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カテゴリ:暮らし
本日のおひるごはん。 それこそ、もう何回も何十回も作ってはみたが店の味は出せない。 今年の元旦、親戚で集った際にもこのキャベツサラダを伯父がどう作っていたか話に出たらしい。 西荻窪駅近くにあった『真砂』は、母の長兄である伯父が長年やっていた店だった。 ローストビーフを売り物にした、他にもあれこれと食べられる小さな店だった。 ひいきにして下さる著名な方もいて、本に載ったりもしていた。 レシピ本も出版された。キャベツサラダもローストビーフも作り方がちゃんと載っている。 正月だったか、母が「…『真砂』、もうやめるみたいよ。」と私に云った。 「おじさん、もう手が震えちゃって包丁が持てないって。」とも云っていた。 母と伯父は干支が同じだ。一回りも違うのだ。当然といえば当然の時間の流れだろう。 まだ祖母が生きていた頃は、年に一度元旦に店を借りて東京中にいる母方の親戚が集まり飲み食いをした。我が家は転勤族だったので、その集いに出られるようになったのは父もやっと本社に戻り、私が高校生くらいになってからだった。八丁堀で母の実家が戦前米問屋をしていた頃の番頭さんという人まで来て、毎回にぎやかだった。母が2歳の時に祖父は亡くなったそうで、それから女手ひとつで頑張ってきた祖母の子・つれ合い・孫と集まり、祖母にとっては何より嬉しいひと時だったことだろう。 伯父はただ料理を作るのが好きなだけの人なような気がする。 店舗経営、とか、経理、とか、そういうものには無頓着だった。 本が出たりテレビに出たりした頃調査に来た税務署の人が、 伯父たちが本当に全くお金を持っていなかったことに驚いていた と親戚の誰かが言っていた。 伯父の息子である従兄も店で働くようになった。 「Iクンが作ったキャベツサラダは、ちょっと油がきついような気がするのよね。」と母は言った。 以前店には日本酒しか置いていなかったのに、ワインも置くようになった。凝り性のIクンの見立てだろうな、とちらと思った。でもシャトー・ディ・イケムなんて置いてもこの店でそれを開ける人はいないだろうに とも思った。大体最後にソーテルヌを飲みたくなるような料理の構成があそこのメニューでは出来上がらない。ワインを置く前、伯父がまだ自分で全てを作ることが出来て『リー・ド・ヴォーのいちじくソース煮』などを作っていた頃ならともかく、ワインを置き始めた頃はもうなんだかメニューもごちゃごちゃしていたような気がする。銘醸ワインを置くとなれば管理も大変なはずだ。ただあればよいというものではない と思う。 私の周りでも、伯父だということは全く知らずに『真砂』のファンだという人が幾人もいた。 ただ、もうここ数年はあまり良い感想は聞かなくなっていた。 当然だろうな、と思った。 けれど、やっぱり、伯父も、そして従兄も客商売としての飲食店経営ということには無頓着だったのだろう。 従姉からメールが来て、3月31日に『真砂』は閉店した と知った。道具も、食材も、ほとんどそのままで人の手に渡ったそうだ。 私のキャベツサラダ修行は ひとりまだ続く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 6, 2007 02:56:27 PM
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