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実は現在他のブログでベトナム旅行記を書いているため、なかなかこちらを更新できません。 ただ、前回のチャム彫刻博物館のように芸術関連のものは、こちらにも記述していきます。 ![]() 2006年8月6日(日)13:00 - 15:00頃 上の写真は8月6日の昼にいった、ベトナム4つの世界遺産の1つで、1999年に世界遺産に登録された、チャンパ王国のミーソン遺跡郡の写真です。 中部の都市、ダナンから車で1時間30分くらいで、四方を山に囲まれ、南に聖なる山マハパールヴァタがそびえる盆地の中央にあり、緑の森と遺跡が融合した美しい景色が広がります。 現在70位の遺跡が見つかっているそうで、日本も発掘や研究に協力しているそうです。 1つ1つの建物の外壁に多くの彫刻が施されており、美しい建物が多いです。 最初にこの遺跡を発見したフランス人はどれほどの感動を得られたのでしょうか。 想像するとぞくぞくしますね。 実はここはベトナム戦争時、解放軍(現在の政府軍)が本拠地としていたため、アメリカ軍の空爆で多くの建物が破壊されたのだそうで、その傷跡も多く残っています。 悲しそうに、あるいは残念そうに話すガイドさんは複雑な表情でした。 幾つかの建物は小さなミュージアムのように、像等を展示しています。下の写真のものはシバ神です。 チャム彫刻博物館とあわせて見ると、理解が深まり、とても面白い遺跡です。
![]() 今日はちょっとフェルメールから横道にそれて、先月はじめに行ってきたベトナム旅行で、芸術関連について書きます。 2006年8月5日(土)15:00頃、2世紀から17世紀にベトナム中部以南で栄えたチャンパ王国の遺跡から彫刻類を集めたチャム彫刻博物館に行きました。 写真は破壊神シバ神の石像の写真です。 この博物館はこのように色々な彫刻を保存しています。 チャム族は17世紀に、グエン朝を起こしたキム族に滅ぼされた後、現在は南部山岳地帯にひっそりと暮らす少数民族になってしまったのです。 シバ神の石像等からもわかるように、チャンパ王国がインド、ヒンズー系の文化を継承している文明です。 ちなみにシバ神は創造を前提とした破壊を行う神様だそうで(ガイドさん受け売りです)、そう考えると”破壊”と”神様”という相反する2つの概念を持つのもわかる気がします。 日本では七福神の大黒天になっており、何故か悪いイメージは無くなっていますね。 ミーソン遺跡の彫刻はフランス人によって多く破壊され、また一部フランスに持っていかれているものも多いそうです。 ミーソン遺跡を見る前に、この博物館で基礎知識をつけていくと楽しさ倍増です。 日本語の説明書きなどもあり、多少の時間をとって見に行く価値は充分あります。
![]() 「この中断された音楽の稽古」は「二人の紳士と女」と同じ1660年~1661年頃に書かれた作品です。 絵の構成は、「二人の紳士と女」などとも非常に良く似ていますね。 しかし、この絵は、「二人の紳士と女」や「紳士とワインを飲む女」に見られる遠近法の失敗点を解消する工夫がなされているのです。 わかりますか? 正解は、「右下のタイルのゆがみ」を解消するために床を描かないことなのです。 (2006年07月14日参照してください。) 意外な解決法ですがシンプルな考え方ですね。
「二人の紳士と女」と似た構成の絵である2006年07月10日の作品「紳士とワインを飲む女」と比較をしてみると、構成はとても似ているのですが、彩色には随分と違いがあるようです。 「紳士とワインを飲む女」は粘りのある絵の具で時に厚塗りをしつつ事物の質感、光のが濃密に表現されています。 これに対して「二人の紳士と女」は筆致は、例えばワインを勧めている男性のマントを見てもわかるように、より滑らかで洗練の度を増しています。 また、机のタペストリーもきっちりと書き込まれている「紳士とワインを飲む女」に比べ、「二人の紳士と女」はとても滑らかな描き方になっています。 多分2年の間隔は無い間に描かれた2作品の違いからみて、この時期にフェルメールが色々な技法にチャレンジしていたことがわかります。
![]() 1653年に結婚したフェルメールは、1660年頃に義母マーリア・ティンスと同居を始めています。 そhして1661年ようやくフェルメールと娘のカタリーナ・ボルネスとの結婚を承認しています。 この前後頃からの作品が非常に充実しています。 もっとも1660年台は風俗画のレベル全体的に向上しており、フェルメールも幾つかの同じような構成の絵を試し、レベルを上げていっています。 「二人の紳士と女」は1660年~1661年に描かれたとされており、「紳士とワインを飲む女」とほぼ同じ構図で描かれた絵になってます。
デルフトの眺望の基礎データです。 【作品名】 ・デルフトの眺望 【作成年月】 ・1658(デ・フリーズ説) ・1660-61(ウィーロック説) ・1659-60(小林頼子説) 【種別】 ・油彩 カンヴァス、96.5×115.7 【所蔵場所】 ・マウリッツハイス美術館 オランダ デン・ハーグ 作品年表も更新しましたので、そちらもご一読ください。 大分作品も増えてきました。
7/21に書いた、1654年のホラント州西フリースラント州の火薬庫の大爆発が、フェルメールが風景画を描いた一つのきっかけと書きましたが、フェルメールが「デルフトの眺望」を書いたきっかけをもう2つ、計3つほど挙げる研究者もいるそうです。 1つめは上記の火薬庫の爆発で、デルフトの北側の街は破壊されましたが、スヒーダム港を中心とする街の南側は完全に被害を免れ、17世紀以前の古く美しいイ町並みを残しました。 2つめは、1660年1月にスヒーダム門の後ろの武器庫での火事です。 1654年からわずか6年後の火事で、デルフトの市民に大きな印象を与えたと記しています。 3つめは1660年5月25日のイギリス王チャールズ二世のデルフト立ち寄りで市民は大歓迎で迎えました。その訪問場所がスヒーダム港だったことです。 以上の3つの事柄からスヒーダム港はデルフトの市民に特別な思いを持って見られている場所であることが、フェルメールが「デルフトの眺望」を書く場所に選んだとされています。
![]() ちょっと画像が小さくてわかりにくいかもしれませんが、図の赤丸で囲んだ、日の光に照らし出されている塔は新教会なのですが、素通しで向こうが見えているのです。 記録によると、デルフトの新教会のカリヨンは1660年9月頃から2年ほどの時間をかけて取り付けられているようです。 よってフェルメール絵は1660年9月以前の状態を表していることになり、この作品の製作年月日を決定する一つの根拠となったそうです。 この事実は2人の研究者ラウラ・メイリンク・フーデマーケルとベン・ブローズにより、1997年頃発表されたそうです。 フェルメールの絵に関して、リアルタイムで研究が進んでいるトピックとして、何かわくわくする話ですね。 ちなみにカリヨンとは、日本語では”組鐘”などと訳されており、多数の鐘を音律に従って配列し、鍵盤や機械仕掛けにより打ち鳴らす楽器で、例えばベルギーのブルージュのベルフォルトなどは世界遺産として有名です。 何時間でも聞いていたいような素晴らしい音色でした。
フェルメールが「デルフトの眺望」を描いたスヒーダム港の対岸の位置には、描かれた範囲を示すパネルが立てられています。 デルフトに行ったときに写真を撮ったつもりだったのですが、どこにいったかわからず・・残念です。 ロッテルダム門今は無く景観は全く変わっていますが、新教会、旧教会の位置などは当時のままでなかなか感慨深いものがありました。 皆さんもデルフト行くことがあれば、是非行ってみてください。
本日はまたもフェルメールから脱線して、先日まで旅行に行っていたベトナムのことについて、備忘のため、書いておきます。 ハノイでもホー・チ・ミンでも驚いたのが、絵を売っているお店の多さです。 他のお土産物屋や雑貨店に混じり絵画商が多く、「ベトナムの人は絵がよほど絵が好きなのか?」と感じていました。 ガイドさんに聞いたところ、作者はベトナム人だが買い手はほとんどヨーロッパの人で、ホー・チ・ミンは世界でもっとも多く絵の売買がされる土地であるとのこと。 世界一かどうかはおいておいて、確かにたくさんの画商があったので、それなりに取引量はあるのでしょう。 しかし、有名なベトナム人画家とかは聞いたことが無いのですが、今後近代美術で良い作品がでてくるのでしょうか? 風景画や人物画、静物画や現代アート等種類も様々で、そのうち”ベトナムのフェルメール”なんていう風俗画家なんかもでてくるかも知れませんね。 経済的にも発展してきているし、”絵画市場”という観点からも面白い国なのかも知れません。 どなたか、ベトナムの芸術界の情報お持ちの方がいらっしゃったら是非教えてください。 │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |