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カテゴリ:私見
私は以前、 私の字(日本の文字)を母から受け継ぎ、(私の字は母の字に似ているということ) 母の字は彼女の父から受け継いだということを書いた。 そして私は幼いときから結婚に対して何の夢も希望も持っていなかったが、 自分の子供は欲しいと強くおもっていたと述べた。 それから 私が死んだら悲しまないでほしい。 死後私のために大したことをしなくて良く、 ただときどき私を思い出してくれれば十分で、 私の思い出が明るく、輝いていてほしいというのが私の願いだと書いた。 昨夜ある方の記事を読んだら、↓ 全部思い出にしちゃえば? 過ぎてしもたら どんなことでも 思い出にできる 思い出になる (ここまで引用) という文章なのだが、この文を拝見し気がついたことがあった。 私は彼女に以下のようにコメントした。 時だけが癒せることがありますね。 そしていつか私自身が誰かの思い出となる時もきます。 時の流れが、老いるということが救いとなってます。 私のコメントに対し、そのブログの管理人様は丁寧なお返事をくださった。 しかしきっと私の言いたいことは完全には伝わってはいないだろうな、、、と思って 今またコメントを付け足した。 私は自分の中に両親の祖父母のそしてその先の人々の (無形の)形見を含有していて、 私がこの世に存在するだけで(それらを)世に残しているのだと思っています。 私の母方の祖父は太平洋戦争で母が3歳のときに戦死しています。 勿論私は彼に会ったことはありませんが、 彼は私の中に確実に存在しているのです。 彼が3歳の私の母に残した思い出を、 私は亡き母から口承で伝えられました。 そして息子も私から私の祖父母、私の両親、 そして私自身を思い出として受け継いでいくでしょう。 (ここまでがコメントの文) 人は一人で生きているのではない その人の外部においても。 そしてその人の内部においても。 このことをはっきりと認識して ずーっと、ずーーーーーーっと孤独だった自分の心に 温もりを感じられた。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年02月02日 13時10分58秒
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