ホーバクの思い出・8日中、シオモニと一緒に居たくなかった。かと言って行くところもなかったが。 私は健作さんがわらを束ねる仕事などに行く時についていくようになった。 なるべく外に行きたかった。 家にいること自体が苦痛であったから。 元気なフリをしてなるべく動き回っていたのだ。 さて、産婦人科に行くと、ホーバクは順調に育っていると言っていた。 お腹の子だ男の子だと分かったのはこの頃。 シオモニを見返してやりたい思いだった私はとても喜んだ。 超音波で見るだけの診察。 このとき内診でもしてくれれば、何か結果が変わったかもしれなかったのに。 私は何度か、お腹がちょくちょく張るので不安だと訴えていたのだ。 そのときの先生は 「お腹がちょくちょく張るのは普通のことですよ~」 と、取り合ってくれなかった。 健作さんにも訴えた。 こう、ちょくちょくお腹が張るのはおかしいと、病院に行かなくてはいけないと思う、と。 でも健作さんもはじめての妊娠だから、分からないことだらけ。 そして、この間の流産さわぎで入院した時入院代が結構かかったと驚いていたらしく なかなか病院に連れて行ってくれなかった。 「きっと、お腹の子供が動いていて張るんだよ」 と、言うだけだった。 でも、私は不安だった。 私は日本語と韓国語のお産の本を持っているのだが その本の中に「妊娠中のトラブル」と言うページがあって、そこを見ると 「子宮頚管無力症」と言う文字が目に飛び込んでくる様な気がするのだ。 いつも、いつも。 1998年、11月頃のことであった。 続きはコチラ |