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2011/06/22
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生きていることは神と対話していること

テレビのドラマを見ても、人間生活の実体を知ることができます。芝居を見ても、ラジオを聞いても、観光旅行をしても、生活以外のことで余暇を楽しむことは、霊魂に対してプラスになるのです。
仕事に熱中している時には、魂のことは全然分かりませんが、その中でも、電話をかけたり、手紙を書いたりしている時に、人間関係があるのです。
しようと思えば、朝から晩まで、魂の勉強はできるのです。魂とは人間が生きていることの本質で、五官、生理機能、心理機能の真髄を意味するのです。
歩いていても、電車やバスに乗っていても、車を運転していても、いつでも神と付き合えるのです。生きていることは、神と対話していることです。どんな生き方をしていても、生きていることは、神と対話していることです。人間歴史が始まってから、人間がしていることは、全部神と対話していることばかりなのです。
神と対話していながら、神が全然分かっていない。これが人間が精神的に死んでいる証拠です。神が分からないことが、死んでいることなのです。
なぜそうなるかと言いますと、人間が常識の中に沈没しているからです。人間の常識は死んだ人間が造ったものです。常識の中に沈没していると、地獄へ引っ張りこまれることになるのです。
人間は生きている間に、魂の責任を果たしていない。だから、死んでからその責任を問われるのは、当たり前です。
文明は人間が死ぬことを、奨励しているのです。現代文明は、特にそれが顕著です。西欧文明が入ってくるまでの日本は、現在のように利害得失ばかりに執着していなかった。西欧文明は白人が造ったものではなくて、白人の中にもぐりこんでいるユダヤ人が造ったのです。
ユダヤ人は現世に生きることに、非常な執着を持っているのです。それが目の前の利害得失を非常に重視しているのです。そういう悪い風潮が日本に流れ込んだ結果、日本の社会が堕落してしまったのです。



ユダヤ人の間違いが人類の不幸の根本原因

命を正しく見るということは、それほど難しいことではありません。皆様方自身の命についての見方が、間違っていることを確認すれば、死なない命、本当の命、宇宙的生命を捉えることができるのです。
現在、皆様は、毎日、太陽のエネルギーを、色々な形で経験しておいでになります。好天気の場合は、太陽エネルギーをはっきり感じることができます。
太陽光線の実体は何かと言いますと、これが死なない命を現しているのです。地球という物理的な存在は、太陽光線という死なない命をそのまま受け入れています。
ロマンチックな言い方をしますと、太陽という永遠の男性のエネルギーが、地球に放出されている。太陽という永遠の男性が、地球という女性を抱いているのです。
ご承知のように、地球はどんどん孕んでいます。これは女性的な姿です。永遠の地球である女性が、永遠の男性である太陽に抱かれている。これが太陽系宇宙の実体です。この実体の意味が分かれば、死ななくなるのです。
ところが、現代文明は太陽と地球の関係を考えずに、人間が生きることだけを考えている。これがユダヤ人の大変な間違いです。ユダヤ思想の間違いが、文明の間違いになっているのです。
皆様は現在、常識的に生きておいでになります。常識的に生きているということは、必ず死なねばならない命にしがみついていることなのです。
常識は、死んでいった人間が残した考えです。五百年前、千年前等の人間が残した常識が、今生きている人間の常識になっているのです。
常識は、死んでいった人間、死んでいくに決まっている人間の考え方です。皆様がその常識に従って生きておいでになりますと、皆様は必ず死にます。死ぬに決まっているのです。
死をいくら嫌がっても、常識に従って生きていれば、必ず死ななければならないのです。常識的に生きているということが、死ななければならない命を、自分の命としていることになるのです。これが般若心経で言う五蘊皆空です。
現在皆様は、太陽というすばらしい命のシンボルを、毎日、見ておいでになります。太陽のエネルギーは、死なない命の象徴になっています。死なない命の象徴を、現在皆様は、宇宙的エネルギーとして、毎日、経験しておいでになります。
ところが、死んでしまうに決まっている命を、自分の命だと思い込まされているのです。誰に思い込まされているかと言いますと、文明というとんでもないもの、ユダヤ思想というとんでもない間違いによって、人間は死なねばならない命を押しつけられているのです。生活の一時的な便利さと引き換えに、永遠の裁きを受け取ることになるのです。人間はなぜこんなばかなことをしているのかと言いたいのです。
般若心経に、般若ハラミタとあります。これは常識というおろかなものを、真向から否定しているのです。
般若ハラミタとは、彼岸へ渡る上智です。死なない命へ行ってしまえと言うのです。これが上智、いわゆる般若です。これは彼岸へ渡る上智の説明でありまして、彼岸そのものの説明はしていません。
般若心経は死なない命そのものの説明はしていないのです。現在の人間の考え方が間違っていることを、色々な角度から説明しているのであって、彼岸の実体を説明しているのではありません。だから、般若心経だけでは、本当の彼岸をつかまえることはできないのです。
そこで、キリスト教ではない聖書、本当の神の言葉である聖書が必要になってくるのです。
キリスト教でも仏教でも、宗教は人間が造った観念です。人間の頭で考え出した神様、仏様を拝んでいるのです。これは命の実体とは関係がないものです。
いくら熱心に、宗教の神様、仏様を拝んでも、やはり人間は死んでいきます。宗教は死んでから極楽へ行くと言います。死んでから天国へ行くと詭弁を弄するのです。
死んでからというのは、とんでもないインチキです。死んでから天国へ行くというのは詭弁そのものです。
般若心経には無老死と書いています。般若心経の真髄を弁えれば、死がなくなると言っています。新約聖書の中でイエスは、「生きていて、私を信じる者は死を見ない、永遠に死なない」と言っています。死に勝つことが聖書の目的であって、死んでからというのは、死を容認する考え方、死に降参した考えです。これは般若心経と聖書に真向から対立する考えです。
だいたい死んでから、天国へ行けるかどうか分かりません。宗教の指導者は、死んでしまえばそれまでといって、逃げてしまえるのです。
現世には、寺や教会があります。現世では宗教のいう事は通用しますが、現世を去ってしまいますと、寺や教会のない所へ行くのです。そこで宗教観念が通用するのでしょうか。寺があればこそ、仏教は通用します。教会があればこそ、キリスト教が通用するのです。そういうものがない所へ、皆様は行かれるのです。
この世の命が終わってから何かの足しになるだろうと思って、後生安楽の宗教を信じているのですが、死んでからでは宗教は何の役にも立たないのです。ここに現代文明のとんでもないインチキがあるのです。文明はインチキそのものです。これがユダヤ思想の悪い点です。
ユダヤ人が世界の経済を支配しているから、けしからんと言ってユダヤ人を攻撃している本が、たくさん出ていますが、こういうことは小さな問題です。金持ちがお金をたくさん持っているのは、当たり前です。それに文句を言うのはおかしいのです。
ユダヤ人が悪いのは、彼らの思想を世界中に押しっけて、命ではないのに命だと思わしていること、文明ではないのに文明だと言いふらして、六十五億の人間をたぶらかしていることです。これが悪いのです。政治や経済の問題ではありません。もっとも悪いのは宗教力です。現代文明は、ユダヤ教を基礎にして成り立った、人間生活に関する世界観です。
常識で生きておいでになりますと、必ず死にます。皆様の常識を造ったのは世界の文明です。かつて死んだ人間、又現在生きていても死ぬに決まっている人間が考えている常識、学問が、命のために役に立つのでしょうか。簡単なことです。常識を捨てるという勇気さえあれば、死なない命を捉えることは十分にできるのです。
どうか今までの考えを変えて頂きたいのです。彼岸へ渡るというのは、死なない世界へ行くことです。死なない世界へ行くことが、人生の一番大きい問題です。そのために、自分の命についての考えを、常識や宗教でごまかさないで頂きたいのです。
宗教はこの世で通用するものです。この世を去ってしまえば一切通用しません。そこで私は、魂のボランティアとして、宗教が間違っている。文明が間違っていると言っているのです。
文明は生活の方式です。生活のために文明を用いるのは、当たり前です。生活のために、車や電車、飛行機に乗り、テレビや電話、パソコンを用いることは当たり前です。文明を生活のためにどんどん利用することは結構ですが、文明にかぶれて、自分の精神まで文明に売り渡すことは、絶対によくないのです。それは肝心の命を溝に捨ててしまうことになるのです。
文明は靴のように履くものです。頭にかぶるとひどい目にあうのです。
命についての考えを変えればいいのです。常識で生きることをやめて、般若心経を静かに勉強して頂きたいのです。
般若心経は、人間は空だと言っています。般若心経は人生の公義です。公義は宗教ではありません。公義という言葉は岩波書店の広辞苑にも載っていません。それほどめずらしい言葉です。
五蘊皆空は、人間の常識は皆間違っているという意味です。人間の常識に従って生きていれば、死ぬに決まっているからです。
常識をやめて、公義に従って生きる勇気があれば、皆様の精神を転換することはできるのです。仏教やキリスト教という宗教に捉われないでいただきたいのです。
東洋人も西洋人もありません。人間は一種類しかいないのです。東洋とか西洋とかいう小さな思想をやめて、命の勉強をしようというお気持ちが芽生えれば、死ぬべき命から脱出することは、十分にできるのです。







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Last updated  2011/06/22 09:29:04 AM
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