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カテゴリ:思ったこと、いろいろ
一昨日、ブロ友のコバルトさんの日記にユリカモメが紹介されていました。
ユリカモメと聞くと、鳥の姿より、新橋からお台場に向かうモノレールみたいな電車電車を思い浮かべる人も多いかもしれません。 でも、そのユリカモメ(鉄道の方の)の名前の由来は、鳥のユリカモメだそうで、どうしてその鳥の名前を付けたのかと言えば、それはユリカモメが東京都の鳥だからなんだそうです。 わたしも、ユリカモメは東京の鳥と思っていたので、コバルトさんの日記を見て、ちょっと驚きました。 でも、この鳥、別に東京に特有の鳥というわけではなくて、日本中どこでも見られるそうですね。 ただ、渡り鳥なので、季節は冬だけらしいですけど。 で、それが何故、東京都の鳥になったのか、ちょっと不思議でしょ? そこには、かの平安随一のイケメン、在五中将、在原業平さんにまつわる訳があります。 「伊勢物語」と「古今和歌集」に収められた在原業平の和歌「名にし負はばいざ言問はむ都鳥我が思ふ人はありやなしやと」ってご存じでしょ? この都鳥が今ユリカモメと呼ばれている鳥だということなのです。 この歌は、京の都を旅立って、遠く離れた隅田川のほとりに辿り着いた業平さんが、都では見たことのない鳥がいるので名を尋ねたところ、「都鳥」と言われて、「都鳥だって?そんな名前をもってるのなら聞くけど、ボクの恋しい人は都で元気にしてるかい?」と詠んだ歌なんだそうです。 恋多き男として知られる業平さん、鳥を見ても都に残してきた恋人のことを思いだしてしまったのおでしょうが、その鳥は、古今和歌集の詞書によれば、「白き鳥の、嘴と脚と赤き、川のほとりに遊びけり。」と描かれていますが、現在都鳥と呼ばれている鳥は、 こういう姿で、「ちょっと違う」感イッパイです。 こちらの ユリカモメの方が、詞書に似つかわしいということになったらしいです。 今でこそ日本全国どこにでもいるそうですが、少なくとも業平さんの頃は京都には居ない鳥だったようです。 ウィキペディアも、「現在の京都ではユリカモメは鴨川などで普通に見られるありふれた鳥であるが、鴨川に姿を見せるようになったのは、1974年のことである。それ以前は『京には見えぬ鳥』であった。」と書いています。 今の東京が、江戸と呼ばれるようになったのは、平安後期のことだそうで、平安と言っても前期に生きた業平さんの頃には、もしかしたら地名すらはっきりしない田舎だったかもしれません。 でも、隅田川という名ははっきりと記されていますから、この地が今の東京であることは間違いありません。 日本全国で見られるユリカモメが東京都の鳥になったのは、都民の投票の結果だということですが、ユリカモメが業平さんのこの歌に歌われた鳥なら、東京の鳥だと、東京都民が思い込むのも当然かもしれませんね。 ただ、Googleで検索した記事の中には、隅田川の一番下流の橋である勝鬨橋より上流の隅田川に住むユリカモメだけを都鳥と呼ぶなんて書いているものもありましたが、今、ユリカモメを都鳥と呼ぶ人はいそうにないし、さすがに「それはどうかな?」って思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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