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 alpen@ Re:JAZZベーシスト 伝法諭 さんのこと(07/29) オフィスDENの電話番号を見つけることが出…
2006/05/14
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カテゴリ:TRIP & TRAVEL
きな目的だった「奥行臼駅逓(おくゆきうすえきてい」、すっかりレポートが遅くなってしまいました。

ここ数日、伝染力の強い風邪が我が家を襲ったようで、最後に私のところへ来ました。
ぷー"咳"真っ最中の息子の友達のお土産だったようです。
"専門"用語」(!)で言わせていただくと

「テラヤバス」というところで。。。。。

風邪をひいて、ましてや咳・熱が出ている時に、よそのお宅を訪れるのは避けましょう!!(菌をばらまかれた家は被害甚大です)

お薬関係の専門家である「ブログ友」の進言で、滅多に飲まない市販の「かぜ薬」を服用。
普段余程でなければ薬を飲まないためか、真っ当に効いてくれて、どうやら無事に回復期のようです。


さて、別海「奥行臼駅逓」:北海道指定有形文化財です。
奥行臼-01

説明板があります。
奥行臼駅逓-02


別海(べつかい)はその存亡と命運を、いつもいつも、時の中央政府の都合によって方向付けられてきた、ある意味では北海道を象徴するような場所です。

古くは江戸時代、西別川の鮭の味が絶品であったために、

後には、国後など、北方を足がかりとした外国の進出を食い止める国境地帯として、

また、資源の少ない日本の鉱物資源の輸送路として、

あるいは良質な軍馬の馬産地として、

さらには「自給自足日本」の食物倉庫として。。。

その翻弄のされ具合の極端な例として、別海の住民は

明治12年の数ヶ月間「東京府民」だった

ことさえあるのです。
(東京民ではありません。東京が、「都」ではなく、東京府 だった頃の話なので、東京民ですね。)

明治維新で発生したあまたの窮民を、別海に移住させようという構想のもとの策だったようです。
中央政府、なんということを考え付くのでしょう!!
北海道の開拓史は、まさに、「植民地の歴史」といわれる所以ですね。

ちなみに、軍馬産出のうち、荷役に使われる馬は別海近辺で、速さを要求される馬は、日高が中心でした。
現在、競走馬の産地が日高に集中しているのも、うなずけます。どちらも、もともとは「軍馬」を産出していたのです。


駅逓に関しては、私の余計な説明より、この説明を読んでいただいた方が良いようです。
奥行臼駅逓説明

2枚目の写真の左横の、この場にそぐわない明るい緑色の看板、
NHKの大河大型ドラマでのロケ地になっていたのですね!
奥行臼駅逓題材のTVドラマ
「ハルとナツ」、私は観ていない番組ですが耳に覚えはあります。
ご覧になった方、いらっしゃいますか?


屋根はもちろん瓦ではなく、木造ながらもちょっと洋館めいた、北海道らしい綺麗な建物です。大正7年に建替えの時に「当時の様式そのままに」とあるのですが、そういえば、北海道の建物は、茅葺からいきなり「トタン屋根」だったのでしょうか?
いつ頃からなのでしょうね、トタン屋根。
奥行臼駅逓 斜め左から

屋根周りや玄関軒下・出窓などをもっと見たくてあおり気味に撮ってみました。
奥行臼駅逓煽り気味に

左側に回ってみましたが、足回りが余り良くないので後ろへは回りませんでした。
馬屋も確認できずで、心残り。。。
奥行臼駅逓左側面

玄関からガラス越しに覗いた内部です。玄関ガラスには管理責任者の方の電話番号が貼ってあり、電話をすると見せていただけるとのこと。
やはり、もう一度行かなくては。。。
駅逓07_内部


奥行臼駅逓近辺には「保存鉄道施設」が充実しています。

私の予定には無かったのですが、やはり地元の案内者ならではの場所、旧「村営軌道」跡
ここにも当時の車両が展示されているのですが、季節としてはこのような覆いも止む無しです。
「自走客車」という聞き慣れない車両の展示らしいので、覆いの取れている時期に行った方は、ぜひご覧下さい。
駅逓08_村営軌道
もうあたりは暮れかかって来ていて、タイトな予定は駆け足を強いられました。
空はすっかり夕焼け空
(そういえば、真冬の別海は、気候によっては四角やワイングラスの形の、変形した朝日が見られることでも有名ですね。)



すぐ近くには旧標津線の奥行臼駅が、別海の教育委員会の手によって保存されていました。
この駅は村営軌道との乗換駅としても機能していたので、保存の際には、一旦撤去された線路を再び敷設して昭和初期の原型を留めるなど、気合の入ったものになっています。
地元の方々の「誇り」が感じられます。
この奥行臼駅周辺施設は「別海町指定文化財」で、駅舎内部へ入れるらしいので、これも次回の課題です。
旧標津線_奥行駅
夏にこの駅で涼んでいると、今にも待っている「汽車」が線路へ滑り込んでくるようだとのこと、行かねば!


案内してくれてこの日のお宿も提供してくださった友の自宅へ戻る途中にある「遊歩道」になっている橋
実はこれ、標津線の旧西別川橋梁(鉄橋)が生まれ変わった歩道橋です。
旧標津線_西別川鉄橋跡
河川に架けられる橋の数には法的な規制があるため、ここは徒歩専用です。
この暗さになっていても、犬の散歩の方などが利用していて自転車の方も行きかっていました。
翌日、花咲線の「厚床(あっとこ)駅」へ送ってくださった時にもう一度立ち寄っていただけたので、次回、翌日午前中の写真を載せます。


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この奥行臼(おくゆきうす)関係の文化財は全て別海の教育委員会の管轄だと思うのですが、一度見かけた案内図が探せません。
また「加賀家文書館」、ここもぜひとも行かなければという場所です。
6月末近くには「加賀家文書」にまつわる講演会もあるはずなのですが・・・・
町役場の教育委員会へ、直接問い合わせると、詳細がわかると思われます。









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最終更新日  2006/05/14 11:02:23 PM
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