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凡声庵閑話:南正邦の覚え書き Minami Masakuni

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2005.12.07
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カテゴリ:謎解き
岩波文庫の「ブッダ最後の旅」を読んで驚いた事があります。

チュンダが食べたきのこ料理が原因で、釈尊が亡くなったことになっています。本来釈尊を死に至らしめたチュンダは責められるべき人物であっていいのに、わざわざ大パリニッバーナ経では、釈尊はこのチュンダを褒め称えられております。


以下同書109ページより
(毒と知りながら食する)

************************************************

「チュンダよ。あなたの用意したきのこ料理をわたしにください。また用意された他のかむ食物、柔らかい食物を修行者にあげてください」と。
それを食した後、釈尊は
「チュンダよ。残ったきのこ料理は、それを穴に埋めなさい。神々・悪魔・梵天・修行者・バラモンの間でも、また神々・人間を含む生きものの間でも、世の中で、修行完成者(如来)のほかには、それを食して完全に消化し得る人を、見出しません」と。
その後
さて、釈尊が鍛冶工の子チュンダの食物を食べられたとき、激しい病いが起り、赤い血がほとばしり出る。死に至らんとする激しい苦痛が生じた。尊師は実に正しく念い、よく気をおちつけて、悩まされることなく、その苦痛を耐え忍んだ。
さて尊師は若き人アーナンダに告げられた、「さあ、アーナンダよ、われらはクシナーラーに赴こう」と。

************************************************


この本の注釈では、きのこ料理を、上等の野豚の生肉とも、豚に探させるきのこの一種の料理とも書かれています。
またチュンダを蔑視された職業の人物と紹介しています。

すなわち、釈尊は、鍛冶屋の子のチュンダが差し出した、野豚か、きのこ料理が元で亡くなるのですが、出された時、これは危ないと思って、弟子たちには食べさせないように勧めていながら、自分はそれを食しています。そして食べ終えて、これが食べられる者はいないと、穴に埋めて捨てさせています。

釈尊はチュンダが供養する食事を食べると自分は死ぬとわかっていながら、それを受けられたという事になります。

そして、釈尊はアーナンダにチュンダをほめるように言いなさいと伝えています。

123ページ
(束縛が解きほごされた)
************************************************

誰かが、鍛冶工の子チュンダに後悔の念を起こさせるかもしれない。友、チュンダよ。修行完成者(釈尊)は、お前の差し上げた最後のお供養の食物食べてをお亡くなりになったのだから、お前には利益がなく、お前には功徳が無いと言って。
アーナンダよ。鍛冶工の子チュンダの後悔の念は、このように言って取り除かれねばならぬ。
友(チュンダ)よ、修行完成者(釈尊)は、最後のお供養の食物を食べてお亡くなりになたのだから、お前には利益があり、大いに功徳がある。
(中略)修行完成者(釈尊)が(成道後初めて食べた)供養の食物を食べて無常の完全なさとりを達成したのと、および、このたびの(チュンダの)供養の食物を食べて、煩悩の残りの無いニルヴァーナの境地に入られたのとである。この二つの供養の食物には、まさにひとしいみのりまさにひとしい果報があり、他の供養の食物よりもはるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる功徳がある。

************************************************

悟りを開いた最初の食べ物と、死ぬ間際に食べた最後の食べ物には大いなる果報があると褒め称えています。

ここで釈尊がチュンダの食べ物を食するという事は、
死を招くと知っていながら食す。
これをどう解釈すればよいのでしょうか。

自殺ととらえるのでしょうか。
殉死ととらえるのでしょうか。
チュンダに何かを託して命を絶ったととらえるのでしょうか。

これが「ブッダ最後の旅」で浮き上がった謎です。





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Last updated  2005.12.10 15:14:13
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