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スバル生まれR2が、まほろばえりあに仲間入りしたのが2006年4月22日だった。あれから1年ということになる。 この1年の間にずいぶんいろいろなことが起きた。管理人には、ずいぶんと激変がやってきたし、R2自身にも先日は母子連れから落書きされる災難があったり…。加害母子は逃走。行方知れず。 被害はおよそはがき一葉分の面積。部位がボディ鋼板ではなく、樹脂バンパーだったので、傷自体の深さはそれほどでなかったが、修理となればバンパー全部の補修となるので、費用は高額になる。形あるものはいつか崩れるというのは理解はできるのだが、精神的にはかなり…。
日本で、地方に住む人が一生に一度は必ず行ってみたいという場所がある。そんな問いをされたらどこと答えるだろうか。東北や九州地方の人に問えばランキングに必ず入るはずだろう、その場所って…。 東京タワー。日本の中心から全国に情報を飛ばす。つくられたのは、第二次大戦の敗戦の痛みから、国民の全てが未来を信じて復興に汗して、希望が見えてきた高度経済成長期。 あらゆるものが飽和して新幹線や空の便が普及して東京が陳腐になった、いまでこそ、あまり珍しくもない俗物に受け止められているが、東京こそが夢のあふれる土地だった、当時は、文明の象徴だったことを、ある程度の年代の日本人なら、わかるはずだ。田舎者が上京したら必ず行きたい、理想の権化。第二東京タワー建設が現実味をおびているが、なくなってほしくないもののはずだ。 その東京タワーを俳優に都会と田舎を結ぶ物語がある。タイトルもずばり「東京タワー」。九州の筑豊炭田がまだ生きていたころ、暮らした子供が大きくなり東京にやってきて暮らす、やがて、母親を呼ぶのだが、そのぬくもりに…、というストーリーのようだ。ようだというのは、管理人は原作をまだ読んでおらず、世間の評判でしか聞いていないからだ。 「東京タワー」は松竹の手で映画化され、この4月半ばから公開されるとか。 ロケは、細倉鉱山の鉱山町で行われた。もともとは九州が舞台だが、彼の地にはなくなり、現在も残るたたずまいが当時の山の雰囲気をよく伝えてくれるから、というのが、制作側の意図だ。ロケの折、管理人も松竹広報からリリースを受けたのだが、活動範囲を超えてしまっていたので、後ろ髪を皮下荒れる思いで、訪問を断念せざるを得なかった。 宮城、大崎に住んでいるものとして鉱山があったことは、既知だが、足がなく、時間もとれずに、訪問することはできなかった場所でもある。 その鉱山町に、入る機会がようやく巡ってきたのは、ある代償のおかげだろうか。 ![]() 初めて、足を踏み入れたときに感じたのは、まちがいなく懐かしさだった。管理人が山に住んでいたのではないが、その当時の民衆文化を、子どもとして体験することができていた自分の中にあった記憶と町に住民が置いていった残り香がシンクロしたからだろう。 一言でいえば、時間が止まった町、その三次元写真だ。 土地の人に聞くと、町は、アスファルト舗装がしてあってが、ロケにあたっては、時代考証のために舗装をはがして敢行、終了後に現状復帰させたのだとか。 ![]() 管理人は異世界から足を踏み入れた異邦人なのだが、住んだ人々の人生を感じ取ることができたような気がしている。 ![]() 全国に散ったかつての住民が、どこかの劇場で、映画「東京タワー」を見てくれ、そこに自分たちが生きた時間を見出してくれたら、あるいは、その子ども達が、親、祖父母の思いを感じてくれたら、と願わずにいられない。
かつての扶養家族VIVIOの命日である。2006年のその日。事故に遭って、である。 この世界に世帯主を送り出した存在が、その今生に別れを告げさせるためのリハーサルだったのだろう。 それまでにも、病気のケースでのリハーサルを2度ほど、させられていたものだから、そうとわかる。 リハーサルはいつも突然だ。1年の間に、知人、肉親の最期に近づかせ、覚悟を試されること数度、そして、今度はリハーサル…。念がいったものだ。2006年4月7日のリハーサルも突然のことだった。出費もそれまでの中で一番の高額につくことになった。そんなに念を押さなくても、とうについていたのだが。人によっては信仰の対象とするその存在は、とても、悪戯が好きなようだ。 あれから1年。皮肉なめぐり合わせの連鎖は続いている。蛇の生殺しのように…。 増えた縫合線は、天気や体調の不調で、存在することを思い起こさせる。 人によっては、贅沢な物言いだと言われるだろうし、自身も実際そうだと思うのだが、つながれた鎖の存在とその意味を知ってしまっているとしては、現実以外のなにものではないとしか、いいようがないのもまた事実だ。 悪戯好きがやってきたら、「今度は、リハーサルですか、それとも本番いきますか」と聞きたいと思っている。
過疎、田舎の悩み。それは、時間の流れとともに必要なものが消えていくことだ。なぜ?収益が見込めないからだ。東京、大阪などなど、大都会に住む人には決してわかるまい。 宮城を走る交通機関は東京や大阪といった大都会に比べればはるかに少ない。 くりはら田園鉄道。かつて、宮城北西部で貴重な鉱物資源を生み出した細倉鉱山からの鉱石を工業地帯に送り出すために栗原電鉄の路線として、敷かれながら、廃鉱になったのと車社会になって、山、沿線地帯ともに廃れ、民間から三セクに引き継がれながらも、生き残ることができなかったのである。 2007年3月31日を持って廃線。会社も清算して、社会から消える。 その姿を刻み込もうと、会いにいった。 管理人は、乗りたいと思っていたが、居住地からは少し離れた地域であって、長いこと果たせず、廃線間際になってようやく願いがかなったのである。 車両は、当初の電車から、コストの安いディーゼルレールバスに変わった経緯がある。 始発と終点を一往復する。平日の日中だというのに、シートは満席になった。 会社のスタッフに聞くと、管理人が乗った日は、団体2組の利用があったという。廃線間際になって、鉄道ファンや、車窓愛好者が訪れ、利用収入が増えているようだ。自分もそんなひとりではあったのだが、過疎地の日常を知るだけに、思わず、「平日がいつもこうなら、廃止せずに済んだのにな」とこぼす。スタッフは、複雑なさびしい笑顔を浮かべていた。当事者がいちばんさびしいはずなのだから。こちらもやるせない気分で、車窓からの眺めを自分に焼き付けた。 第三者はとかく「何事も前向きに」などというが、それは詭弁であって、当事者の気持ちを踏みにじる行為だ。わかっていてもどうしようもないことだってある。そんな思いを強くした旅だった。 くりでんの火はまもなく消える。たった一度乗っただけだが、せめて、生きている限りは忘れないようにしよう。
2006年4月22日に、まほろばえりあ住人になったわが扶養家族R2が、2月10日付で走行距離30000キロに達した。 1年経たずにこの数字だが、この1カ月は、すこし自重モードだったので、あまり走ってなかったのである。10ヵ月に足らないところだが、まずは、記録。
久しぶりのアクセスになるかな。
介護保険制度がこのほど改定された。政府、マスコミは「改正」という表現を使うが、改定としかいいようがない内容なので、このブログ上では、制度の法令変更を伴うものは改定と呼ぶことにする。 で、改定の要旨は、利用者の自立を促す建て前、実は国の保険支出負担を減らすために、利用者の利用審査を厳しくして、利用者負担を重くしようというものだ。 具体的には、利用サービスの受けられる範囲を制限する方向だ。すでに施行されている、その改定制度を自らも体験することになった。 管理人の親は実はリウマチを発症し、四肢の骨が変形して、重いものが持てない、包丁でものを切ることができないなど。五歳児ぐらいの力ぐらいしか出すことができないため、身障者認定を受けた身だ。介護保険適用年齢で、意識はしっかりとしているので、「要支援」認定を受け、介護ヘルパーによる家事補助サービスを利用している。改定制度では「要支援1」というランクに分類されることになった。呼び方は数字がついただけだが、実質上は、ヘルパーの来訪が一週で一回減ることになりサービスの低下につながることになった。 冬場の力仕事で欠かせない筆頭なのが暖房機器への灯油補給。ファンヒーター、ストーブを一台ずつ使っているのだが、三日は持たないので、二日ごとに必ず補給しなければならない。なのに、ヘルパー訪問が一回減るという。灯油補給できずに凍えなければいけない日が必ずある。解決策は、自費でヘルパーを要請するか、家族が補充に訪れる、凍えるのを甘んじる、補給の回数を減らす策を考える、のいずれか。ただし、家族が同居すると、母の認定ランクでは受けてきた全てのサービスが受けられなくなるという条件もつく。その中で選択しなければならない。 管理人は、補給の回数を減らす策をとった。つまり、石油ヒーターのタンク容量が大きなものを買い増しして、燃料切れしても交代使用することで、ヘルパー訪問の谷の急場をしのげるようにしたのだ。2万5千円の出費だった。ヘルパーの自費要請だと9千円かかるというので、とりあえず3週間分のヘルパー代に見合う。暖房機器が必要なのは、5ヶ月。やむをえないが、長期的視野で買い増し、23日付で、配備した。 実家の居間には、電気系含めて、ヒーター4台が鎮座する、なんとも贅沢というか、酔狂なさまが生まれた。必要な苦肉の措置だったとはいえ…。 ケアマネージャーによると、制度改定で、同じように不便になる利用者が多いとか。管理人は、スープの「冷めない距離にいること」でしか、肉親の助けをすることができないのがもどかしい。制度に詳しくない人からは「同居すればいいのに」といわれるのだが、先述のように、利用ランク的には、同居すれば、母の家事ができなくなるだけでなく、管理人の生活の収入面が崩れることにもなり、行く末は…。恐ろしい。考えたくない。 このごろ、親の介護のために仕事をやめ、収入がないままに、行き詰って凶行におよぶ、という事件報道が増えている。いずれも、犯人は、献身的で真面目な人物だった。行為自体は許せないものであるのは論を待たないが、周囲の人は、責めることができないともいっている。管理人も、身障者を世話する一人として犯人とその周囲、現場の気持ちが、いたいほどによくわかる。 他方では、役人が机上の空論を弄して生み出した公費の裏金を元手に使い込み天国を謳歌している。医療難民、介護難民を生み出しているのは、ほかならぬ国の役人なのだが、何か問題がクローズアップされるたびに、追及はされるが、当の本人たちは、「不具合がでるのはやむをえないが、時間をかけて精査し、改善できるところは改善したい」とうそぶく。時間をかける間に、どれだけの被害者が生み出されるのか。それを考えていないのは明らかだ。「カエルの面に水」の状況で、TRICKシリーズの役人を地でいっていると思うのは、たぶん管理人だけではあるまい。 犯罪を生み出しているのは、公務員であるという乱暴な論になってしまうが、現実はそうだ。なんとかならないものだろうか?四つならんだ暖房機器を見ているうちに感じたこと。思わず、論が飛躍してしまったが、こんな小さなことから、身近なことから、社会を考えてみるのも、生活を向上させる一歩になると思うのだが。
![]() 新年正月5日。きつね森王国鎮守の山の神様に初詣した。 なるほど。確かに。 お賽銭をあげて二拝二拍一拝の作法でおまいりする。 今年も御前に立つことができたことへの感謝とこれからの旅の無事を祈願する。ホントか?
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