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写真はこちら:http://ameblo.jp/paris-marseille/entry-11029884957.html 中国を旅行して避けることができないのが、お茶屋さんです上海でも、一軒、話の種も兼ねて訪問してきました。 ちょっとした老舗のお茶屋さんになると、大抵、英語か日本語を話すことができる店員を常駐させており、顧客の質問や要望に応えてくれます。買うか買わないかは別にして、色々質問を投げかけ、各種中国茶の効用について勉強し、ついでに、色々試飲させてもらうのも悪くありません。 私は、今回、ダラダラと質問攻めを展開し、最終的に、ライチ茶、新茶のウーロン茶、海草茶、ジャスミン茶(大輪版)の4点も試飲させてもらうことに成功しました!これらのいずれも買いませんでしたが・・・・(汗)。私に対応した店員は、日本人にしては稀代のケチだと、私を内心詰ったことでしょう。 私としては、6月に瀋陽や大連など中国の東北地方を旅して回り、その時に「楊貴妃も愛飲していた」美容に効くといわれるキンモクセイ茶を一瓶購入したばかりでした。帰国して、さあ、毎日飲んで絶世の美女になるぞ!と喜び勇んだのも束の間、その後に旅行したクロアチアで購入したアプリコット茶にはまってしまい、キンモクセイ茶は遠く忘れられた存在になってしまいました。 そして、今現在、妊娠で、キンモクセイ茶の匂いさえも受け付けない状態になり、今頃、ビンにはくもの巣がはっているやもしれません。今では、日本人の原点である玄米茶のみ飲めます。緑茶は大好きですが、カフェインがきついということで、当分の間お預けです。 いずれにせよ、日本茶以外は飲めない状態にある今、中国茶を購入するわけにはいきません。ウーロン茶でも、古くなるとお茶としての効用を失ってしまうといいます。 お茶の効用や価値に関してですが、今回の訪問で、プアールの価値について耳寄りな情報を得ました! プアール茶は、他のお茶と異なり、古くなればなるほど効用が増し、価値が上がるとのことでした。3-5年ものになると、中国では財産として見なされ、多くの中国人がプアール茶を長く保存しているとのことです。 我が家にも3年を越えるプアール茶があります。単なるプアール茶ではなく、黄金のケースに入っており、形、サイズともちょうど固形のコンソメスープの素のようです。勿論、色は異なり、黒ですが。そんな固形版が6つ、デリケートな紙に一つひとつ丁寧に包まれて、先に述べた黄金のケースに収まっているわけです。 以前勤務していた会社で部下のひとりが台湾へ旅行したお土産としてくれたものです。育ちの良いお嬢さんでかつ律儀な彼女は、我々庶民が自分用にと大枚を叩いて購入する物品を、お土産としてさらりとスマートに贈呈してくれるのでした。 この間の引越しで、この黄金ケースを見つめながら、せっかくもらったのに飲めずに申し訳ない・・・と嘆きつつ捨てようとしたところで、ふと別の考えが浮かんできて、いやいや、大きなものでもないんだから、一応持って帰ろうと箱の中に入れたのを思い出しました。 私は、偶然の他のなんでもない自分の英断に対して過剰に感激したことは言うまでもありません。帰ったら、プアール茶を祀る祭壇でも造るべきかと今から考えあぐねている次第です。 話が長くなりました。すみません。要点は、プアール茶は、時間が経てば経つほど価値が高まるということです。 ですので、少なくとも3-5年は寝かせて、それから、中国のしかるべき場所で売りさばいみるのがベストではないでしょうか。プアール茶御殿が建つまでになるやもしれません。 他のお茶については、新茶がベストで、半年もすると古いという烙印を押されるようになります。最も分かりやすい違いは、淹れた時の色の違いだとのこと。 またまた余談ですが、数年ほど前に、サントリーが自社特性のペットボトルウーロン茶と供に中国へ進出しましたが、当初はさっぱり売れませんでした。理由は、ウーロン茶の色に問題があったとのこと。 中国人が知る新茶のウーロン茶の色は、黄金色です。実際に、新茶のウーロン茶を試飲したのですが、その時のものも黄金色でした。 一方、サントリーのウーロン茶の色といえば、茶色です。茶色いウーロン茶は、中国人にしてみれば、古くなったもの、あえて購入する価値のないもので、全く売れなかったというわけです。 この点をサントリーが知っているのかどうかは定かではありません。この話をしてくれた店員は、この点については、全く知らないようでした。 しかし、黄金色は、淹れた時しか出ない色で、時間が経つと茶色に変色してしまいます。要は、酸化すると茶色になるということではないでしょうか。であれば、ペットボトルのなかを真空状態にでもしないと、この黄金色を達成するのは不可能なような気がします。 サントリーぐらいになれば、このような問題も高度技術により解決できるのかもしれませんが、今だに茶色であるところを見ると、もう中国進出はあきらめたのでしょうか。まあ、お茶は熱く飲むものと決めている中国人に対して、ペットボトルで保存の利く冷えたお茶を売るのは、そもそも無理なのかもしれません。 中国人は、お茶を単なる飲み物ではなく、漢方薬の一種、つまり薬の一種として飲んでいます。体内のバランスを保つ、あるいは、不調がある場合にはそれを調整する方向に持っていくことができるお茶を選んで飲みます。漢方薬として指定を受けているお茶もあるぐらいです。 中医学を補助する漢方薬は、ご存知の通り、西洋医学のように原因と結果を明確にして処方されるものではありません。中医学は全て陰と陽のバランスで理解されるもので、このバランスが崩れると体調が崩れるとするものです。漢方薬は、そのバランスを復元するために処方されるものです。即効力はないものの、長期に渡る健康増進には大いに役立つものだといえます。 さて、試飲させてもらったお茶の効用ですが、ライチ茶は、風邪の予防に効く、ウーロン茶は、プアール茶と同様に脂を体内から洗い流す効果がある、海草茶は、高血圧や高脂血漿を防いで血液のサラサラ化に効く、ジャスミン茶は、美容に良いというものでした。 ここでライチ茶を始めて飲んだのですが、ライチの実の甘酸っぱい香りがして、とても美味しく頂きました。海草茶も初めて飲んだのですが、名前の通り、海草の味がして、これは身体に良いだろうと納得しました。 最後のジャスミン茶ですが、この度は、淹れると同時に大輪の花を咲かせるバージョンを試飲させてもらい、味覚のみならず、目も楽しませてもらいました。一粒が直径3センチほどもある大粒ですが、淹れるたびに茶器の中で大輪の花を咲かせるというのも、とてもオツなものです。 お茶とは別に、ここでは、熱湯をかけると黄金色に変化する蛙を見ました。蛙といっても、本物ではなくて置物ですが。 お金を口にくわえた蛙の置物は、大小各種サイズでも売られています。中国では、蛙は「福が家に帰る」ということで重宝されています。 また、「しょんべん小僧」の像も売られていました。これは、水をかけるとオシッコが出てくる仕組みになっています。とても可愛かったので、一枚撮りました。安物カメラなので至近距離ではピントが合わず・・クリアーではありませんが、大体の感じをつかめていただけると思います。 お店のキャッシヤーの横にあった大福さんの像。儲かって笑いが止ませんわぁ!と言っているようです。福のおこぼれを頂くためにも、一枚パチリ 最後に、極めつけの置物。おそらく、中国以外ではお目にかかることはないでしょう。竜亀オブジェ。竜のように天に向かって運勢が舞い上がり、亀のように長寿であることを祈念した置物です。中国人の願いの全てが込められた置物でした。
最終更新日
2011年09月26日 13時09分02秒
写真はこちら:http://ameblo.jp/paris-marseille/entry-11028802133.html 最近、和式&中華式庭園に凝っています。ということで、中国を代表する庭園、「留園」に行って来ました。 まだ勉強不足の私には、和式と中華式の違いを厳密に見分け、理路整然と説明することは不可能です。ただ、これまでにも色々見てきたので、この点は和式の特徴とか、中華式特有の表現方法ではないか・・と感覚的には分かるようになったと自負しています。 大きな違いは、柳が入るか入らないかのような気がします。昨今の日本庭園で柳を見かけることはまずありません。もちろん、柳は日本の各所で見られるので、庭園造りのオプションのひとつとしてあるのでしょうが、中華式のように柳を大々的に活用して表現することはまずないといえるでしょう。 また、使う石の材質にも違いがあるように思われます。中国では、自然の無骨さをこれでもかと見せ付ける、ごつごつした荒削りの素材を好んで使う傾向にあるようです。身近にある石というよりも、仙人が棲むような高山の登頂まで行って命からがら入手してきた、というかんじのものです。 一方、日本では、身近にあるように見える石を好んで使うようです。万の神様を信じる神道の影響のせいか、遥か彼方の遠方まで行かずとも、神聖で立派な石は身近にもころがっている、といわんばかりです。 演出に利用する動物にも違いが見られます。中国では庭園のそこかしこに竜が舞っています。神の次に偉大な皇帝を象徴する動物が竜だったことからも、竜に対する中国人の思い入れには相当のものがあるようです。天空に気高く、力強く舞い上がる竜に対する憧れは、世界を、そして宇宙を支配したいとする中華思想の裏づけのようなきがします。 日本だと、竜も選択のひとつとしてあるのでしょうが、竜が支配的になることはまずないと思われます。竜の代わりと言ってはなんですが、よく見られるのが、蛙でしょう。「お金が帰る」「幸せが帰る」という意味も込めて、蛙を置くのが慣わしだとか。 その他は、これといって目立った違いはないような気がします。これは、あくまでも感覚的な観点からですが・・・。燈篭を設置したり、池に鯉を飼ったり、松の木の大木をモチーフにしたりと、大陸美学の影響を多大に受けてきた日本には、庭園においても中国との共通点が多く見られるのです。 このようななかで、今回、私の心を惹いたのが、「すかし模様」です。すかしを通して入り込む光をカメラで捉えてみると、驚くほど美しいのです! すかしを造ったそもそもの理由は、庭園風景に変化をもたらすためだったと言われています。同じ風景を眺めるにしても、そのまま見るのか、すかしを通してみるのかでは、見え方が異なります。この違いを楽しむためにすかしが考案されたとのこと。いやはや、お金持ちは、どこの国でもミクロの違いを捕らえて楽しむのが得意なようです。 ここ「留園」でもすかしが至る所に設置されていました。意匠を凝らした各種異なるすかしがあちこちで見られ、当時の人々の庭園の眺望にかける思いが垣間見られました。 この庭園は、現在は省の管轄となっていますが、元々は当地の大金持ちの所有でした。昔は、良家の女子は嫁に行くまで家の外に出ることは稀で、家の中で大半の時間を過ごしたといいます。そんな娘の退屈しのぎに、春の庭、夏の庭、秋の庭などそれぞれ季節の特徴を生かした造園を手がけたということです。 3代でこの庭園の所有は途絶えたといいます。家は3代とよく言われますが、この家も、3代で途絶えてしまい、庭園も同時に手放されることになったようです。 こちらの写真に収められているのが、「幸運を呼ぶ階段」と呼ばれる石の階段で、上ると運勢が上がるといわれているものです。所有者も何度となくこの階段を上がったのでしょうが、3代で運勢は尽きたようです。 庭園のなかでは、各所でびわや琴など中国古来の楽器が奏でられており、目だけではなく耳も楽しませてくれます。この留園で、庭園とは、単に目で愛でるだけではなく、五感で楽しむものなのだということを強く感じました。 こんな庭園が我が家にあればな・・・と儚い夢を描いてしまいました・・・。
最終更新日
2011年09月25日 11時16分54秒
写真はこちら:http://ameblo.jp/paris-marseille/entry-11027749247.html 蘇州は、東のヴェネチアと呼ばれるように、街の中を運河が巡っています。実際に行ってみると、東のヴェネチアというには、あまりに語弊がある・・・厳密な科学的根拠を別にしても、これは比較にならない・・・という印象を持ちました。 ヴェニスでは、ヴィザンチン芸術と西洋芸術の類稀な混淆が生み出す豪華絢爛が街の隅々まで浸透しています。地中海が世界の中心であった時代、ヴェネチアは東西貿易を独占し、世界の富が集まるだけでなく、西洋がオリエントと出会うコスモポリタンな都市として世界に名を馳せました。そのレガシーが今でも、我々を虜にするのでしょう。 蘇州には、ヴェネチアのような歴史もなければレガシーもありません。よって、我々旅行者がヴェネチアを目の当たりにして感動は、蘇州を前にしても一切感じることはありません。 ただ、水墨画の世界が好きな旅行者には必見の土地だといえます。街全体が水墨画の世界に生きていると言っても過言ではないからです。蘇州に行ってみて初めて、水墨画が中国で発達した意味が理解できました。俗世界への執着、この世で生きることに積極的なルネサンス以来の西洋においては、決して発達しえなかったものだといえます。 蘇州に来て印象に残ったことは、この街は、良い悪いの価値判断は別にして、立体感に乏しい二次元の世界だということです。人の顔や体つき、建物などにしても、あえて遠近法を用いたりして立体的に表現する必要がないのです。 専門的なことをは良く分かりませんが、この地に降り注ぐ光の強さや量にも関係しているのかなと思ったりしました。中国では南方に位地しているとされる蘇州ですが、全体的に光が柔らかくて弱いという印象を受けます。そのため、街全体にパリッとしたしまりがない感じがするのです。ボワーと浮いているように存在している街。この臨場感を表現するには、墨絵の筆致が最適だといえます。 また、鬱蒼と茂る柳がダラーンと垂れて、濁った運河の水面にぼんやりと影を落としているところなど、水墨画にはうってつけの景色だといえます。茂りたい放題に放置された柳が、これまた濁りたい放題に放置されている運河の水面に無気力に影を落とす。仙人や世捨て人を描く水墨画の背景としては、これに勝るものはありません。 ここまでのトーンによって、私が蘇州を批判的に見ていると言われても言い返す言葉がありません。しかし、これは、私が水墨画や中国アートを十分に理解していないことから来るものだと思います。 こんな私でも、一部の中国アートには興味を覚えました。唐草模様や、その透かしから入って来る光を捉えたものは、とても美しいと思います。 また、やはり、黄金をふんだんに用いた建造物には弾かれるものがあります。 寒山寺にも幾つか興味深いものがあったのでご紹介します。寒山寺を手短に説明すると、唐の時代に建立され、最も古い漢詩もここで閲覧することができます。 二人の僧によって建立されたという伝説があり、その伝説の二人が以下になります。 先程お話した、黄金の建造物ですが、演奏する魔王には参りました! 黄金でできた修行僧。黄金色に輝く修行僧には、将来のニルバナが約束されているというメッセージが託されているのでしょうか? 大雄宝殿にある釈迦如来像です。豪華ですよねぇ!寒山寺は大乗か小乗か定かではないのですが、大乗仏教の豪華さがあります。 大雄宝殿の外にある蝋燭立てです。日本のものよりも遥かに巨大です。でも、あまり綺麗ではありませんが・・・。 この楼蘭は、16-17世紀に建立されたものだとのこと。寒山寺の一部としてあります。 境内の外にでると、露天が並び各種フルーツが売られていました。こちらは、中国のへしゃけたモモです。失敗作でまともな値段では売れないからこうして露天で売っているとのことでした。潰れた形に興味をそそられ、ひとつでも購入したかったのですが、何が入っているかわからないから止めたほうがよいとアドヴァイスされ、結局買わずじまいでした。 こちらは、いまだに何かわかりません。これまで見たことがありませんが、フルーツの一種だそうです。妊娠してなかったら試してました・・。いつか、謎を解いてみたいものです。
最終更新日
2011年09月24日 11時02分14秒
写真はこちら:http://ameblo.jp/paris-marseille/entry-11026952043.html ついに上海に到着しました! 妊娠3ヶ月は不安定だから旅行などは控えるようにと言われますが、妊娠が分かる前にブッキングしたことからキャンセルするのはあまりにも惜しく、結局、十分に注意して行くことになりました。べべが生まれたら、当分の間は遠出をすることは無理なので、この機会を逃すはずはありません。 中国東方航空(China Eastern)で上海紅橋(ホンチャオ)空港へ飛びました。関西空港から約2時間強、成田からは約3時間弱の飛行時間になります。 因みに、上海には二つ空港があり、もう一つは上海浦東(プートン)空港になります。ホンチャオ空港は主として国内線とアジアを中心とする近距離国際線に対応し、プートン空港は、長距離国際線に対応しています。拡大する中国の空のニーズに対応するべく、新たにプートン空港を建設したとのことでした。 中国東方航空の変貌振りには驚きました。SQやエミレイツのレベルには届かないものの、それでも、機内サービスといい、発着時間の正確さといい、格段の進歩を遂げていました。 今から15年程前に、北京に行く為に当航空を利用したことがありましたが、その時は、太っちょの見るからに逞しげなおばさんがCAを勤めており、苦虫を潰したような顔をしてのっしのっしと機内を我が物顔で歩き回って、機内食をぼいっ、ぼいっと投げるように配るのが当たり前でした。うるさくしたら中国語で怒鳴りつけられるのがオチ、歩いているのを呼び止めようものなら売られた喧嘩は受けて立とうの勢いで「何か用か!」と凄まれる始末。全くもって、顧客サービスもへったくれもありませんでした。 それが今では、花も滴る20代のうら若き乙女が優しい微笑みと供に温かく迎え入れてくれる航空会社となりました。目が合えばニッコリ笑顔、機内食サービスの際にも優しい心配りと温かい笑顔を決して忘れることはありません。アジア女性の微笑みは、最早、タイ女性だけのものではなくなったのです。 トレードマークとなる赤の制服も、当時は共産党の赤を髣髴させ、贅肉を束ねる巾着のように見えたのが、今では、躍動する中国のエネルギーを表現する赤、スラッとした色白美人が栄える制服として定着しています。 機内食も紙でできた弁当ボックスにビーフジャーキーと炭水化物となる何かが入っていた一昔前のものとは一変して、トレイで配られ、前菜からデザートまで一式提供されます。昔は、投げるように配るのがスタンダードだったようなので弁当ボックスになっていたのかもしれません。 東方航空への絶賛はこれぐらいにして、先へ進みましょう。 上海の空港ですが、10年ほど昔に完成したばかりで、最新のアメニティが搭載されている快適でモダーンな空港です。優先席なんていうデリカシーのある設備まで整えられており、しかもデザインが日本よりおっされ! トイレなど、入ってびっくりです。ドアを開けると、ほのかな香水の香りが漂ってくるではありませんか!気のせいかと思って別のドアを開けても同じでした。いやはや、ここまで拘るかと思いましたが、さすがは共産党が全てを指導する中国、国家の威信にかけても世界で最も美しいトイレを実現するべく国家総動員をしたに違いありません。 空港から上海中心街に出るのに、電車やタクシーを使っても子一時間はかかります。成田と同じぐらいアクセスが悪いというのが難点ですが、拡大の一途にある上海市としては、市内に空港を設置するわけにもいかず、かの如く遠方に空港を設立することにしたといいます。 私は今回上海に来るのは初めてですので、昔との比較を述べることはできませんが、知り合いの話しでは、数年前と比較して様変わりしたとのことでした。しかし、昨年の上海万博までに主たる開発はほぼ完了しているので、今後において大きな変化はないだろうとのことでした。今後は、住宅の整備が進むだろうとのことでした。 開発が進み近代化するのは結構なことだとは思いますが、私のように歴史をこよなく愛する人間には、ちょっとばかり寂しい気持ちがしないでもありません。近代化がもたらす便利さにどっぷりつかっている自分のことを棚に上げて言うのもなんですけどね・・・・。 近代化は、その国特有の「国のにおい」を消し去ってしまうものでもあるからです。文化遺産などはそれなりに国で管理したり、世界遺産としての指定を受けて保護してはいるようですが、その国の文化とはこれらの偉大なる遺産に具現化されるものだけではありません。そこに住む人々の生活文化こそが、まさにその国をその国たらしめるものであり、昔ながらの路地や家並み、商店街の活気などが消えると供に消滅してしまうのです。 旅行が特別の意味を持って我々の心に残るのは、そこに住む人々の生活文化に触れるからではないかと思ったりします。同じ人間が異なる様式や美学でもって生活を営んでいるのを目の当たりにしたとき、我々は新鮮な驚きと好奇心を抱くものです。これこそ、まさに日常からの脱走であり、旅行の目的であるのではないかと思います。 上海は、幸運にも悠久とモダニティが同時に存在する大都会でした。 日光の反射で光り輝く近代ビルが立ち並ぶ地区から少し離れた場所に、古臭い二階建て建築が連なる商店街があったりします。上海の昔ながらの建築様式だとのことで、このような場所は市内の各地で散見されます。一部は政府が保護しているとのことですが、これらの多くはいずれ取り壊される運命にあるとのことでした。 以下は上海にある問屋街にあるお店の一つです。中国人は、「~世界」とか「~宇宙」とかいう名前が好きですよね。やはり中華思想が支配する国だけあって、自分や自分の店が世界や宇宙の中心であるという発想になるのでしょうか。日本人には思いも呼ばない発想です。でも、見習わなければなりません! 以下にある写真は、上海でも前衛芸術や商品を中心に販売する地域で見られる建物です。以下のような建物の1階がショップとして利用され、芸術作品から小物類各種がところ狭しと販売されています。ショップ内はほぼ全て撮影禁止でしたので、残念ながらこちらでお見せすることはできません。 一部外から密かに撮ることができましたが、あまりよく見えませんね・・(涙)。 また、元英国やフランス租借地で見られる建築には、華洋折衷となった建物も見られます。このような混淆は建築に限らず、洋服や小物類のデザインにおいても頻繁に見られるものでした。 時計台がトレードマークの元英国租借地、別名バンド地域は、華洋折衷のビルが立ち並び、夜景となるとその華やかさは上海随一となるのではないでしょうか。川を挟んで対面にある上海のランドマーク、テレビ塔と並んで、上海の夜景を代表するものです。因みに、「華麗なる一族」とかいうドラマの収録が行われた銀行もここにあります。 元フランス租借地は、今では「新天地」と呼ばれ、ヨーロッパのプロムナードを彷彿させる一角に様変わりしていました。ここには、上海ではあまりお見かけしないフランス人観光客も見られました。 日本租借地もありますが、殆どが壊されてしまって原型をわずかに残すのみとなっていました。「横浜橋」がまだ健在で、唯一当時の面影を残していると言いたいところですが、周囲が全て様変わりしているので、この橋だけで当時を偲ぶことは不可能です。他の租借地は美しく整備されているのに、日本人街だけこのような状態とは、日中関係の厳しさがこのあたりであからさまなのか・・・・と勘ぐりたくなりました。 日本のたこ焼き屋さんです。まだ行ったことがありませんが、帰る前には一度は寄って味見をしてみたいものです。20年ほど昔の途上国では、日本料理といっても「なんちゃって」ものが氾濫していました。しかし、上海ぐらいになれば、日本料理のレベルも本国相当まで到達していると信じています。 こちらは、上海ヒルズに入っているおすし屋さん!ローカル風味も取り入れ、柔軟なメニュー設定になっているようです。何しろ、カリフォルニア・ロールなどもあるわけですから、上海ロールがあってもおかしくありません。中華のおかずが上に乗った巻きも好評だとのことです。 この上海ヒルズには、日本のお店も数多く出展しており、なかにはABCクッキングまで入っているのには驚きでした。上海ネーズが夫や彼氏のハートを射止める、もしくはキープするべく楚々として料理に励んでいましたよ。 最後に、上海の各地で見られるお茶のチェーン店。中国人はコーヒーよりもお茶のほうを好むとのことで、コーヒーチェーンの代わりにお茶のチェーンが登場していました。忙しいけれども健康と美容のためにお茶を欠かすことができない上海人のニーズをスマートに満たしたお店といえます。
最終更新日
2011年09月23日 17時20分55秒
写真はこちら:http://ameblo.jp/paris-marseille/entry-11020561932.html 最近、まっているものがあります。サントリーが出している「Green Espresso」というもので、濃厚な緑茶、外国的な概念で表現するとすれば、緑茶エスプレッソです。 初めて飲んだ時は、濃くがあって飲み応えがあり、思わず、「美味しい!」という言葉が出てしまいました。緑茶をギューッと濃縮して作り出した濃厚感がたまらなく美味しいです。 暑い日に冷やして飲むと、一気に爽快感が高まります。甘ったるいジュースを飲むよりも、格段の即効性があります。 茶道でも、この冷却された緑茶をお出しするという作法を作り出しても良いのではないかと思いました。熱いお茶も結構ですが、冷えたものを夏の暑い日に頂戴するのは最高です。 茶道も、伝統と格式を重んじると同時に、時代に適応するべく変改を遂げていかなければなりません。この際、冷却バージョンのお点前を準備し頂戴する作法を新たに考案してもよいのではないかと思ったりしています。 伝統芸能が現代社会において受け継がれていくための、またとない名案ではないでしょうか! 話しは少々逸れましたが、しかし、妊娠中の私は、グリーン・エスプレッソを堪能するわけにはいきません・・・。ひと口、ふた口ぐらいは大丈夫そうですが、それ以上は控えたほうがよいようです。 緑茶は、ビタミンCの宝庫ですが、同時にカフェインもコーヒー以上に含んでいるとのことで、妊婦は控えたほうがよさそうです。 来年の5月ぐらいまで、グヒグヒと思う存分堪能することは待たなければならないようです。 フランスでも売っていると良いのですが・・・。 フランスには日本文化を愛する人々が多数いるので、この緑茶エスプレッソも受けること請け合いです。日本食ブームが続いており、しかも、日本食がフランス料理に影響をもたらしたヌーベル・キュイジィヌという、食材の素の良さを生かし、ソースもしょうゆなどをベースにしたものに人気の高まりが見られます。 このような食事にもってこいの飲み物が緑茶であり、最後のエスプレッソの代わりに、緑茶エスプレッソを飲めば、最高です。 それに、緑茶は、ビタミンCが豊富なだけでなく、抗酸化作用もあるので、アンチ・エイジングにも最適です。肌質から老化が早い白人には、またとない飲み物となるでしょう。 もしサントリー・パリがあれば、是非とも採用してください!必ずベストセラーになるマーケティングをします!
最終更新日
2011年09月17日 14時39分13秒
今日は、産婦人科へ行って、様々な検査をしてきました。べべも子宮のなかにある「栄養袋」のなかで順調に育っているとのことで、とても安心しました。 エコーを通じて、べべを見ました・・・・。まだまだ、とても小さな点ぐらいの大きさですが、心臓がドックン、ドックンと規則的に動いているのが見えました。 妊娠したにも関わらず、子供が生まれるという実感に乏しかったですが、この小さな生命を見た途端に、べべの存在がグーンと身近に感じられるようになりました。 そして、愛おしくて仕方ありませんでした・・・・。あまりの感動に涙がこぼれました。。。 診察室から出てきて、一緒についてきてくれた母に説明するときにも、思わず感極まって涙が出てしまいました。 自分で言うのもなんですが、鋼の心を持つスーパーキャリアウーマンの私が涙を流して喜ぶのを見て、嬉しいと同時に、とても驚いたようです。 フランスに帰るまでまだ少し時間がありますので、その間はここ京都の病院でお世話になることにしています。 渡仏直前だったので、もう健康保険もなく、全て自己負担になるのを覚悟で病院に行ったのですが、なんと、住民票があれば、妊娠・出産に関する医療費は全て無料になるということがわかりました。住民票を出す前でセーフでした! 住まいがある区市町村に、病院からもらった妊娠証明を届け出れば母子手帳と供に、検査や診察のためのチケットの束がもらえます。次回からそれを持って行けば、チケットのある範囲で無料診察・検査を受けることができるのです。 診察の後で早速区役所に行き、届出をしました。チケットや手帳の他にも、妊娠中に知っておくべきことについて詳細に記載する各種資料をもらうことができました。 上海に行く飛行機の中で頑張って読んで勉強します! 既にフランスに帰っている夫に、べべとの感動的な対面について早速メールしました。私と同じかそれ以上に喜ぶことでしょう。そして、一緒にいて対面できなかったことを嘆くと思います・・・。 少しづつ大きくなっていくべべの成長がとても楽しみです!
最終更新日
2011年09月16日 14時09分21秒
9月4日付け日経新聞の「世界を語る」の欄で、中国精華大学国際関係研究院長ヤン・シュエトン博士のインタビューが掲載されており、興味を引いたのでコメントする。 中国の学者が国際関係、特に、中国の世界戦略について語ることは多くなった。そんなかでこの度のインタビューが興味深かったのは、彼が中国の対外政策を、中国古来の思想に基づく同盟関係の構築にあるとしているところだった。 加速する経済成長と供に中国の軍拡は破竹の勢いで進んでおり、21世紀の今日においては、軍拡とは中国の専売特許だといっても過言ではない状態にある。リアリスト的見方が支配的な中国の対外政策において、軍拡が進むのは当然のことだといえる。 また、軍拡に伴い諸外国との同盟関係の構築に勤しむという点も理解理解できる。勢力均衡など利害が一致するのみにおいて諸外国と同盟を組むことは、リアリスト的世界観に則したものだ。 しかし、軍事力も去ることながら、中国古来の思想をバックボーンにした同盟関係の構築を語ったことには大変驚いた。老子などが説いた「徳」や「仁」などに基づいて諸外国との同盟関係を拡大深化させるというが、私にはさっぱり理解できない。 確かに中国には体系化された哲学・思想の系譜がある。しかし、そのなかの重要な一部としてある「徳」や「仁」が実際の政治に活用されたかとなると大いに疑問だ。王朝の歴史を見ても、極悪非道な支配者や為政者は枚挙に暇がないが、「徳」や「仁」などを兼ね備えて善政を行った例など五本の指に入るぐらいではないか。 また、対外政策においては、これまた中華思想一色ではないだろうか。周辺諸国と対等の関係など一度たりとも結んだことなどないはずだ。支配されるか属国化するかのどちらかだっただろう。 このような歴史と世界観を持つ国が、今世紀に入っていきなり「徳」や「仁」を基礎に据えた対外政策を実施しますといっても説得力がない。 また、ヤン博士は、中国古来の思想や哲学が重要性を増すといいながらも、政治においていかに活用していくかについては述べていない。インタビューで日経記者が聞き出せなかっただけで、彼の著書には書かれているのかもしれないが、私には、この実用化について非常に興味がある。 彼は、何を根拠にこんなにも理想主義でいられるのか?もっとも、学者だから、理想論を述べているだけなのかもしれないが、いずれにせよ、実用化をいかにするかの方法論を聞かせてもらいたいものだ。この点を聞いて初めて、彼の理論の現実性と実用性について知りえることができる。 私が懐疑的になる理由は、私は世界をリアリスト的視点から見る人間だからだ。もちろん、アイデアリストの論点を全て真っ向から否定するつもりはない。そういう部分もあるかもしれない。しかし、国際政治の基底に時代を超えて脈々と流れているのは、リアリスト的史観であると断言できる。 リアリスト的世界観においては、思想などが入る余地は全くない。極論すれば、安全保障が政府のレゾン・デートルであり、ハードパワーこそが国力の全てであるとする。 グローバル化が進むなかで経済の相互依存、文化交流こそが平和への早道だと信じられ、ソフトパワーなどという概念も国際政治のキーワードとして論じられるようになりつつある今日社会で、軍事だ、安全保障だといわれても、ピンとこないといわれるかもしれない。 特に、平和ボケした日本で、戦争だ、他国が攻めて来るなどと言っても、「頭がおかしいんじゃないの?」と一蹴されるのがオチかもしれない。道理で、9条死守などという時代錯誤どころか、国家にとって百害あって一利なしの憲法を維持することで給与が払われる国会議員がゴマンといるわけだ。 しかし、アナーキーが蔓延る国際社会において、国防もできないような国が主権国家として通用するのか? 答えは、疑いなく、通用しない、ということだろう。国連での席はかろうじて確保されているかもしれない。しかし、それだけだ。国際機関やG7や20など形式的には参加しているが、実情はお飾りだけだ。ごちゃごちゃ言わずに、自国の国益に反しても諸外国の言うとおりにしてくれるし、お金だけはいつもふんだんにばら撒いてくれる。つけ込みたいだけつけ込める国なのだ。俗な言葉でいえば、国際社会のメッシーやアッシーとして都合よく使えるってわけだ。 中国など、まさに日本のこのような国家としての特質を最大限利用し、欲しいだけ盗み取って知らぬ顔を決め込んでいる。事実関係も定かでない「日中戦争での被害」という口実の下に。中国へのODAを通じた援助額や紐無し借款の本当の金額を知れば、日本国民は中国に対して立ち上がるだろう(今の日本人を見て、あまり自信はないけど・・・)。 これも全て、軍事力がないから中国をはじめとする諸外国から侮られるのだ。そして、日本としては、軍事力がないから、対外政策のビジョンや戦略が一向に定まらないのだ。 国家安全保障という人命に関する問題が射程に入らなければ、対外政策など全て茶番劇と化すだけだ。お茶の間を騒がせるだけの日本の政治や対外政策を見れば、このことは十分に理解していただけると思う。 経済や文化などといったものは、国家交流においては副次的なものだ。身の安全が保証されてはじめてお金儲けに精を出せるのであり、文化に現を抜かすことができる。 この人間の、国家の、国際社会の本質を見据えることなく、日本は、壊れたおもちゃのように「憲法9条死守」を叫んでいるが、このようなたわごとを公言して憚らない国会議員に、国際政治の理論と、ヨーロッパを中心とした外交の歴史を勉強してもらいたいものだ。 欧州が平和を掲げるのは、それなりの経験を積み、そこから教訓を学んで現在の外交に生かしているからで、日本のように国際社会にここ50年ほど昔に入れてもらったばかりの国に欧州の真似などできるわけがない。それをわきまえることなく、いっぱしの平和憲法などと嘯いて軍事力を放棄しているのだから、諸外国からみれば笑止千万というところだろう。 日米安全保障があるというならば、まずこの条約が結ばれた歴史的文脈を再度思い出してみるべきだ。日米安保条約は冷戦の産物であり、時代遅れの遺物でしかない。反共の砦としての役割がなくなった現在において、この条約の重要性については、日米間で温度差があるはずだ。 それに、アメリカの対外史の紐を解けば、答えはおのずと明らかになるはずだ。国益に反する事態に陥れば、アメリカは即時この条約を反故にするだろう。 しかし、我々はアメリカを責めることはできない。これが、国際政治の理論であり、国際社会の現実なのだ。国防ができない日本が責められて当たり前なのだ。 アジアには、上昇気流にある国家が犇いており、自国の国益を最大化する機会を虎視眈々と狙っている。同時に、北朝鮮のようなならず者国家も抱えていることから流動的な状態が続き、しばし予断を許さない。 視点をアジアから国際社会全体に向けたとしても、状況は大して変わらない。パクス・アメリカーナの時代が終焉に向かうなかで、軍事から経済、文化に至るまで再編が進んでいる。 アメリカの国際主義が通用しなくなっことは、クリントン政権時代の旧ユーゴやソマリアなどの介入の失敗で明らかになった。経済においても、」90年代の相次ぐ通貨危機でIMFなどの国際基金の有用性に疑問が持たれるようになり、この度のリーマンショックを引き金に、戦後の国際経済を支配したブレトンウッズ体制の終焉が明らかになり、新たな枠組みの構築が求められている。文化面において、ハリウッドの支配力は弱まり、ブリウッドや日本のアニメ文化など多極化が進んでいる。 ポスト・アメリカの時代が到来していることは確かだが、それが何の時代かはまだ明確にされていない。もちろん、中国の飛躍が著しく、市場としての潜在能力も比類なきものであるため、中国が注目されていることは確かだ。 しかし、果たして、中国の時代が到来したといえるのか・・・・。この点については、学会でも定説が出ておらず、ポスト・アメリカの名称を脱し切れていない。 ただ一ついえることは、21世紀の国際社会において中国カードは重要だということだ。政権交代を来年に控え、中国の動きに世界が注目するなかで、彼の理論はどこまで現実性を持って迎えられるのか。 日本も中国の次の手をボケーッと口を開けてただ待つのではなく、中国カードを日本の国益に則するかたちで利用できるよう積極的に対中戦略を練るべきだ。そして、20世紀に何度も失った再生の機会を取り戻して更なる繁栄を実現するためにも、国家安全保障について見直し、もし平和憲法を推し進めるのであれば、それなりの対外政策における理論化と活動を進めるべきだ。 中国に対抗できる政治学のロジックを組み立て、世界戦略のための理論化をまずは始めるべきだろう。中国は既に始めている。遅れてはならない。
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2011年09月06日 18時33分16秒
写真はこちら:http://ameblo.jp/paris-marseille/entry-11008670480.html 最近、茶道の稽古を再開しました。移動が多く、仕事の忙しさも手伝って、長らくご無沙汰しておりましたが、仕事を辞めて、漸くまとまった時間が取れるようになったので再開することに決めました。 最初に茶道を始めたのは小学生の時です。その後、受験や移動が重なり中断しましたが、京都の高校に学したのを契機に再開しました。しかしながら、大学でボストンに行くことになり、高校卒業を境にストップしてしまい、それ以来移動や仕事でバタバタしていて再開する目処も立たずに現在に至りました。 茶道と華道、せめて茶道だけでも、日本女性のたしなみなのだから必ず稽古に励むようにと、母から口をすっぱくして言われていました。女性のたしなみかどうかは別にして、海外で長く生活していると、日本人として日本文化に精通していることは重要なことだと実感するようになります。 Who am I?の問いが心の中に浮かんできた時に、まず拠り所になるのが日本文化や思想・哲学になるのではないでしょうか。 日本人の女性の所作がとても美しいと、フランス人の義母や友人にもよく言われます。そんな時、私は、すかさず「茶道の心得」について話すようにしています。 茶道にまつわる一連の所作は、相互の心遣いに満ち溢れています。一つひとつの動作には意味があり、一つの無駄もない合理性に導かれています。そして、単に、茶を点てたり飲んだりするというだけではなく、もてなす者、もてなされる者双方の心得を茶道を通じて学ぶことができるのです。 服紗一つとってもたたみ方や使い方、お点前を頂戴する際の飲み方、茶碗の愛で方から始まって、ドアの開け方、畳の部屋での歩き方にまで、それぞれの所作には意味があるのです。 例えば、畳の縁は踏まないというのは、縁を踏むと、畳が破損しやすからだということだったり、茶碗を愛でる場合には茶碗を高く持ち上げることなく、両肘を畳について裏面を素早く見るというのも、高く持ち上げて茶碗を落として割ることがないようにという配慮であったりなど納得することばかりです。 義母や友人は、野点ではなくて、茶室内で点前を好みます。それは、先程述べたように、畳の部屋での日本人の所作がとても美しいからだとのこと。ドアの開け方から、歩き方、座り方、礼の仕方など、奥ゆかしい日本の美が凝縮されており、これだけで十分素晴らしいアートだと絶賛して止みません。 フランスの家にはゆくゆく茶室を設けないといけないかもしれない・・・・と鼻息が荒くなってしまいます。クリスマスや新年に恒例行事として、お茶会を設けるのも素敵なアイデアだと思ったりしています。個性溢れるお持て成しがで皆に喜んでもらえるだけでなく、自分自身が日本文化や思想について学び続ける良い機会になると思います。 そのためには、まずは稽古に専念し、禅についても勉強しなければなりません。まだ勉強を始めたばかりで、語れるほどでもないのですが、フランスに帰ってからも引き続き継続してマスターになれるよう頑張ります。 また、サザビーズやクリスティなどのオークション・センターで日本美術の専門家として仕事をするのであれば、上記のような知識は確実に役立つと思います。 昨今では、新たな投資先として現代アートも視野に入れるようになり、色々勉強しているうちに、オークションセンターで専門家として仕事をするのも素敵だな・・・なんて思ったりするようになりました。 茶というものがそもそもアジアから西洋に伝わったことから、ウエッジ・ウッドやロイヤル・ドルトン、マイセンからセーブルなどで作られた茶器も、初期のものについては、中国や日本の影響を色濃く受けていたとのことです。デザインについては、トルコや中国など特別なモチーフを使わない限り、今では殆どアジアの影響は見られません。しかし、陶器の素材や焼き方などにはまだ影響が残っているものと思います。 ということは、日本の茶道の茶碗について色々知っておくのも損はないな・・・・とまあ、ちょっと実利的な目的も兼ねて稽古に励んでいる次第です・・・。 そんななか、近くまで来たので、禅寺の賽勝時に立ち寄りました。 大きなお寺ではありませんが、この土地の人達にとても親しまれる和尚さんが住職としていらっしゃると聞きました。何でも、この久美浜の土地に魅せられ、数年前に八王子から住職としてやってこられたとのことです。 坐禅も開かれているとのことです。 昔、小学生の頃、夏休みに何度かやったことがあります。足がしびれない座り方で座れば、何時間でも瞑想に耽ることができるんですよ。 夕暮れで空が茜色に染まり、蜩の鳴き声が辺り一面に木霊すなかで心を空っぽにする数時間は、子供ながらにとても大切なことなのだと直感したのを覚えています。 入り口の所で、カラフルにお化粧されたお地蔵さんを発見して、パチリ。子供達が毎年、こうしてお化粧してあげるんですって。お化粧して色めいたお地蔵さんは初めてです。 高いお金を払って祈祷などしてもらわなくても、こうして、そこかしこに祀ってあるお地蔵さんに手を合わせるほうが、よほど意義深いのではないかと思ったりしました。願いが叶うどうこうの問題ではなくて、日々の心がけが大切だということです。 お地蔵さんに守ってもらっているという安心感と、いつも見られていることからくる謙虚な心が、ひいては幸福な生活へと繋がるのではないかと思います。
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2011年09月05日 17時31分09秒
写真はこちら:http://ameblo.jp/paris-marseille/entry-11007863103.html 今日は、台風が去り、外の空気が落ち着きを取り戻したようでした。快晴とまではいきませんが、ここ数日体調を崩しており、なおかつ台風が接近していたことから家の中に篭りがちで、新鮮な空気に飢えていたので、今日は散歩に行くことに決めました。 思い立ったら吉日で、早速カメラ片手に田舎道に繰り出し、思うままに歩を進めてみました。途中、蝶がそこかしこに突如として現れ、蝶がフォビア(恐怖症?)の私は「ぎゃー!!」と叫んで逃げまわることもありました。畑で仕事をする農家の人達は、一体全体何事かと驚いておられたことだと思います。 蝶は生まれた時から死ぬほど苦手ですが、他の虫については、私はかなりの免疫があると思います。 特に、蜩(ひぐらし)は好きです。虫として好きというのではなくて、蜩の鳴き声が日本の田舎、日本の夏の欠かせない風物詩としてあると思うからです。目を閉じて、蜩が鳴くのを聞いていると、絶筆に尽くしがたい思いが込上げてきます。自分が日本人だと実感するひと時です。 いずれにせよ、時として突発的に逃げまといながらも、しっかり十分に新鮮な空気を吸い込み、大自然との一体化を果たすことができました。酸欠だった脳みそに十分な空気を送り込むことができました。 新鮮な空気を吸って脳が活発に働くようになると、周囲にある様々なものが意味を持って私の感覚に入ってくるようになります。大自然に囲まれた田舎道を一人で歩いていると、よくあることです。五感が解放され、想像力が活発になり、やがて神秘的なことが起こるような気配を感じます。第六感が活発化するのでしょうか。大自然の懐に抱かれるとは、このようなことではないかと思ったりしました。 また、このような気持ちを助長するかのごとく、お地蔵さんがそこかしこに祀られているのです。地蔵盆がつい最近の8月23日にあったようで、お花がとお供え物なども置いてありました。子供ができますようにと、お地蔵さんに遭遇するたびに余念なく合唱しました。利害意識が強すぎますか・・・。 いずれにせよ、まんが日本昔ばなしの世界が展開されているようでした。 道なりに歩いていると、周囲の景色は野菜畑、果物畑、花畑と目まぐるしく変化し、歩く者の目を楽しませてくれます。京都北部は、季節を通じて、海と山の幸を堪能できると数少ない桃源郷だといえます。 モモや西瓜の季節は終わり、これからは、ブドウ、キューイ、梨などがたわわに実るとのことです。梨の袋掛けがすでに行われていました。 野菜だって負けてはいません。きゅうりやトマト、なすびやピーマンなども太陽を一杯に受けて育ったせいか、実がしまっているだけでなく、表面が新鮮さの輝きを放っていました。最近では、丸みを帯びたひょうたん型のカボチャが流行だとのことです。食べてみましたが、濃くがあってとても美味しかったです。 また、海の幸としては、牡蠣、ルーム貝、蟹などが特産として知られていますが、その他にも各種のお魚、ワカメや昆布、海鮮佃煮なども豊富で、この辺りの人々の食卓には必ずお魚が一品が並べられているようです。 フランス人の夫も、山と海の両方を楽しむことができるリゾート地は久美浜の他に存在しないのではないかというほど、この地を気に入っています。山だとアルプス、海だと地中海というように、リゾートの王様として君臨するフランスでさえも、山と海の両方を提供するリゾート地は存在していません。 途中、タンゴ・エクスプローラーが通ったので、一枚パチリと写しました。ほん側を鉄道が走っているなんて、滅多に経験できることではありませんよね。鉄道オタクの甥っ子が一緒にいたら、狂気して喜んだことだと思い、一緒にいないのが残念でした・・・。 高台にある小学校から見渡す景色は最高ででした。視界一面が豊かに実った稲穂で黄金色に輝いており、来る秋の収穫の豊かさを示唆していました。背後に控える久美浜湾の鈍色とのコントラストが素敵でしたよ。 稲穂のように頭を垂れよ、という格言がありますが、歩きながら、アメリカナイズが進んで謙遜の美学を忘れつつある日本人には耳が痛い格言だと思いました。成功するほど頭が高くなってしまうのが、凡人の凡人たる所以でしょうから・・・。 行きかう人達もとてもフレンドリーで、知り合いでもないのに、皆、「こんにちわ」「暑いですね」と声を掛けてくださいます。日本人、特に東京人が随分と昔に忘れてしまった心遣いが、ここ久美浜では交わされているようで、温かい気持ちで一杯になりました。 台風が去ったばかりで、まだ天候が不安定なせいか、途中で雨がパラパラ降り出してきました。放射線が含まれた雨が降るのでは・・・・と心配することもなく、「ああ雨か、ちょっとぐらい濡れていっもいいか」とゆったりとした気持ちでいられるのが嬉しかったです。 雨雲が重く垂れ込み始めると、鈍色に輝いていた久美浜湾から光が失われ、燻んだ灰色一色に覆われました。空も海も辺り一体が灰色の世界に包まれました。 裏日本と言われる日本海側のどんよりした景色が当たり一面に広がりました。太平洋側では見られないこの鬱屈した風景こそ、なぜか私には日本の原風景だと思われてなりません。 「いわさきちひろ」は、きっと久美浜の原風景を好きになるな・・・・と思いながら帰途につきました。
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2011年09月05日 17時28分57秒
ようやく参拝へ・・・ 東京のマンションを引き払ってホテル暮らしをしている間に靖国神社に参拝してきました。日本に住んでいる間に一度は行っておかなければならないと思いつつ、時間が取れず、東京滞在が残すところ数日という時になり、ようやく実現することができました。 私が靖国に行ったというと、たいがいの人は驚くか、無関心を装います。日本人はほぼ全員驚いて、「どうして?」「何の為に?」と尋ねるか、「へぇ・・」と話をそらすだけ。外国人で歴史認識に長けた人は、一瞬ではありますが眉を顰めます。 私がそもそも靖国に行こうと思い立った理由は二つありました。一つは、先の戦争で犯罪者として裁かれた軍人の他にも日本国の建国に貢献した人達が祭られていることを確認したかったこと。もう一つは、戦争犯罪者も含む戦没者がどのように祀られているのかを見てみたいということです。 参拝の感想としては、神社自体は他のそれと変わり栄えのしない、ごく普通の外観で、格別の感動を催すことはないということです。 目玉は、神社に隣接して建っている周遊館と呼ばれる展示会場です。ここを見ずして、靖国を参拝したとは言えません。 この展示会場については全く知らず、こ参拝の後で周辺をぶらぶら散歩していて見つけました。入場料が800円だったので、記念に入ってみようかなと軽い気持ちで入ったのが大吉と出たのです。 日本の歴史認識が見つかった!?!? 周遊館の中は、日本の「密かなる」歴史認識を具現化した物で溢れかえっていました。ここまで立場を明確にした認識を基に構成された展示に遭遇したことがなかったので、とても新鮮な印象を受け、日本もやるじゃん!と、わが国を見直すきっかけにもなりました。 ただ、惜しいと思うのが、全体的に右より過ぎているため、海外に対しては大々的に公開できないということです。これをそのまま中国にでも見せれば、大問題に発展すること確実です。 中国政府は中の展示についてどこまで知っているのか知りませんが、スパイを送るまでもなく一般公開している周遊館の展示内容やそこで売られている書籍についても熟知していることだと思います。国際法からみた妥当性は別として、小泉元総理の参拝にあそこまで反感を示したのもうなずけます。 もう少し客観性を持たせれば、日本の歴史認識として、日本人のみならず世界の人々とも共有する価値があるものになるのに。。。と、歴史認識が原因で周辺諸国との関係の緊密化が上手く進まない現状に苛立ちを感じていたぶん、とても残念に思いました。 国家レベルで議論を進める必要性 周遊館には、戦争犯罪者だけでなく、明治からの功労者が多く祀られており、明治維新から始まり、二次大戦にかけて、その間に生じた戦争や出来事について時系列で説明や展示がされています。また、遺品の陳列に限らず、戦争の大義と、それを実現するべく功労した軍人の働きと名誉について説明するヴィデオも上映されており、これまでに戦われた戦争に対する日本の歴史認識を明確にしています。 確かに、戦争犯罪者に限らず、他にも多くの国家功労者が祀られているわけで、その人達の慰霊を参拝して何が悪いという小泉元首相の主張にはうなずけるものがあります。 何がともあれ、我が国が、他国に占領されることなく独立を保ち、今日の繁栄を謳歌することができるようになったのも、一重にここで祀られる人々を含む祖先の功績があってのことです。だから、日本人として一度は訪れてみるべき場所だと思いますし、ここでの展示のあり方について、もっと真剣に議論するべきだと思いました。 日本の近代史を振り返ることで、現在、我が国が直面しいてる問題についての解決法が見出せるかもしれません。人間でも成長と発展のためには反省が必要であり、国家についても例外ではありません。全てを悪いと切り捨てることは、思考停止であり、変化と成長を妨げるだけです。 パクス・アメリカーナが終焉を迎えつつある現代社会においては、アメリカなど戦勝国が押し付けた理論を再検討し、21世紀において日本の再生に向けた青写真を描いていく上で欠かせません。 戦争は悪いことでした、武力行使は何がなんでも悪です、などという子供のお使いのような言動に終始するのではなく、なぜ先の戦争が起きたのか、何が実際に起こっていたのか、ここから日本は何を反省するべきか、今後の成長において何を学ぶべきかについて国家レベルで解明を進めていく必要があります。 この過程において、日本の歴史認識が生まれてくるはずです。この過程が抜け落ちているから、日本の歴史認識は確立せずに、右翼の代弁のような展示になってしまうわけです。これは、諸外国に限らず、日本国民に対する冒涜でもあると思います。 中国を含むアジアとの懸案事項 そもそも、戦争はやらないに越したことはありませんが、現在の国際法では必ずしも違法ではありません。国連憲章を見れば一目両全です。ましてや、1928年の不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)までは、戦争は、国際問題を解決する上で外交の延長線上にある合的手段だとみなされていました。 このような状況からすれば、欧米の列強がほん目と鼻の先まで押し寄せてきて、アジアを植民地化し、中国を好きなように分割しているのを目の当たりにしたとき、日本が自衛のために戦争に乗り出したことを責めることはできません。 現在のロジックから歴史を裁くことは簡単ですが、当時の状況から鑑みて、アジアの弱小国であった日本が独立国として存在し続けるために、戦争以外に他の手段があったのかどうかということです。 ただ、問題とされるのは、盧溝橋事件あたりからの関東軍の大陸における動きが実際にどのようなものであったかということではないかと思います。この点を明らかにすることで、捕虜の扱いなどを対象とする人道法における抵触があったかどうかが明確にすることができ、初めて日本の第二次大戦における「犯罪」を明らかにすることができると思います。 しかし、上記の点については、中国側の協力が得られないため、事実の解明が一向に進まないようです。 私も研究者として大学にいたことがありましたが、その間にも、中国研究者達の嘆きは、中国政府が日中合同の歴史研究に合意しないということで、これが両国の事実解明と認識の合意を妨げているということでした。 更に困ったことに、中国は、自国の内政における問題から国民の注意を逸らすために「反日」を掲げ、誇大妄想的な歴史認識に基づく教育を国民に施しているということです。そのため、この期間のことについての研究が進む気配は全くありません。 だからこそ、先の戦争の戦後処理の一環として行われた極東裁判の判決に関する正当性に疑問符が突きつけられるようになっているのです。 極東裁判の問題点:事実確認の不備 当時の国際法において、戦争犯罪を裁く法律は整備されていませんでした。罪刑法定主義にあるように、法のないところに罪は存在しないわけですから、そんななかで裁かれ、判決が出され、死刑とまでなるのは、国際法を無視した勝者の裁判と言われても仕方ありません。 そして何よりも、実際に何が起こっていたのか?ということを明確にすることなく裁判が行われたことじたい問題です。事実関係も分からずに、ただ一方的に裁くだけの裁判は、文明国のやることではなく、法の精神に反する虐待行為だと言っても過言ではありません。 現在では、戦後の中国の発展で、日本が置いていった満州国の遺産がいかに役立ったか、満州国の遺産を使い果たしてしまったからこそ、中国はトウショウヘイのしたで開国に踏み切るしかなかったのだという研究も出てきています。 上記の例のみならず、様々な資料や研究を読み進めていくと、大東亜共栄圏の構想の下に進められた日本の大陸進出は、欧米の列強が築いた搾取だけを目的とする植民地化ではなかったのではないかという思いを強くするようになりました。五族協和の精神を掲げる建国は、全てが建前だったわけではないようです。 どこまでが真実で、どこからが誤解なのかを明確にすることが日中のみならず、アジア諸国との今後の関係構築において強く求められるのであり、両国の合同研究の必要性が高まるわけです。 最後に「私達は忘れない」と題した1時間もののヴィデオを見ました。日本の先の戦争に関する歴史認識が明確にされたものでした。これは、あまりにも右過ぎて、ちょっとゲンナリしましたが、鑑賞している人達のなかには涙を流して見ている人もいました。 最も印象に残った部分が以下になります。「戦死したら皆で靖国に行こう。そこで会えるな!と励まし合っていました。それなのに、靖国に葬ってもらえないなんて、そんなの寂しすぎます」と、涙ながらに帰還兵が思いの丈を話す部分です。これを聞くと、右翼による演出は差し引いても、確かに胸にこみ上げてくるものがあります。 苦しい戦争を仲間と励ましあいながら乗り切ってお国のために尽くし、最後は仲間と一緒に靖国で祀ってもらいたいう思いを抱くのは、一人の人間として、兵士として自然なことだと思います。 そんな遺族を見ていると、果たして、大陸で中国が訴えるような戦争犯罪が起こっていたのか想像だにできません。軍の参謀の無計画と暴走によって日本が苦境に追い込まれ、そのような状況において止む得ず犯罪行為が行われた可能性は大いにあります。 現在では、上官の命令でも犯罪行為に手を染めれば犯罪者として起訴されますが、当時の法律ではそこまで定められていませんでした。また、捕虜の扱いなども含む国際法についての知識など全く授与されずに前線に送られ、戦略不在のなかで補給ラインは全て断ち切られ、食料や弾薬など何もない中で持久戦を強いられれば、まともな判断などできるはずがありません。 確かに、このような状況に追いやった当時の日本のリーダーの責任は問われる必要があり、この限りにおいては、戦争犯罪者として裁かれるべきだと思います。この点について言及しない靖国の展示には不満が残りますし、欺瞞に満ちていると指摘されても仕方ありません。 日本のためにも・・・ 外にはパル判事の銅像などが建っており、判事に対する日本の感謝がひしひしと伝わってきました。日本もパル判事のような立派なリーダーが出ることを祈っていますが、一向にその気配がないというのが悲しいところです。 いずれにせよ、もっと多くの人々が靖国を訪れ、そこで展開されている歴史認識について国家レベルで議論を進め、それがひいては日中合同研究へと結実することになればと思います。 これが、真の意味で、靖国に眠る功労者の慰霊になるのではないかと思ったりもします。
最終更新日
2011年09月03日 17時51分41秒
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