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カテゴリ:映像・音楽
平成18年に書き残したことを急いで書くシリーズ。 11月26日、熊本の小川という町で、古謝美佐子さんのコンサートがありました。 開演は午後2時からだったのですが、実は当日午前中まで行くべきか悩んでいた。 仕事の予定もあるし、土曜日だから子供は家にいるし、全部夫に丸投げしていいものかしら…と逡巡していたのだ。 が、夫が快く送り出してくれるので、ええい甘えちゃえ!と出陣。 出陣てそんなオーバーな、と思われるかもしれませんが、 小川は、私の住む熊本市中心部からは遠い。バスでおよそ1時間かかる。 しかも直行はないから、途中で乗り継がねばならない。 都会ならばそうでもないが、地方においてのこの行程は、かなりの遠距離であることを意味する。 市内から小川に行くのにバスを使う30代後半の女はあまりいないと思われ。 当然バスの本数も少ないから、出かけるまでの心構えも出陣に臨む武将にさも似たり。そんな大げさな。 そんな道のりを経て着いた着いたよ、会場に。 ロビーにて当日券を買う。2500円。安! しかも前売りだと2000円とくらあ。 元は取れるのか、大丈夫なのか、古謝さん。 ![]() 会場はまだ新しく綺麗で、地元の人にとって愛されている建物なのだろうなと思った。 ちょっとした貼り紙などから、そんな空気が伝わってきたのだ。 最近は中心部より、ちょっと郊外にいった場所のほうが、公共施設も充実しているね。 熊本市民会館なんか老朽化で2年に一回は長期工事をしているよ。 そんな素敵なホールだったのに、客の入りは残念ながら客席の3分の1くらい。 200人いなかったのではなかろうか。 どうみても主催は町単位だもの。派手な宣伝もしてなかったしねえ。 終わってみれば、2500円でこのコンサートを見られたことは、大変幸運だった。 逆にたったこれだけの観客しかいなかったことが、非常に勿体なく悔しくもある。 舞台上には古謝さん(歌と三線)と、旦那様である佐原一哉さん(キーボードと進行役)の二人きりだった。 歌われたのは、古謝さんのソロの持ち歌他、ネーネーズ時代の歌、沖縄民謡、子守歌など多岐にわたった。 お馴染みの「童神」や「黒い雨」は何度聞いてもつい涙腺がゆるむ。 どうしてこんなにこの人の歌は、私の心を揺さぶるのだろう。 マイク無しで歌う曲も一曲あった(曲名失念)。 「マイク無しで歌います」と言った時、心は躍ったが「大丈夫かしら」と心配になる気持ちはまるで無かった。 古謝さんなら大丈夫に決まっている。 そしてやっぱりそうだった。 古謝さんという人は、語りは訥々としていて、立て板に水のような喋り方はしない。 しかし話のはしばしに朴訥で素朴な人柄がかいま見える。 彼女が喋れば観客とステージがぐっと近づく。 そこに佐原さんの茶々入れやかけあいが始まると、 軽妙な夫婦漫才が一丁できあがり。 大笑いしたり、時には沖縄の話に涙ぐんだり、 会場では大きな感情が渦を巻いていた。 アンコールでは曲目を何も決めていませんから、と会場から聞きたい曲をつのった。 それらをメドレーのように歌いつないでいた。 気心のしれた、最小のユニットだからこそこんな即興もお手の物なのだろう。 今更こんなことを言うのも青臭いが、即興はあれだね、ライブ感を生むね。 ライブは生き物だという誰かの言葉を思い出す。 綿密に計画された空間もそれはそれで感動を生むけれど、 その場で作り上げられる空気に対した時、 そのプロセスに人は高揚し、惜しみない拍手をおくる。 最後には豊年音頭というカチャーシーを歌うのがお決まりなのだが、 その時は客席から何人かステージ上に出てきて躍った。 明らかに沖縄通の人も、どうみても地元民の人も入り交じって、とても楽しそうだった。 私にはそんな度胸はなかったので、客席で手を躍らせていたのだけど、それでも充分だった。 開演の時刻14時ほぼきっかりから始まり、間に10分の休憩を挟んだとはいえ、 アンコールが終わったのはもう辺りも薄暗くなった、なんと17時だったのだ。 アンコールだけで1時間ですぜ。 いったい時給はいくらになるんだ。 歌いすぎ。働き過ぎ。そして人を感動させすぎだよ。 そしてなんとなんと、その後にもおまけがあった。 会場ロビーで即興のサイン会が始まったのだ。 私はもう、ライブの間からアルバムを買おうと心に決めていたから、迷わず買いたてホヤホヤのCDを持って列に並んだ。 列の外から「レコードば買わんとサインしてくれんとだろ?」と年輩の女性と思しき声がする。 すると古謝さんは「いいえ何でもいいですよ」というではないか。これにはたまげた。 それでコンサート告知のポスターを持って並ぶ人で列がまた長くなった。 (余ったポスター差し上げますという貼り紙と共に、まるめたポスターがロビーにあったのだった) 私の番になる。「(サインするのは)ここでいいんですか」と例の沖縄なまりの抑揚のあるイントネーションで聞かれた。 私はすっかり舞い上がって、「は、はい」と裏返った声で返事した。 返事したことで楽になり、何か声を掛けなくちゃと急いで言葉を探した。 しかしこういう時は自分でもがっかりするほど陳腐な言葉しか口をついてこない。 「とっても良かったです。また来ます。頑張ってください」ようやく言えたのはこれだけ。 その時の私と古謝さんの間は、たかだか机の幅の距離しかない。 その近さで観察すると、結構人見知りするタイプなんではなかろうかと思う。 「ありがとう」と返す言葉がなんだか恥ずかしそうに見えたからだ。 とても暖かい気持ちになって、私は会場を後にした。 近くの大型ショッピングセンターまで10分ほど歩くと、JR小川駅まで無料シャトルバスが出ていたので、ちゃっかり利用させてもらった。 帰りついたら19時過ぎていた。 でもちっとも寒くなかったのは、暖冬のせいだけではないと思う。 古謝さんに関する私の過去の日記 その1 その2 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年01月17日 01時37分22秒
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