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エステキャリアと子育ての両立に挑む女性起業家:試練を乗り越えた勇気と希望の物語

エステキャリアと子育ての両立に挑む女性起業家:試練を乗り越えた勇気と希望の物語

ハワイの歴史

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****ハワイについての学び*********************

ハワイ州はアメリカ合衆国50番目の州であり、

大きさ順にハワイ島、マウイ島、オアフ島、カウアイ島、モロカイ島、
ラナイ島、ニーハウ島、カホーラウェ島の8島から成立しています
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位置はハワイ諸島の東南端。面積は1万443平方キロメートル、人口約12万人。火山活動によってできた島で、休火山のマウアケア山(標高4205メートル)など、山がそびえ立っています。
また、現在も噴火を続けている火山もあります.

ハワイの最初の住民はポリネシアという民族です。このポリネシアという人々は文字を持たなかったため、ハワイの昔の歴史を知ることは困難ですが、

口頭伝承が多く残っており、また歴史家の研究により、ある程度のことは解っています。

それによると、紀元前700年頃にハワイに彼らが住み着き、魚を主食とし、タロイモを栽培して食べていたそうです。

ハワイの気候は、夏と冬の気温の差があまりないことが特色。年平均気温は24℃です(ただし、場所や高度によって気温が違うので注意)。
降水量は基本的に、東側が降雨が多く、西側が少ないと言った状況です
12~13世紀にタヒチ人も移住(とはいえ、これもポリネシア人系です)。

そして、この頃から権力闘争が発生していきます。さらに身分制社会が到来。

アリイ(王族)・カフナ(神官)・マカアイナナ(平民)・カウバ(奴隷)の4つです。

前者2つが貴族階級であり、また、女性に対する禁制や差別も存在しました。

 また、古代のハワイの人たちは、先祖が神であったと考えていました。アリイ(王族)という身分の人々は、その中でも特に神とつながっている家系・マナとよばれる神の精神を受け継ぐ家系と思われている人々で、さらにアリイを束ねる最高権力者はアリイ・ヌイとよばれます。

この、アリイ・ヌイという地位は父子相伝、つまり親から子に受け継がれる地位ですが、当然それを巡って争いが起こります。

古代ハワイは元々、文字が無かったため歴史や文化などが全て口伝えやフラのように、手や体の動きにより伝えられてきました。

18世紀にカメハメハ王朝時代にカフナと呼ばれる専門的な知識を持つヒーラーから、選ばれた者に伝えられ、何世代にも渡り
その血族内に受け継がれてきた技術
ハワイアンロミロミ.

ロミロミは血族内の継承とされる受け継がれたものしかできなかった秘伝のロミロミでした。

19世紀になってやってきた熱心なキリスト教宣教師によってハワイにも

アルファベットが伝えられ、それまでの口承が結構、文字として記録されるようになったために、他の太平洋諸国と比べると格段に「古代の」資料が豊富なのもハワイの特色です。

ハワイアンロミロミが世界各地のヒーラー達に伝わるようになったのは、

1978年ロミロミの最高権威とされ、ロミロミ界においても神様のような存在、
「アンティ・マーガレット・マシャド女史」が血族内の継承という禁を破り、

「こんなすばらしいものを世界に広め、よりい多くの方に愛を伝えたい」とお役に立つのではないかと家族以外の人々に
ロミロミの技術を伝え始めました。

そして、世界各地にロミロミが伝わるようになったのです。

ロミロミとは、ハワイ語で「揉む、こねる、押す、分解する」という意味あります。身体を労わる事により、心の不調も癒すことができると信じられ、心・体・魂の調和を願って受け継がれてきました。ハワイでは古代より治療目的で行われてきたのですが、そのヒーリング作用は身体的効果のみならず、精神的効果もあるといわれています。

ハワイアンロミロミとは、ハワイ諸島で発祥したヒーリング技術です。

ハワイは、誰でも気軽に遊びに行けるという広い間口を持ちながら、
古い伝統や文化を大切に伝え続けているという奥深い面も併せ持っています。

そのようなハワイの奥深さに魅力を感じる人々も増えてきつつあり、日本でもハワイアンロミロミを学ぶ人たちが増えています。しかし残念なことに、ロミロミの背景となっているハワイの神話や歴史について日本語で学ぶことのできる本はまだまだ少ないのが現状です。

また、ロミロミは本来、口承で伝えられてきたものであるため伝えられている話が食い違うこともあるようです。
ソワンエステサロンMaryGrcaeで行う
ミュージティシャン式ロミロミの効果*

ロミロミを施すことで血管を拡張させ 細胞に運ばれる新鮮な栄養素の供給量が増加し、体内から老廃物が除去するお手伝いをしてさしあげます。

静脈中の血液を心臓へと送り戻すお手伝いをしてさいあげます。  
とくに末端の体液のめぐりが 促進することで体内の毒素を排出できます。

 また、デスクワークや立ち仕事が多い方、運動不足と感じる方には緊張した筋肉を緩めたり伸ばしたりし、筋肉の調子を良い方向へと促します。

筋繊維が癒着することにより動きが制限されるのを防ぎます。
ロミロミのいくつかのテクニックは神経系に刺激をあたえ、 鎮静効果をもたらします。

日常生活で気をつけてはいても自然に積もってしまう緊張を解きほぐし慢性的な肉体の緊張も解放することで感情的なよろいや痛みを緩和し生命エネルギーの力を大きくします。

オイルを使用し、深い圧をかけていくことにより血流中への脂肪の再吸収をうながしてくれます。

良質なオイルは肌の分子よりももっと小さな分子で肌からすっと血管内に入り込み老廃物排泄促進流してくれます。また母なる大地の恵でもあるオイルは「抗酸化物質」や「抗アレルギー物質」が肌から吸収され体内を巡りますのでお肌もつるつるになり、血行促進にもやせやすい体質のお手伝いにもなります♪
年齢、性別に関係なく、こころとからだ・・すべてを愛情持って迎えられ、

慈愛に満ちた手のひらで大切に大切に触れられるとき、脳からの刺激でこころもからだも良いほうへ変化を起こそうとします。

ハワイには、8つの島があり、各島にカフナやロミロミのクム(先生)がいました。そして、その技術は本当にさまざまです


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ハワイの歴史

有史以前

A.D.3c-5c  マルケサス諸島方面より、ポリネシア人渡来
A.D.10c-13c ソシエテ諸島(タヒチ)方面より、ポリネシア人大量渡来
         ハワイ諸島、ほぼ各島毎に豪族が群雄割拠
*********(伝承されている出来事)*****************
8世紀頃  ウル王朝とナナウル王朝成立
11世紀頃 サモアから高僧パアオ漂着。ピリ王朝成立
13世紀頃 モイケハがカウアイ島で王位に
13世紀頃 タヒチからラア訪問。パフ・フラが伝わる
15世紀頃 ハワイ島でウミが王位に
***********************************************************
1778  イギリスよりクック来航。サンドイッチ諸島と命名
1779  クック船長、ハワイ島ケアラケクア湾で殺害さる

ハワイ王国時代
1795  カメハメハ1世(大王)ハワイ王国樹立を宣言
1810  カウアイ島恭順、ハワイ諸島統一完了
1817  カメハメハ大王没 リホリホ王即位(カメハメハ2世)
1820  宣教師団上陸
1824  リホリホ、ロンドンで麻疹により客死
      弟カウケアオウリ即位(カメハメハ3世)
      実権はカメハメハの妃の1人であったカアフマヌ摂政に
1825  カアフマヌ、ペレ否定、宣教師たちの時代へ
      1831までに5万人の先住民が告発された(全人口の2/5)
      さとうきびプランテーション、文化破壊進行、伝染病蔓延
1854  カメハメハ1世の孫、アレキサンダーリホリホが4世に
1863  弟ロッドカメハメハが5世に
1866  マーク・トウェイン来布。「Letter from Hawaii」執筆
1868  ハワイ人の人口激減対策で日本より無許可移民「元年者」渡布
1872  カメハメハ王家の血筋断絶
1873  ルナリロ王即位(議会で選出)
1874  デビッドカラカウア王即位
1881  カラカウア王世界周遊。日本にも立寄。移民要請、婚姻要請
1885  日本より官約移民開始
1893  リリウオカラニ女王幽閉、ハワイ暫定政府成立

共和国
1894  ハワイ共和国成立(ドール大統領)
      観光保養地としての再開発開始(法律61号成立)
1898  アメリカ合衆国、ハワイ併合
アメリカ領時代
1901  モアナホテル完成
      アラワイ運河を掘削した土砂でワイキキを埋め立て
1903  ハワイ宣伝委員会(のちのツーリストビューロー)設立
1925  マティソン汽船(マロロ号)就航
      ロイヤルハワイアンホテル(ピンクパレス)完成
      ハワイ観光地化本格化
1935  ハワイコール(ラジオ)開始。影響大
      軍事基地ハワイとしての軍需景気
1941  日本、真珠湾攻撃。太平洋戦争勃発
1943  日系2世中心とした第442連隊、第100歩兵大隊結成、ヨーロッパ
      戦線にて死闘、猛躍。日系ハワイ人の評価急速に向上
1945  太平洋戦争終結。
      軍需景気の後退と共に、さらなる観光化、大衆化
ハワイ州
1959  ジェット機就航。
1959  立州化。ハワイアンブーム
      ハワイアン・アイ(探偵物のTV番組)人気:1959~1963
1970  ジャンボ機就航
1970-  ハワイアン・ルネッサンスの動きはじまる
1976  ホクレア号第1回タヒチ航海
1980-  日本人観光客急増
1993  ハワイ王朝転覆100周年記念式典

o アロハ・スピリットとは、

ハワイの島の人々の人柄として、すべてを受け入れる心・精神を云います。
  Aloha の Alo  - 「今」存在する。この場合、スピリットが存在する事を示す。
Ha - 生命、呼吸、人生を生きる。源。
「自分の中にスピリット(光りの子供あるいは魂)が存在する事を自覚して生きる、呼吸をする(その繋がり・一体感を感じる)」という事です。

このようなすばらしい意味を含む言葉をHelloという挨拶にしているという事は、その言霊の持つすばらしい波動がAlohaという度に広がっているという事になります。

更に詳しく
 
A・・・AKAHAI   ⇒優しさ・愛情のこもった思いやり

L・・・LOKAHI   ⇒統一性・調和

O・・・’OLU‘OLU ⇒感じの良さ・心地よさ

H・・・HA‘AHA‘A ⇒謙虚・謙虚さ

A・・・AHONUI   ⇒我慢・忍耐


 ハワイの意味 (正式にはハヴァイ'イと読みます)
Hawai'i の Ha(ハ)は、息、呼吸、生命の流れ、神聖なものとのつながり。
Wai(ヴァイ)は、水
  i(イ) は、スピリット、高次元の力

文化
タヒチから来た最後の航海人の中に Pa’ao(パ・アオ)という宣教師がおり、
サモア人のチーフ、Pili(ピリ)を連れていました。チーフ、平民、そして宣教師
で成すカースト制を基に、国政と社会制度を築くためです。 Paÿao は宗教的儀
式を執り行う場 heiau(ヘイアウ)の建設も指揮。 Kohala(コハラ)に残る
Mo’okini(モ・オキニ)と、Puna(プナ)にある Waha’ula(ワハ・ウラ)が
それです。生きるもの全てに宿る精神的な力とエネルギーmana(マナ)を守る
法 kapu(カプ)も設定されました。何故かタヒチ人の移動は1300年頃に途
絶え、この古い文化の上にハワイ独特の文化が生まれ始めたのです


石と木
この時代ハワイには鉄がなかったため、ハワイ人は巧みに石を使い、手斧など
様々な道具を作りました。純度の高い玄武岩が鋭い刃になることを見い出し、
各島に採石場を設置。最も有名なのは Mauna Kea(マウナ ケア)の急斜を
上がった採石場です。ボウル、槍、彫刻等には木がよく用いられました。
無駄なものはゼロ
ハワイ諸島内で生活していた古代のハワイ人は、貿易をせず、外国人との接触も
ありませんでした。自給自足の彼らは物を捨てることをせず、何でも最後まで
最大限に利用していました。
岩面陰刻
岩に描いた彫り物を岩面陰刻といい、当時のコミュニケーション方法の1つ。
古代ハワイ人は事実、アイデア、そして文化をこの岩面陰刻により伝えていたの
です。

文化伝承の歴史
文字がなかった
古代ハワイ人の記憶力の素晴らしさは、いくら評価してもし足りないほどです。
文字を持たなかったにもかかわらず、位の高い kahuna は、何百代にも及ぶ
彼らの系図を暗唱していました。何千行にもなる叙事詩も逐語的に、しかも全て
記憶力だけを頼りに暗唱したといいます。青写真なしでカヌーを完璧に造り、
荒天候を察知し、何千キロと離れた沖の波を読む能力を彼らは持っていたのです。
彼らが建てた正確な長方形の家々は、厳しい自然にも耐えられるものでした。
チャントとフラダンス
同じように、部族の系統を伝え、特別な祭りごと(カヌーハウスや住宅建設の
完了、またタロ芋畑 lo’i kalo の清めなど)の話を語り、ときには神々、先祖、
チーフを褒め称える席や、ロイヤルファミリーの新生児誕生の祝いに演じること
があったチャントとフラダンスにも、正確で優れた記憶力が必要とされていまし
た。エンターテイメント以上に、チャントは文化の歴史本と考えられていたの
です。

宗教
古代宗教は自然参拝の1つであり、魂の力と躍動物の力、あるいはエネルギーと
いった生けるもの全てに宿る mana(マナ)に感謝することでした。

4つの神
Käne(カネ)
光、命、水等、生命を司る神。


Lono(ロノ)
平和のしるし、農耕/収穫と雨の神。毎年秋になると祭られ、Makahiki(マカヒキ)と崇められました。争い事は中断されて競技が催され、 ali’i と
maka’äinana の上下関係は緩和されました。


Kü(クー)
戦争、力、強さ、薬、森と漁の神。人間を捧げ物にして崇めた唯一の神です。
Kanaloa(カナロア)
海の神。
特別な神
漁やカパ作り、カヌー造りや住宅建設にはそれぞれの神がいました。


’Aumakua(アウマクア)
一家を守る霊。通常は動物の姿を借りて現れます。家族を守り、誤った道に進みそうになったとき助けに来ると信じられています。
Heiau(ヘイアウ)
重要な参拝場所。これにはいくつかあり、Kü(クー)の名の下に建てられ、
人間を捧げた神殿、動物や野菜を Lono(ロノ)へ捧げる神殿、医学を
教える神殿 ho’öla(ホ・オラ)、戦争やタブーを破る犯罪が起こった際に
避難する神殿などがあり、今でも残っています。
Kapu 制度
生活における規律と罰則を定めた、最も複雑で発達した制度です。法と宗教が混
合し、罪の処罰は非常に重いものでした。例えば女性は豚、バナナ、ココナッツ、
決められた種の魚を食べることは禁じられ、男女は別々に食事をし、
maka’äinana は ali’i に近づくことは許されませんでした。

ハワイの価値観

古代ハワイ人は分け合い、労わりあい、お互いと自然を尊重し合い、そして全てを愛するという、過去500年間彼らの生活を培ってきた価値観を大事にしていました。


OLA(オラ)
意味は命と健康。精神、身体、そして、健やかな魂のバランスがとれていなければ、人生は謳歌できないという意味です。

KOA(コア)
コアには沢山の意味があります。ここでは勇気を表わす言葉として使うことにします。諸問題に対処し、成功を収めるには勇気が必要です。その問題が身体的なものでも精神的なものでも、あるいは心の病でも社会問題でも同じ。勇気のある人は、どんな難関にも屈することがありません。

IMINA’AUAO(イミナ アウアオ)
意味は知恵の探求。太平洋を何千キロと渡った航海人 ho’okele(ホ・オケレ)から、何百という植物の効能を教えた医者まで、私たちの先祖

kuuml;puna(クプナ)は知恵ある者を敬いました。日々知恵を探求することにより、私たちはどんな者にも成れ、自分と家族の人生を豊かにできると考えていたのです。

OHANA(オハナ)
意味は家族。家族は私たちの土台です。家族’ohana には 1 人1人役割があり、子供 keiki(ケイキ)から祖父母 kupuna(クプナ)まで、それぞれがなくてはならない存在でした。ハワイ文化にとって家族は個人に対する愛と支えの源。家族愛に深い者は他人をも愛することができるからです。

LAULIMA(ラウリマ)
意味は協力。協力すれば、1人ではできないことでも成しえます。尊敬が
Laulima の最も大切な要素。個人の夢と大志は敬われ、育てられるべきもの。
物事を達成するには協力し、共に働き、それぞれが持つ個性と技術を敬うべきと考えていました。

PA’AHANA(パ・アハナ)
意味は勤労。勤労は威厳と自信をもたらします。昔のハワイ人は「自分の生計を成り立てれば、食物を手にしプライドで食べられる」と言っています。カヌー造りからカパ作りまで、充実した労働は尊敬され奨励されました。勤労をいとわない人に実現できないものはないからです。

KOuml;KUA(コクア)
意味は助けること、あるいはアシスト。助けが必要なとき、頼れる家族や友人がいるのはよいものです。人は報酬のためではなく、その人を気にかけているからこそ誰かを助けるのだとハワイ人は信じています。人への助力を惜しまない者には、必要なときに周囲からも手が差し伸べられるものです。

ALOHA ’ÄINA(アロハ アイナ)
意味は大地の愛。大地を守り育む者は大地から守り育まれ、食物、水、生活の場が常に与えられるという、ハワイ人の根本的な価値観を表わしています。大地は人がいるべき場所、誇り、継承、歴史、継続とは何なのかを感じさせてくれます。
しかし、自然環境とはもろくバランスの壊れやすいものです。大地、海、空気を汚し、資源を使い尽くせば生活と将来が危機に陥ってしまいます。

HO’OPONOPONO(ホ オポノポノ)
意味は正すこと。仲間内で問題が起きたときは皆が平等また公平に扱われ、家族の年配者と当人間で穏やかに話し合いが持たれました。問題が解決するまで誰1人として退席することは許されませんでした。

HO’OPONOPONO(ホ オポノポノ)はハワイアンにとって、日々の生活に平和、愛、健康、そして幸福をもたらす為の最も神聖な方法と考えられています。それはハワイで古代より伝えられ(今日の様式に合うように統合され)、自己のうちに在るストレス、や不均衡、病気を引き起こすような問題、妨害からの開放可能にします。
HO’OPONOPONO(ホ オポノポノ)は、真の自由を作り出し、心理的苦痛や肉体的な病気に結びつくような、過去の恐怖、感情、考えや意見を取り除きます。
 ロミロミは、技術は4分の1位で、残りは施術者の心のあり方が大事だとも言われています。

そこで、大事なのが、ホーポノポノという教え。

さまざまな意味があります。正しいことをしなさい・・・人を判断して決めつけないように・・・許しましょう・・・。
などなど。
 例えば、ハワイの人々は一日の終わりに夕日を見ます。夕日を見る時に、その日あった嫌な出来事を夕日と一緒に海に沈めて、水に流すのです。その日あった嫌なことは、その日のうちに解消して、明日に残さない。許しましょう。

 ロミロミを施術する時にも、ホーポノポノは大事なこと。自分の心のネガティブな部分も相手に伝わってしまうので、常に自分の心がホーポノポノであるように、祈りながら施術を進めていきます。謙虚であることも大事なのだと思うのです。自分が施術して相手を癒してあげるのだ・・・という気持ちではなく、自分を通して大地のエネルギーが相手に伝わり、自然治癒力を高めていくと、思いたいものです。まずは、施術する者の心がクリアーで幸せな状態であることが、とても大切。

皆様にとって何かヒントやきっかけがみつかりますように

今日も一日素敵な日でありますように。


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