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【 高橋 匠 】 みなさん、この方をご存知ですか ? 『 旅の贈りもの ☆ 0:00発 』という、とてもハートフルな 映画をつくった 『 アクロス ・ ザ ・ ユニバース 』 の エグゼクティブ ・ プロデュサーです。 なかなかかっこいい青年社長です。 今日の 【 涙が出るほど有り難い 】 辻説法は 【 高橋 匠 】 さまの話です。 その前に、私の高校の同級生の話を、少しだけさせていただけませんか ? 旅の途上 ♪ 春はあざやか 菜の花畑で 雲などながめ コップ酒 ♪ ♪ 夏は星ふる浜辺に手まくら 波を相手に旅の酒 ♪ ♪ 人恋しさに飲んだ酒が なお人恋しくさせる ♪ ♪ 年がら年中恋こがれ 人生 旅的途上 ♪ ♪ たどり着くやら着けぬやら 人生 旅的途上 ♪ いい歌です。 この歌を歌ったのは、河島英五君です。 そう、私の高校の同級生です。 彼は、お酒が大変好きだったようです。 私も大好きです。 煙草は、あの日以来、神仏に取り上げられました。 もうそろそろ五年になります。 我が師日蓮も、お酒が大好きだったようです。 詩の最後のところで、彼は、何処に、たどり着きたかったのでしょうか ? 勿論、目的地に決まっています。 その目的地が、何処であったか、何であったか、本当の所、今となっては 誰にも分かりません。 【 三十年目の旧友再会 】 私は、大阪府立花園高校の 『 花の六期生 』 です。 昭和四十六年 ( 一九七一年 ) に無事卒業しました。 同窓生は、五百人でした。 河島英五君とは、三年間、同じクラスだったのです。 三年間を通して同じクラスだったのは、私の記憶では三人です。 その内一人は女の子です。 ニックネームは 「 金ちゃん 」 と言うのです。 普通、女の子のあだ名ではありません。 彼女も最初は嫌がっていました。 最後は、諦めたようです。 でも、賢くて、綺麗で、公家の 『 姫君 』 のような子でした。 わたしは 「 よ 」 で始まりますので、大抵男子の最後です。 彼女は 「 か 」 で始まる名前でした。 女子では 「 あ行 」 の子がいなければ一番前です。 三年間の大半を、彼女は、私のすぐ後ろで過ごしました。 彼女のあだ名が、何でキンちゃんになったのかは、理由があります。 古文の授業で 「 公達 」 を誰も読めなかったのです。 先生が、読める人 ! と言った時に、彼女は、おもむろに手を挙げて 「 きんだち 」 ですと答えたのです。 とても、かっこ良かったのです。 ところが、その日から彼女のあだ名は 「 キンちゃん 」 になったのです。 一年生一学期の事でした。 誰がつけたのかですって ? 「 お 」 君と言って人の嫌がるあだ名を付ける専門の子がいたのです。 ( 大阪ではニックネームの事をあだ名と言います ) その子に、私も不名誉なあだ名を付けられました。 思い出したくもありません。 そうそう、私は三年間 「 消しゴム 」 を買った記憶がありません。 彼女は、いつも消しゴムの予備を持っていました。 何故か ? 私に貸すと帰って来ないのです。 彼女も 「 返してちょうだい 」 とは言わないのです。 私は、そんな彼女の嫌な顔を見た事がありませんでした。 そして、大阪のおばちゃんがよく言う ねえ ! ちょっと ! あんた ! 聞いて ! アホちゃうか ! アホやわ ! と言う言葉を一回も聞いた事がありません。 「 か〇〇〇 ゆ〇こ 」 さん、どうもごめんなさい ! すみませんでした。 そして、本当にありがとう。 私は、勉強が嫌いだったので、よく見せてもらいました。 何を見せてもらったのかですって ? 決まっているでしょう、テストの答案です。 テストの 『 問題用紙 』 を見せてもらってもしかたないでしょう。 彼女は、いつも自分の前にいている 『 私 』 の為に色々 学習させられ、随分賢くなって来られていました。 一回だけ答えを書いた 『 問題用紙 』 ごと取り替えてくれたのです。 私は、腹の据わった彼女の度胸に参りました。 カンニングは、見つかると全科目零点になるのです。 実際の他のクラスでなった子がいました。 全科目零点になると、落第して留年は、ほぼ確実になります。 私は、その日からテストの不正行為を 【 金輪際 】 止めにしました。 彼女は、一年生の最初のテストで五百人中 「 八番 」 でした。 私は、ケツから 「 五十番 」 でした。 そうそう ! この時、英五も 「 八番 」 でした。 それともう一人、ケツから 「 五十番 」 の子がいました。 同点の子が結構いたのです。 何で、そんな事が分かるのかですって ! それは、皆が無理に見せ合いっこをして、皆に言いふらすからです。 この、愉快な友人達と過ごした三年間は、死んでも忘れられません。 十六、十七、十八と「 甘くて 」 「 苦くて 」 「 すっぱくて 」 「 恥ずかしい 」 多感な時を過ごしました。 学園祭で、英五と一緒に歌った事もありました。 ああ、本当になつかしい ! 彼は、四十八で亡くなりました。 なくなる半年前に、六期生の卒業三十周年の全体の同窓会をしたのです。 彼にも案内を出したのですが、欠席の返事が来ていました。 どうしてだろうと不信に思っていました。 全部で百三十人ぐらいの出席があり、皆、英五と会えるのを楽しみに していたのです。 ついでに、サインをして貰うつもりの子もいたようです。 しかし、彼は来ませんでした。 来れる筈が無かったのです。 中には、口の悪いのがいて 「 ちょっと売れたからと言うて、ええかっこしやがって ! 」 と言う子もいました。 そして半年後に誰もが英五の欠席の 「 本当の理由 」 を知りました。 同窓会を計画したのは、私の同級生の 「 さ 」 君でした。 彼の言うには、五人の友達が亡くなっているとの事、私は、五人の名前を 教えてもらい書き出して、同窓会のあくる日、供養のお経を唱えました。 その中には、本当に仲良しだった子もいたのです。 平成十八年の四月の中ごろ突然、高橋 匠さんから電話をいただきました。 四月二十三日に、英五君の 「 誕生日を祝う 」 追悼のコンサート ・ 「 月の花まつり 」 が、大阪は南のアメリカ村のBIGSTEPと言う会場で あるというのです。 「 お上人 ! 一緒に行きませんか ? 」 でした。 高橋 匠社長は、私の事を 「 お上人 」 と呼んでくださるのです。 つい、私も 「 はい ! 」 と答えてしまいます。 「 アクロス ・ ザ ・ ユニバースが映像を担当する 」 ということでした。 誘われるまま、いそいそと張り切って出かけました。 いくら、英五と同級生と言っても五十を過ぎたただの「 おっさん 」です。 おまけに、頭に毛が一本もありません。 【 場違い ! とはこの事に相違ありませんでした。 でもね、本当に、楽しかったのです。 嬉しかったのです。 懐かしかったのです。 今日は、ここまでです。 拳骨和尚
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