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カテゴリ:私見
今までいろいろと自分の過去を振り返って書いてきたことを 読み苦しくお思いの方も多々いらっしゃることであろうと思い、、 だからこそお読みくださった方々がいらっしゃることに感謝している。 私がこれらのことを書いて伝えたかったことは 私の場合、人の縁とはつくづく自分ではどうにもならないのだな。。。 ということ。 そして人の縁によって私の人生もまたそうであった。 少なくともここまでは。今後はまだ定かではないが・・・ 私は夫と出会うべくして出会い、 ここに来るべくして来たのだなと思わずにはいられない。 そのことを後悔している訳では決してない。 今こうやって幸せな生活があることを、 なんの不自由もない安定した生活があることを 感謝していることも事実だから。 でも、でも、運命決定論って私が最も嫌いで 受け入れ難いことだったし、今も受け入れ難いと思っている自分がいる・・・・ それが苦しくて、苦しくて、どうしょうもなくなる時がある。 私が精一杯自分なりに考えて生きてきたことって そんなものなんだと思い知らされずにはいられないから。 自分の枠を壊して、しがらみをすべて捨ててここへ来たと思ったのに、 私は孫悟空と同じで、キントン雲でここまできたら誰もこられないだろうと思っていただけだったのか? 実はお釈迦様の手の内だったのか? そして私は、自分ではどうにもならない私というものを ずーーーと感じていたが、人生を決めるような重要な選択には その自己コントロール不可能な自分が関っているような気がしてならない。 今、ここにいるご自身の姿をもう一度考えてみてほしい。 自分はなぜここに?どのようにここへ導かれたのか?と。 そこからどうにも変え難い、自分の本質がみえてこないだろうか? 私が夫と出会ったことはほんの偶然であり、 何かの、おそらくそれは神の気まぐれでも起こったのだとしか思えない事だ。 しかしそれは確かに 神が為された事 だったのだと私には思われてならない。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011年04月23日 02時42分53秒
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