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テーマ:城跡めぐり(1247)
カテゴリ:歴史同好会(城・館・砦)
【訪問日:2023年(令和5年)9月27日(水)】
※ 公式HPより 金山城は、戦国時代に造られた城で、金山全体の自然地形を利用して造られた「山城」という種類の城です。まだ天守閣がつくられるより古い時代の城であり、堀切や土塁・石垣など土木工事(普請)を中心とした遺構がよく残されています。 山頂を中心として金山全山にその縄張りが及ぶ金山城跡は昭和9年(1934)に国の史跡指定を受けました。 太田市と太田市教育委員会では、平成4年度(1992)から発掘調査を開始し、金山城時代の通路形態の復元を中心とした、遺構の保存整備事業を実施して参りました。また、平成18年(2006)には公益財団法人日本城郭協会により、「日本100名城」に選定されています。 名称 金山城跡(かなやまじょうあと) 指定区分 国指定史跡 所在地 群馬県太田市金山町40-106ほか 指定年月日 昭和9年(1934)12月28日 平成14年(2002)9月20日追加指定 指定面積 97.8ヘクタール 当初の指定範囲は、金山の山頂を中心とする実城から西城までの尾根部分の18.3ヘクタール。追加指定範囲は、北城(坂中)・八王子山の砦・大手筋の士屋敷等を含む79.5ヘクタール。 時代 築城 文明元年(1469) 廃城 天正18年(1590) 歴代城主 新田岩松氏、横瀬・由良氏、小田原北条氏 特徴 標高239mの金山山頂の実城(みじょう)を中心に、四方に延びる尾根上を造成、曲輪とし、これを堀切・土塁などで固く守った戦国時代の山城です。特筆されるのは、石垣や石敷きが多用されていることで、従来、戦国時代の関東の山城に本格的な石垣はないとされた城郭史の定説が金山城跡の発掘調査で覆されました。主な曲輪群は実城・西城・北城(坂中・北曲輪)・八王子山ノ砦の4箇所ですが、山麓にも、城主や家臣団の館・屋敷があったと考えられ、根小屋(城下)を形成していたと見られます。 ※ 金山城跡 〈金山城跡(群馬県太田市金山町40-106)〉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年12月26日 21時00分34秒
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