子が垣間見られ少し歴史に近づいたような気持ちになりました。 [カナダ人の日本生活]カテゴリの最新記事
JULIENさんへ
ドイツ兵と地元の人々の交流は深いものだったようです。ここにいたドイツ兵で60数名の人は自由の身になった後も日本に残ったようです。それだけここの生活が彼らにとってかけがえのないものだったようです。 (Mar 22, 2006 10:19:13 PM)
全然知りませんでした。
門があっても塀がない。(江戸時代のよう) 自国の人にこんなすばらしい人達がいたことに、喜びを覚えます。言葉が通じなくとも心が通じたいい歴史記念なんですね~。しかも戦時中に。 magicelvisさんにもありがとうございました(^人^)。(Mar 23, 2006 01:12:07 AM)
ウチのおじいちゃんはシベリア捕虜でした。
生きて帰ってきた兵の一人です。 シベリアではロシア人と仲良くしてもらっていたようで、いい話もあったようです。 でも、二度と戦争はして欲しくないですね。(Mar 23, 2006 06:57:27 AM)
なるにょんさんへ
本当にこういった日本人がいたってことは誇りに思います。僕も今回はじめてこのことを知ったのですが、映画をみてまた深く知りたいと思います。 (Mar 23, 2006 06:03:04 PM)
テディア大好きさんへ
やはり収容所に務めている人によるのでしょうね、捕虜や俘虜の人達の扱われ方って。差別をせず人権を守り続けた松江さんは後世にわたってかたりつがれる人になるでしょうね。 (Mar 23, 2006 06:05:09 PM) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |
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