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カテゴリ:私見
私は自分が実際にやってみるまで、格闘技を嫌悪していた。 小学生の頃、時々父がボクシングやプロレスの試合を見ていると この人たちは馬鹿か?痛い思いをさせられたり、相手に痛い思いをさせたり、 まったく信じられない と思っていた。 ところが実際に自分が空手をやってみたら、 確かに相手を必要以上に痛めつけることは苦手であるけれど そういう意味で私の性格は格闘技に向かないのかもしれないけれど、 それでも相手の動きを見ながら自分も動く・・・ 心は冷め切っていてもいけない、冷めている、よりも醒めていなければいけない、 そして身体も熱くなりすぎてはいけない、無駄な動きをできるだけ少なくし、 如何に自分の体力を使わずに痛手を受けずに 相手にダメージを与えるかが大切になってくる。 理性を使って、そして計算して動かないといけないのだ。 身体はまた瞬間的に、本能的に反応しないといけない。 感情をコントロールしながらコントロールされた心で 冷静な頭脳を使って手足、身体を動かす・・・ ひどく難しいことでなかなかできないのだが、 それに近づこうとすることにひどく惹きつけられる。 そんなことを知ってから、 今までに自分が嫌悪して、敬遠していたことが 案外自分に向いていた、あるいは好きであったのかもしれない・・・ と思った。 そしてまた 一見苦手なタイプだなあーーーと思っていた人も その人の一部分だけを見てそのように思ってしまったのかも、 と思った。 物事の一面しか人は見ていないことがある。 そのことを自覚しないともったいないことをしてしまうかもしれない。 このことを歌っている人がいた。 大慈弥崇(おおじみたかし)と時の人 の 素振りならまかせとけ というアルバムの中にある (このアルバムの中に入っている”わかばのかおり””転がっていよう” という曲が好きです。彼は大学時代のサークルの先輩でしたが、大学時代には、一度、ある人に連れられて個人的にお会いしたことがありました。その他はサークル内のライブに出演なさっているのお姿を拝見、お歌を拝聴するのみでした。真摯な歌い方が今でも忘れられません。毎月一回高円寺で、ワンマンライブなさっています。) 内股の女 という曲だ。 タイトルをみると一体どういう曲なのか?と目が丸くなるのだが とても面白い歌詞だ。 今朝も俺の脇をツイーッと走り去って行く 自転車に乗った 内股の女 一度その顔を拝んでみたいと思うのだ いつもキュートな内股のうしろ姿 よくあることなのだ 一側面からしか見えない 物事の数々 私は学生時代この曲の主旨と逆のことを考えていた・・・ 何かを書くということはある物事を、ある視点から描いて表現するということである。 ある事柄をどんな視点から書こうか?何を問題にしようか? 何に絞り、どんな点を選んで書こうか? ということを私は考えていた。 逆をいうと、ある事柄を書くということは どんなに実際にあったことに忠実であろうとしても その人の視点が入ってしまい、結局は何かを切り落とす 何かを選ぶということになってしまうということだ。 だからどうしても人は物事や人を自分自身の眼鏡とか フィルターを通して理解(判断)してしまい勝ちであるという事なのだと思う。 物を書くにも、ある物事や人について自分で判断を下すにも たとえちょっとした事に対する好き嫌いの判断であっても、 簡単に結果を出してしまうのではなく、 何種類かの眼鏡やフィルターを使って見たほうが 一つの物事の多側面が見えてくるという事は言えると思う。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年02月02日 13時24分35秒
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