Maryam's HP 日記

Maryam's HP 日記

心(精神)と身体(肉体)その2





2011年4月4日記


私が私に嘲笑われる時



今朝10時半ごろ義妹から電話があり夫と一緒に手続きにいきたいようだった。
私は大丈夫、行って来て、息子のお迎えは私がいくからと
行った後に、ふと

車動くよね?エンジンかからないなんてことないよね?
私二週間ぐらい動かしてないけど、、、、
三日前に貴方が修理屋でエンジンと排気口のチェックしたときなんでもなかったよね?

っという言葉が口をついて出てきた。

夫も、

うん大丈夫、問題なし。

そして12時10分前息子のお迎えにいこうとしたら・・・・・

駐車場の戸を開けながら車のドアのロックの解除ボタンを押しても
反応がない。ドアが開いていたので中に入って
キーを回しても、うんともすんとも反応なし。

やっぱり無意識のうちに口からついて出てくることも
予言の一種なんだな・・・・と思った瞬間。

今までにこういうことは何度も何度も、数え切れないほどあったのだが、
私はそこまで自分を信じていない、、、というか
ほとんど自分を信じていないところもあるのでこういう失敗を繰り返す。
常識で判断しようとする私が、無意識の、潜在意識の私に叱咤される瞬間だ。

ここでも私の心と身体は一致しない、むしろ喧嘩している感じ。

喧嘩もそうそうしていられず、私は上り坂道を必死に
徒歩で息子の学校まで小走りした。
春のポカポカ陽気で汗が溢れてくるし、
息子が心細く思っていないのかと、気が急く。
そんな私を知り尽くしているかのように・・・・

潜在意識の私は常識とか、普通考えられることとかそういうものに
縛られている現実の私をあざ笑うかのように

ちゃんと注意してあげたのに、ほーら見たことか、お馬鹿っちょ!

っと言っていた。



4月18日記


心が形となって現れつつあること


私は以前、、、何年前になるのだろうか?
5年?あるいは8年ぐらい前かもしれないが。。。。

私はもう日本人には戻れないし、また死ぬまで
イランで、あるいは別の国で生活していたとしても
その国の人間にもなりきれないであろう・・・と思った。

今ではその思いは断定の形となって心に存在する。

そして私は今年の始めに
私は日本人として日本に住むことも、もうできないであろう
とも思った。

これは私という人間の本質が形をともなって
人生に影響を及ぼし始めたのだろうと感じている。

私の心はいつもそうだ。ここにあってここにあらず。
気がつくと別の世界を彷徨っている。
子供のころはそれを意識して行っていたのだが、
思春期辺りから無意識のうちに心は空を彷徨っている。

現実の私と夢の中(非現実と言われる中の)私と
どちらが主なのかわからない。

この思いは大学時代から持っていたが最近殊に著しくなってきている。

去年の末に死と再び対峙した。17歳のときにも一度死と向き合ったが、
その時には私には子供がいなかった。だからわからなかったことなのだが・・・・

私は昨年死と対峙したときに、
息子はこの世の私の執着にはならないことを知った。

だからと言って私にとって息子が大切でないわけではない、
誤解しないでほしい。

息子にとって私が誰にも置き換えることのできない、
かけがえのない存在であることは理解できる。

そして私はそれを承知しているから、
みずから息子の傍を離れたり、
息子を置いて去るなどということは
命ある限り考えられないのは事実だ。

しかし私が寿命といわれることで死に直面した場合
そのとき私は息子のことが心残りだとは思わないであろうということだ。

冷たい人間なのだろう、私は。

もし今夫から三行半を突きつけられ、
身一つとなったとしても、
全く別の生活を一から始めることになったとしても
私はそれを認め、そういう状況を受け入れることに、
不安も恐れもない。

それは、私が17年前に、夫と結婚する前に
そこまで考えてから結婚を承諾したからかもしれない。

この人との結婚がうまくいかず、離婚し、
子供すらも自分のものにならず(イスラムでは親権は父方にあるから)、
全てを失うことになったときに後悔はしないか?

と。

義母や夫などを見ていると現世を彩るというか、飾るとか、
物質的ともいっていい豊かさの追求、熱意というか、
こだわりというか、一種理解できない部分もあるのだが、
そういうものが生きるエネルギーでもあるのだろうなあ。。。と
思ってみている。

何が言いたいかというと

私はもう日本人には戻れないし、また死ぬまで
イランで、あるいは別の国で生活していたとしても
その国の人間にもなりきれないであろう・・・

この現実の私の姿は

どの社会、どの世界にも完全に属することがない

ことを意味し、

私の心をつなぎとめておくものはこの世には皆無に等しい

という私の心が形になって現れたものだと思ったのだ。

但し、このことにも勿論例外はあるが・・・・

そしてそのことを私は17歳のときも、
そして41歳のときの臨死体験でも、
嫌というほど実感させられたのだ。


4月19日記


切なさへの希求


心、気持ち、心情というものはそれこそ星の数ほどあり、
宇宙の広さほど大きく、複雑で正体不明なものではないかと私は思う。

多くの人はあまりそういう自覚はないのかもしれないけれど、
皆それぞれ自分の裡に大宇宙を抱えているのだと私は思う。

心と身体がバラバラで不一致なのは精神病であるとか
精神を患っているからだと言われようが、、、、
私にはそんな 心と言う怪物 と自分の身体が
ぴったり一致するなどということは
考えられず、有り得ないような気がする。

そして私は現実世界では表せない、
報われないさまざまな思いを慰めるように、
あるいは溜まりに溜まった心を吐き出すように
文章を書いている。

もちろん書くことが 好き 最も簡単で
わかり易い言葉で書くとこの一言なのかもしれない。

ただ心と身体の関係と同じように
身体は 心のごく一部 を形として外に表現できる 道具というか手段の一つ なのだと思う。
そのことは舞踏だとか、バレエ、フィギュアスケート、
新体操、シンクロナイトスイミングの演技だけではない。
私達は日々の生活や行為や行動、ちょっとしたしぐさの中に
心(の一部)を表しているのではないだろうか?

またこれは、思いを綴る、文章を書く、言葉にして発するということにも言えるのではないだろうか。
その人が心に相応しい一言、一言を選らんで形成される、
その人独自の身体のようにそれぞれ異なる 
文体 あるいは 言い方 というものの中に
心、精神の一部分を形として外に表現しているのだと思う。

ここでも同じことが言えるはずだ。
宇宙のような大きさの心を相手に数限りある言葉はあまりに小さい、
従って言葉を限りなく心に近づけることは
人間に可能であると思うが、
心と言葉がぴったりと添うということは
私にとっては夢のような気がする。

その夢に向かって私はできるかぎり
努力をしたいという気持ちは常に持っているが・・・・

っと私は書いたが、
私がこんなことを思ったのは、ある方が以下の言葉を
私に与えてくれたからだ。


巧い詩というのは、
自己から離陸(飛翔)している詩だと思います。
一義的な思いに相応しい形(言葉)を選ぶとき
最初の思いは薄くなります。
薄くなりながらも、透けて見える、
透けて見えざるを得ないのが
切なさだと思っています。


一旦自己を捨象しないと、芸術とはいえないと私は思いますけどね。


そのコメントに対して私はこのようにお返事した。


私は芸術と言われるような精神活動が、無かったら
とっくの昔にこの世に居なかったと思います。
(私は芸術作品や、文学作品と言われるものや、
自分自身が書くことで、心を吐き出すことで今までどれほど
救われてきただろうか?)

私が創作活動を好むのは正直に心を表現することができるからだ。
どんなに表現しようと思う心(欲情という言葉に置き換えることができるか?衝動とか?)が汚く、
醜悪で、我侭で、目を背けたくなるようなものであっても
精神とその活動によってそれを高めて形にして外に出すことができるからだ。

一旦自己を捨象しないと、芸術とはいえないと私は思いますけどね。

自分というものは捨てたようで捨てきれないものです。
私はずっとずっと、ずっとその事にもがいている。
それでも私という海の中に今でもどっぷり浸かっている。。。

と。


最近また、上記した、いただいた言葉について考えてみた。

おそらく 自己を捨象 というのは

(捨象:抽象する際に、本質的でない種種の性質を捨て去ること)

私が自分の本質という言葉を
使って述べていることを指しているのだと思った。
そう考えると私が自分の本質を感じ、
それに逆らえないともがき、苦しんでいることは
芸術へ近づく一歩なのかもしれないと励まされた。


一義的な思いに相応しい形(言葉)を選ぶとき
最初の思いは薄くなります。
薄くなりながらも、透けて見える、
透けて見えざるを得ないのが
切なさだと思っています。


ここは本当に美しい表現であるし、
この文章が指し示している内容も美しい。



薄くなりながらも、透けて見える、
透けて見えざるを得ないのが
切なさ

私はこういうものに心が触れたときに
心揺さぶられ、どうしょうもなく心惹かれてやまない。

そしてそれは

言葉 と 心 の微妙な ずれ が切なさを生み、
ずれ ていて、言葉に表れていないものが
微かに透けて感じられて見えるものが
 切なさ であるのではないかと思った。

私が幼いときから
心と身体が別々であったらいい・・・・
と望んでいたのは、
私が肉体に縛られていると思うような身体を持って生まれ、
常に心身の不一致を感じてきたのは、
私が 切なさ という私の心を揺さぶってやまないものを
希求するためなのではないか?
とさえ思った。



自分の身体に無関心であること


今日は空手教室の日だったのだけれども、
準備運動のときに両足で跳躍をしたら・・・

腰に来た!

年のせいなんだろう、いくら若作りしても身体はごまかせない。
私は去年から両足で跳躍した後、
腰が痛くて力が入らなくなることが4,5回あった。

そのうち2回は次の日に熱が出た。
どうも風邪をひくと私の場合腰が重圧に耐えられなくなるようだ。
風邪が治ると腰も治るので医者に行く必要はないのだが・・・

気をつけないと明日熱をだすかもしれない。

私は大学時代も、就職しているときも、
自分が風邪をひいているのに気がつかない時がある。
高熱を発するまで自覚が全く無いのだ、お恥ずかしいことに。

大学時代にはいつも通りにお風呂屋から自転車で戻ったら
ふらふらして息が荒くなって、意識が朦朧としベッドに
そのまま倒れたことがあった。
ひどい熱がでていた。
数日熱は下がらず、ひたすら寝ていた。
起き上がることができず、水だけで過ごし、
数日後にサークルのLIVEがあったのだが、
一週間程度の間に私が非常に痩せてしまったので
びっくりされたことがあった。

教諭をしていたときも、お昼ご飯が全く食べられず、
無理やりに3分の1食べたがそれ以上は無理で
午後はだるくてしょうがなかった、
後もう少しだ、後もう少しだ・・・と我慢し
生徒に掃除をさせていたときに年配の女性体育教師に

あら、この先生は熱が出ているわね、ほっぺたが赤い

と言われて気がついた。
就業時間終了までなんとか我慢したが
階段の上り下りはフラフラ、帰宅電車の中でも。
気力だけで家に着いたのだが39度の熱があった。

数日どうも唇がカサカサして、
アラ、この口紅急に体質に合わなくなっちゃったのかな?
と思いこんでいたのだが、、実はずーっと熱が続いていたとか。

これも私が自分の体に無関心であることが原因なのだと思う。
だからここ2年弱の間、空手教室で自分の体調の異変に気付かされることは
私にとってとても大切なことなのだと思う。

これは蛇足だが・・・・
私は他人の健康についてはとても敏感だ。
その人に元気がなくなるとすぐにわかる。

自分のことは気がつかないものだ。





私の中の助っ人



腰の調子は良くない。

昨夜は何度も腰の痛みで目が覚めた。
その度に夢をみていたのだが、ほとんど思い出せなかった。

明け方に結婚前に住んでいた横浜が懐かしくなって
行きたいなあ、、、と元同僚に向かって言い、行きませんか?と誘いながら
ケーキでお茶をしている夢を見た。
私はそのケーキを一片食べたあとだったのだが、
同僚のひとりが、ケーキを口にし、
このケーキひどく甘ったるい、食べられないと言っているのだ。

夢からさめて・・・

やはり私は体調を崩すのだと確信した。

気をつけないと寝込むことになるかもなあ、、と思った。

私は夢の中で甘いものを食べると健康を害するのだ。

17歳のときに臨死したときは山ほどケーキを食べる夢を見ていた。
自分でも命の危険は感じていた。
41歳の身の危機のときは息子が夢を見ていた。
私が店中のアイスクリームを買いきって、それを全て食べる夢。

今回は一片のケーキだから大したことないのだろう。
ただ甘くみると、同僚が口にしているように
見かけよりも甘いケーキなので、こじらしたり、痛い目にあうから
気をつけなさい・・・という事なのだと思う。

自分の身体に無頓着な現実の私を補うように
潜在意識、深い奥に潜む私は注意を促してくれる。

お前は、なんとしても最期まで生き通さねばならないのだよ!と
大きな力は、ちっぽけな、弱い私という生き物に
潜在意識の私という助っ人をさずけてくださったのだろう。




4月23日記


過ち


一年あるいはもっと前だったか?
ある方からアドヴァイスをいただいていた。

自分の感情を押し殺して人のために尽くしていると思っていても、
結局その行為は砂の上に砂を重ねているが如し。

その姿を笑うものはあっても、
たとえその行為で身を滅ぼすようなことになっても、
情けをかけるものはいない・・・

と。

当時私は一体何を言っているのだろうか?と全く理解できなかった。

私はたとえ人のために行うことでも最終的には自分が決断して
自分の意志で行ったのだから。。。という思いが強かったから。
そしてそのことを感謝されたら嬉しいけれど、感謝されなくても構わない、
自分がしたくてしたのだからという気持ちをもっていたから。

でもそうじゃなかった。

上記したアドヴァイスの言葉が真を突いていたという出来事を
去年の末に経験し、私の意識はずいぶんと変わった。

そして意識の変化によって、、、、

私は現実の自分と心の世界の自分を近づけよう

という路線に変更しているのではないかと思う。
正確に書くと路線変更したばかり、、、という感じか。

若い頃は自分の心の世界は誰にも見せられなかった。
こんなもの見せたら皆、引いてしまうし、答え様も無く、
困ってしまうだろうと思ったから。

でもそれは私の最も、私らしい部分と言えるもので
私はどうしてもそれを捨てられなかった。
そしてそれを文章にするなど創作することで吐き出していたのだと思う。

また、現実の世界は私にとっては薄ボンヤリと
フィルターがかかったような世界でしかなかった。
自分なんてどうでもいいや、、、という気持ちが大きかったから。

そしてバンジージャンプを欲するように
日本語さえも捨ててここの生活に飛び込んだのだが。。。

自分が持っていた環境を全て一新すれば何かが変わるかもしれない


とその行為に救いを求めるように。

確かに最初は何もかも新鮮で、それこそ子供時代にもどったように
学ばなければいけないことが沢山あって、
あまり意識しないで時が過ごせたのだろうと思う、、、

でも

いくら外部要因を変えてみても結局は元の木阿弥

だった。

変えなければいけない、変革しなければいけない相手は 

自分自身 

なのだ。


上記したアドヴァイスをくれた人から今年の初めに再び言葉をもらった。

今回の痛い事件の原因は・・・

今まで人のために自我を抑えてきたのに
結局誰もそれをわかってはいなかったのだ・・・
という 怒りと悲しみが爆発 した結果だと。


この言葉を最初読んだ時、私はとても驚いたのだが、、、

今は  

確かに、おっしゃるとおりでございます

と言える。


私はまだ路線変更をしたばかりではあるが、、、、

そこには今後どんな道が広がっているのかわからないけど、、、、

そんな簡単なことをまもなく42歳になろうとする時に理解するなんて馬鹿だ、、、

とも思うけれど、でもかえってこういう年齢でわかって

人の目や人の思惑を気にするようなデリカシーもすっかり無くしているようだし。。。

良かったのかも?と思っている。

一番恐ろしいこととは、人目でも人の思惑でもなく、

知らないうちに怒りと悲しみに憤ることなんだ

という気がした。

昨日 優しい、純粋な私の同志からこんな言葉をもらった


一番恐ろしいことは、怒りや悲しみを封印することだと思います。

それは必ずいつか、火のように噴出してしまう。


この言葉で今日この文章を書こうと思った。

この過ちはもう二度と犯したくない。

自分の道や人生にどんな変化が起ころうとも。

最後に私を勇気付けてくれたトルストイの言葉。



Everyone thinks of changing the world,

but no one thinks of changing himself.


Leo Tolstoy


誰もが世界を変えてやろうと思うが、
自分自身を変えようとは(誰も)思わない。

↑ 私の拙い訳で失礼。


2011年5月1日記


嘘はつけない


やはり

自分にも、心にも、嘘はつけない。

また精神不安定。

これじゃいけないって、駄目だと思っても

虚無を感じる。

その虚しさに持っていかれちゃ駄目なのだ

と思ってはいるのだけど。

夢はそんな私の心をいろんな場所や人物や事柄を使って示している。

腰も痛み、エネルギー不足なのに、

ますます虚しさに自分のエネルギーを吸い取られる

近づいてきても、拒否できないような。。。

断固として打ち消せ、ひっぱられちゃだめって思っているのだけど・・・

なんでだろう。ふっきったとおもったのに、また不安定。

つくづく馬鹿だと思う。。。

こんなに心って、自分の心なのにコントロール不能なものなのかと、、、

敵を甘くみていて、一発顔面に ガーーーン と食らった感じがする。

まだ身体と心を別々に扱っていたほうが敵は大人しかったような気がする。

しかも夢のなかでは一層勝手に動き出してるし。

ますます気違いに近くなってる感じがする。

心と身体を近づけているぶん、

現実と心がかみ合わない部分で

ストレスをひどく感じて、

それが虚しくなっているのだと思う。

どこでどう、心と現実の折り合いをつけるかだろうけど・・・・

本当に、、、義両親の家から少し離れたところに住みたいと思う・・・

でもきっとそれは許されることじゃない、今は。

大体、誰も私が

これっぽちのことを苦しく思っているだなんて

ちっともわかっちゃいない。。。。

私が恐れている事が秋までに現実化したら、、、、

私は絶対に、、、そのときは強くでると思うけど、それまでは

言い出すことすらできないと思う。



2011年5月3日記


40歳からの 反抗期 

今朝も夢を見たが、記憶にのこっていなかった。
これはシャッターがしまったのではなくて、
あまり重要な意味を感じなかったからだと思う。
ただ場違いなところで場違いなことを考えて、場違いのことをしていたのだと思う。

ただひとつ、枕を抱えて泣いていた自分の姿を見ていたのは覚えている。

泣く夢は悪くない。喜びごとがあったり、いい知らせがきたりする・・・

ただ今朝の夢は自分の姿を遠くから心が見つめていただけかもしれない。

昨日いろいろとここでの家族関係のことを書いたが、

それでも私はここ二日間息子のお迎えに行く前に
義母を医者に連れて行き、注射をさせて、薬局へよったり、
昨日はコーランの会の友人達が来るというので
お菓子を買ったり、果物を買ったりするのを手伝い、
息子が先週の水曜日から具合が悪かったので
医者へ連れて行った。

お昼も私は作ってあったので義母を呼んで一緒に食べた。

夫と義父はおととい果樹園作業の途中で雷雨、突風にあって
中途半端で切り上げてきていたから、
昨日も朝からでかけていたので。

ただコーランの友人が来るときに来ない?と言われたので
丁重にお断りした。

そして義父と夫が戻ったときにまだ階下には義母の友人達が来ていたので
義父は私のところでお茶をしながらテレビを見ていた。

私はこう言う事を行うのに全く異論はないし、
嫌だとも思わない。

ただ、必要以上に時間をともにし、気が進まない人たちと
つき合わされるのが嫌なのだ。

私はここ数年のこの葛藤を 

40歳からの反抗期 

と名付ける事にした。

10年ここに住んできたが、今まで周囲の意見に耳を傾けて
周囲との調和を図りながら決めてきた、

どんなふうに
時間を
誰と、
何をして
過ごす、、、

という基本的生活の指針みたいなものを

自分の 目と 心と 頭で 決めたい

と思うようになった のが 私の 40歳からの反抗期だ。

それがこんなに摩擦を起こすとはねえ・・・・


つくづくここはプライヴェートが確立されていない国なのだ・・・・



2011年5月9日記


夢から教えられること  


今朝は1時半を過ぎたらもう眠れなくなってしまった。
2時過ぎまで眠れるかもしれないとジッとしていたが
2時半を過ぎてもう眠れないだろうと諦め、音楽を聴いていた。

そして3時まで聴いて、その後、曲から思ったことを書いていた。

数日前に見た夢がきっかけで、今までわからなかったことや
曖昧だったり、感じるけれど、認識できなかったことなどが
段々と浮かび上がってきた。

私は夢や五感以外で感じる事物からこれまで
一体どのぐらいのことを教えてもらっただろうか?

私にとって夢は単なる夢じゃない。

夢の中で見聞きしたことが、実際に見聞きした、体験したことよりも
大きな衝撃を与え、脳裏に刻まれ、精神に影響を与える。

良い影響もあるし、悪い影響の場合もある。

そして今ここで伝えたいことは・・・

絶望しないでほしいということ。

確かに物質界というか、現実世界において限界はある。
どうしても動かせないようなものが現状として
壁や、岩のように立ち塞がってどうにもならない場合が確かにある。

でも、そんな状況に陥っても、心に、精神に限界を設けないでほしい。

心に限界を設けたとき、限界を感じてしまったとき、それこそが絶望だ。

もしもそういう状況に陥ったら、、、

貴方の心の世界を見つめて欲しい。

貴方さえ限界を設けなければ、限りない世界がまだ広がっているし、
新しい扉すらみつかるかもしれない。

これは私だけではない、皆に当てはまることだ。

そして自分を思う気持ちだけではない、自分が誰かを思う気持ちもそうだ。

そのことに気がついたら、心はどこまでも

高い、広い、深い、大きい世界を見渡すことができる。

その中で羽ばたくことができる。

たぶんこのことをすごーーーーく簡単な言葉でいうと

信じる ということなのだと思う。

自分を信じてほしい。それは大切な人を思う心であってもいい。

私は今まで自分を信じることができなかった。

自信なんてものをどうして人は持てるのだろう?と全く疑問に思っていた。

やっと、この年になってようやく 

自信 ということがどんなものであるのか?

わかったような気がする。


限界(2011年3月1日 記)


悲嘆するのはやめよう

なぜ それを覗いてしまったのか
なぜ その存在に気付いて、知ってしまったのか
なぜ それを裡に抱えてしまったのかと

それはそれでしかないのだから

遠い昔も、ずっとこの先も
それはそのままなのだから

それにも、私にも、誰にも、何にも
止めることも、進めることもできないのだから

ただ、それをそうと私の心で受け止めるしかないのだから

私にできることは

ただ、そのままの形でそれに感謝することだけであるから

私は現状に限界を感じている

私の身体が存在している、今ここに

でも精神世界には、

私の心の世界には

まだ限界を感じていない

私はそのことに感謝している



2011年5月10日記

「直心是れ道場」 への憧憬 

今日はこちらから、こちらへ飛びました。


ふふふ。

ネットの社会はいいですね。
心の世界で自分の気のままにあっちこっちへ
飛んでいけるように、ネットサーフィン。

ネットの感覚は

思考や心惹かれるままに 思いがあちこちに移っていく

という感覚に似ているものがあります。

さて本題へ


「あなたの心は右利き左利き」

ということでありますが。


当たり前なのに、盲点になっていること

に気がつきました。

左右どちらでも偏っている、ズレがあるんだよ

ということ。

どっちが正しいとか間違っているという問題でもない、

ありのまま に物事を見ることができていないのだよ。

ということ。

それに対する理想的なありかたをこちらのご住職さまは

 「直心是れ道場」

ものごとをありのままに純粋に、素直に受け取る心

とお書きになっていらっしゃいます。

私はこれにずーーーーーーーと憧憬を抱いていたんだろうな・・・・

と思いました。

私の場合は身体が心に及ぼす悪影響を自分の中ですごく感じていて、
それを取り去りたくて、
心と身体を別々にすることを望んだような気がします。

私が心と身体を別々に意識的に行っていたのは
小学校の低学年のときからです。

バランスをとるためにしていたことが、、、、
均衡の位置を通り過ぎて、逆の側に重点が移って、
いつしかバランスの偏りをもっと拡大してしまったような気がします。

私は左右のバランスではなく

心(精神の世界)、身体(肉体、物質の世界) どちら側に囚われているか?

このように自分自身を観ることもできるように思いました。

私はようやくそのバランスの偏りに気がついて

修正しようと思う段階に入れたのだと思います。


皆さんにもきっと偏っている部分があるはずです。

それはその人の 癖 なのです、悪習なのです。

それでも 我 が邪魔をするためなかなか思うとおりに修正できませんが、

自分がそのことを意識できたことに感謝してます。


5月15日記

夢とは?    

ここ一ヶ月間のことなのだが、こんなことがあった。

あるサイトをみていたらバセドウ病のことが気になり、
ウィキペディアをみていたら夏目雅子が気になり
夏目雅子をしらべたら 田中好子 に行き当たった。

そのあと彼女の訃報を目にした。

私はこれまで 夏目雅子さんにしても、
田中好子さんにしても特別な気持ちを抱いたことはない。

昨日は、、、突然

ふれあい が口を突いてでてきて、
そのまま 何度か一人だったのをいいことに
大声で歌ってしまったのだが、、、、

この歌は、、、それこそ中学生の頃に確かに好きだったけれど、、
そんな程度で思い入れがあった曲でもなんでもなかったので
不思議に思っていた。

これが朝の話で、、、午後になってある方のブログを拝見したら、
その方がLIVEにいかれそのゲストとして

中村雅俊さんがいらっしゃった

と書かれてあった。。。。

私の潜在意識はこの記事を見ることを私に告げていたのだな・・・

と思い当たったのだった。

こういうことは今に始まったことではなくて私には結構ある。
この文を読んでくださっている方にも思い当たることなのではないかと思う。

私の夢はこれがもっと意識の底で行われ、
もっと働きが強まって、無意識の感覚が察知するものを
映像として見ている、、、といった種類のものなのだろう

と思った。



2011年5月15日


本日のつぶやき 


叶うこと と 叶わないこと。

これはある程度決められているような気がする。

ただそのサダメは広さと幅と高さがあって、

見渡せなくて、その存在すらも気がつかない。

その中でいろんな選択ができるけど

そこまでのような気がする。

私はまだ自分がその

サダメという結界を破った

と思ったことはない。


しかし・・・

サダメとの戦いは、全敗し通しで42歳まできている。

でも私はまだ 参った と言ってはいない、思ってもいない。

私は 軍神マルス のような性質の 女 だから。



5月17日記


心の底の底


己のことばかり考えて生きること

他のことばかり考えて生きること

これは全く逆のことのように思いますが。。。。
実は表裏一体、 生死 と同じだとおもいます。
元をたどれば同じになります。

なぜなら

究極は・・・ 自も他もないからです。


なぜこんなことを書いたのか?
宗教の本の受け売りではありません。

これは私の 心の底の底、から発してきた言葉です。

私は物心ついたころから 

死 をみつめています。

自分 をみつめています。


そしてそれはそのまま

生 をみつめること

他 をみつめること

に通じていたからです。


6月3日記


過去、現在、未来



過去、現在、未来は、、、これまでの現在という点が結ばれ、つながっている。

それは

時を重ねる

と言い換えられるかもしれない。

ただ時は重なるけれど私のように

引越しばかりで場所がガラリとかわってしまったり、
基本的生活がガラリと変わったりし、
そしてまたそこを行ったりきたりすると。。。。

現実すらも夢か現か?現実味が薄くなります。

(ネットの世界も、現実味が曖昧で、ネットサーフィンなどは
複数の夢を連続して見ている時の感覚に近いものを私は感じますが。。。)

それぞれの場所にもどるとそこからまた別の表情の別の生活が続いていく感じです。
その前にストップした地点あたりから線がのびていくかんじかな?

今日本にいますが、、、日本での私の顔も残すところ6日間となりました。

ですから、ここでの生活も架空の生活のようなものです。

来日期間の、この2週間は まるで夢物語。

もっと広い観点からだと、、、

イランでの生活も、、、、また然り、なのです。

本当の私っていったいどれ?

すべて私であって、私でないみたいな気がするのです。

でもみんな 私 ということでつながっているのですけどね。

夢さえも人生の一部だと思える私は、

現実さえもまた夢の一部のような気がします。

追記

だからといって現実をないがしろにしているわけではありませんよ。

私にとって夢は現実であり現実も夢であると感じられ、
夢と現実を厳密にわけて認識してないということです。

だから

夢のなかでも、現実でも一瞬の重みは変わらないのです。

夢のなかでも心から喜び、夢のなかでも怒り、悲しみ、

夢から覚めても、、、その思いや衝撃は現実の出来事となんら変わることなく

夢でおこった出来事にひどく嗚咽することもあります。



6月16日記


切望しているのに してはならない と自分に課していたこと



15日は夫がここを発ち、日本へ向かいました。
忙しくて更新できませんでした。


私が今回こんなに心が満たされたのは
今回の旅が転換のきっかけになるような旅だったからだと思います。

どうしても今回夫と予定があわないので
何か意味があるのだろうとおもっていましたが、
この2週間の滞在期間を日本で自分のために(もちろん息子のためも)
使ってきなさいということだったのだと思います。

夫がいたら思い出の地にはいけなかったと思います。
これほど旧友、教え子、会いたいひと、にお会いしたり、
電話でも話しがしたかった方々と話すこともできなかったでしょうから。

夫との旅も決して悪いものではないのですが、
私にとってはこれまでの自分の人生を振返ることが
とても重要で必要なことであったのでしょう。
大いなる力がそれを私に授けてくださったことに感謝してます。

今回、日本を発つとき、飛行機の中で
息子とその隣の男性の方の前だったんだけど、私は泣いてしまいました。

泣くといっても一切声はたてなかったのですが、
後から、後から涙が頬をつたわって
自分ではどうしようもありませんでした。

後ろ髪をひかれるような、心が裂かれるようなそんな気がして。
やはり私はここに何かを残しているんだとはっきり感じたのです。

日本という国と私の距離に変化があったのは確かです。
たぶん、息子にとってもだと思います。

私は今回の旅の間に、自分にとって一体何が大切で譲れないのか。
実現不可能だったことも、実現したこともありますが、
その 願望 に正直になることができました。

私はこれまで、現実の生活において、
自分の願望に気づかないふりとか、ないがしろにし、またはみてみぬふり、
その存在に気がついても、価値をほとんど認めていませんでした。

自分のこころに正直になれるのは夢だけだとおもってました。

でも現実の生活の中でもたとえ、それがかなわなくても、手が届かなくても
自分がそう思っていることを認めてあげることが大切なのだとわかったのでした。

今朝みた夢は、、、いままで私が現実の世界だけでなく
したくて、したくて切望していたのに 夢のなかでさえ決してしなかった。
自分に してはならない と潜在意識の底の底にまで長いこと課していた行為を
する夢を見ました。実に気持ちの良い夢でした。




願ってみて、望んでみて 何を思う?




願ってみて、望んでみて
何を、何を思う

還っていく、戻っていく
何かしら見えて

ねじったって、ひねったって
全部、全部わかる

身勝手に満たされて何がおかしくて 
(それより美しい国 花音楽より)


蘇りの旅によって


還っていく、戻っていく そしてそこに何かしらが見えたのです。
それが今まで見えなかったのは 自身で その道をねじって、ひねっていたんです。

何かしらが見えた

私が今まで目をつぶってみないようにしていた
一番大切なものを 直視できる ようになれました。

無理して見るのでなく、ぼーーーっと見ているのでもなく
自然な心のあり方のまま、それができるようになったのです。


私は今まで 心の世界、夢の世界だけは自由 と思ってきましたが、

でもその自由は 

まず 現実世界と関わっている自分の心の自由、開放? 解放?あっての、 
夢の中での自由なのだと実感しました。


夢は願望の現われなんです。それから可能性をも示してくれます。

だからこそ 夢はまた 不可能をも、限界をも示してくれるのです。


今回日本を発つときに流した涙はそのまま

この世に対する私の執着だったのです。

私にはいままでこれがなかった。
あったのかもしれないけれど、自覚してなかった。

だから私の 生 は今まで 実 が伴わないものだったのです。


6月17日記


仮の世界の仮の姿  実 を伴わない 生 とは?



昨日書いた文章にこんなコメントを頂いた。

実 が伴わせる ということは、とても勇気がいって
大変なことなのではないでしょうか?
でも、所詮、人間は自分から逃げられなくなっているのかもしれません。。。


私がこのコメントに対して思ったのは。。。

実 の伴わない 生

ここで言いたかったことをもっと詳しく説明すると、
いままで私は確かに一生懸命その時々生きてはいたんですけど、


現実世界を生きている自分の体は自分であって自分ではない

ように感じている部分がたくさんありました。

自分を突き放してみていた と言えるかもしれません。

映画やテレビの中のある人物を見ていて、

ああ、私が彼だったら、彼女だったらこうしていただろう、、、

というふうに自分の現実生活をみつめ、
自分の体を動かしていたようなものだったのです。

自分と自分の生に 微妙な距離 が存在していたのです。

自分の願望や自分の気持ちが第一ではなくて
常に周囲との調和や、先の先を見て、計りながらその時々を生きていたのかもしれません。

ときどき 私自身が顔(素顔)を出すときもありましたけれど、
それが心身が一致している時間と私が表現して何度か記してきた時間でした。

でも私は自分の大切な部分の多くは
心身が一致できる現実の生活のある一時の間だけ表し、

あとは裡にずっとかくしていました。

それを出せるのは夢を含めて、

こころ を別の空間に委ねているときだけでした。

これが私の言う 実 の伴わない 生活 ということです。

自分の大切な部分は、、ここにはなかった、異空間や夢の中にあったから、、、

私にとって 

死は安らぎであったし、
生は苦痛そのもの(仮の世界、仮の姿の自分でしかないもの)だった。

だから生に対する執着など存在するはずもなかったのでした。

大学時代には そういう仮の世界での仮の自分もまた 自分である と詩に書いていた、、

だから仕事もできたし、結婚もしたし、子供も授かった。

でも そう思って20年、ちょうど20年時を経た去年の末に

そうして生きることにも限界を感じてしまったのでした。

そして 一体なぜそんなことをしてしまったのか?というと

結局、私は、

自分の素顔を人に見せることを非常に恐れていた

のだと思います。

私は物心ついたころから自分自身の中に 罪深い ものを感じていたから。


追記

上記文章にこんなコメントが


本当の自分が、人生の主役になるんでしょうか。


それを拝見し思ったことです。

本当の自分をわかっていても、
あるいは、、、わかっていればいるほど、、、なのでしょうか。。。

それを実生活のなかで片隅に、
光の当たらない場所に追いやってしまうと

私のようになりますね。。。

せめて

素顔の自分を 端役 にでもさせて 登場させないと、、、

主役(生活のなかで一番表にでている自分の顔とも言い換えられる)は化けの皮がはがれて

舞台そのものがめちゃめちゃになる

ということだと思います。
 
昨年末、私が陥った舞台とは、、、奈落 でしたから。











続く









© Rakuten Group, Inc.