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カテゴリ:随想
すいどーばた美術学院のSASNEWS'81 vol.39より 昭和56年度 SAS NEWS 一面 東京芸術大学合格者 福田美蘭: 深谷泰: 雨宮弥太郎: 自分は何をやりたいのか 東京造形大美術学科彫刻 南 正邦 私が彫刻について目覚めたのは、2浪目の受験が失敗した時からでした。 それまでは美術や彫刻というよりも自分がよくなりたい、また日本美術界がどうのこうの、俺が行く大学ほ芸大でなければならないと、自分の心の中を見つめることもできず、ただ大学に受かりたい一心で、形ばかり追いつづけ、理論・理屈ばかり並べていました。 発表の日の夜、登坂先生宅へ電話したところ、今からでも俺の所へ来ないか、と言われるままに3日3晩、飲みあかし話しあいました。そして、自分というものを深く見つめようと、しばらく受験を忘れ、いや受験、受験と思い込みすぎていたため、自分ということを忘れていたことに気付きました。 そして3ケ月、四国のいなかに戻って、私は子どものように書物をむさぼり読みました。今まで何をしてきたのか。受験が全ての自分に何が残っているのか。自分は何をやりたいのかと問い続けました。 人に見せるためのものではない。本当の彫刻は形ではない、その心だ。その心を形に刻むのだ。その心を磨くことにより、その心が形になってあらわれるのだ。我の主張ではなく、他を批判したり、反発したりすることが本当の強さではない。ただ、今の自分がやろうとしていること、この場合、一枚のデッサンをいかに自分の納得のいくようつっこんでいけるか。それだけで私の喜びとなり、それを先生か受け入れない時は、先生の意見を聞き、自分の考えをぶっけることによって、更に私の目標はもっと対象に近づいていくことになって行きました。 また3浪目からは、すいど-ばたの近所の椎名町に住みましたので、彫刻科だけでなく、油画科、デザイン科の人たちとも、深く友だちになれたことも大きいことだと思います。同じ目的を持って勉強し合う仲間たちがいることによって、今まで一面的な見方しか出来なかったものから、多面的なものの見方ができるようになり、また自分のくせの悪い所を指摘していくのです。いいところはいいとも言うのです。友達はそういう面で先生と違って教えるというより盗もうという気持ちがあるのか、うまさにはすごく謙虚になれました。夜を徹して話し合ったこともありましたし、それだけでなく生活面でも助け合いながら共に勉強していきました。 一方、デッサンは自分の心の鏡と思い、見たものをありのまま描けることを目標にしました。そのまま描けないのは自分の心のどこかにそれを妨げる、よこしまな心があるからだと思い、日常生活の一つひとつから気をつけて、投げやりな心ぐせ、熱しやすくさめやすい心ぐせ、興味本位とか、ただ漠然と描くなど、すべて生活の中から出てくるものと思い、そこから始め、素直にものが見える自分となっていくよう努力しました。 それだけでなく古典の作品も研究し、どうしてこういう線をひくと、こう見えるのかなど、調べていくうちに図学や測量学における表記法や人間工学における効果などをも研究してみました。 (香川・高松第一高校卒) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.09.01 20:35:04
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