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ボールは回る、地球も回る。-深読みオシムジャパンと日々雑感-

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2007.10.19
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前のエントリーから、ずいぶんと日にちが経ってしまった。レストランも忙しくて、そしてレストランの後の生活手段の事もいろいろ忙しくて、あっという間に2ヶ月以上が過ぎた。

以前日本でやった藍染めをニューヨークで仕事(まずはアメリカ人向けのネット販売)として始めようと、準備のために、あれこれと時間を費やしていた。日本では当たり前に手に入る材料や道具の調達、ウェブサイトの構築、とりあえず一人で始めるので本当に時間が足りない。

Natural Indigo Dyeing と銘打って、化学薬品を使用しない昔ながらの微生物や酵素を使った醗酵による染めをやりたいのだけれど、水質を筆頭に環境がかなり違うので、いろいろなテストを繰り返さなくてはならず、これが非常に時間がかかる。

藍染めという言葉やその色合いは知っていても、そのやり方を知っている人は ほとんど皆無だと思う。まあ同じ醗酵だから、自分銘柄のビールを商品化しようと試行錯誤していると、想像してもらったら分かりやすいかと思う、実際はかなり違うけれども。

どうにか形になったら、このブログでもお知らせします。

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さてサッカー。A代表エジプト戦、U22カタール戦と続いたが、すでに的確な戦評が各ブログにアップされているので、YouTubeのjapansoccerの映像を見て、オシムジャパンのパス回しが、横でなく縦へ縦へと、まるでボールを手で投げているように、すばやくきれいに繋がっていて、ちょっとびっくりしたという事だけ書いておきたい。

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そして本題。

スポーツナビのキーワードでひも解くオシムのサッカー/湯浅健二著『日本人はなぜシュートを打たないか』をめぐる対話(2007年10月13日)を読んだ。文中では、本のタイトルになった質問の答えをはっきりとは言ってないが、NHKラジオのインタビューでは、日本人はリスクに積極的でないのがその理由になっている。

それは、日本人は責任を取りたがらない、日本人は主体性がないなどと言い換えられるだろう。けれど、人の中に日本人を見出し、人の中に理由を探し続ける限り、その答えは上滑りを繰り返すだけのように見える。

この前日本に帰った時、私は成田空港到着ロビーのSoftBankのカウンターで、すぐレンタルのケータイを借りた。ボタンをあれこれと押していれば、使い方はなんとなく分かる。

そして、家までの駅や電車の中で誰もケータイでしゃべってないのと、着信音が全然鳴らないのを自然と確認した。10人が10人無心にキーボードを打っている。言いたいのは、1年ぶりにアメリカから帰って来て、ケータイひとつ取っても、この東京の光景がNYの騒々しい駅や地下鉄の中と、雲泥の差があるというのではなく、私が駅や電車に乗っている人を見て、ここではケータイで喋ったりしちゃ駄目なんだという事をごく自然に頭にインプットしてしまったという事だ。

何年アメリカにいようが、この癖は簡単には抜けない。日本人とは、何かを決めるとき、まず回りを見て、多くの人がそうしていたら自分もそうするのだ。

オレがシュートを打たないのは、みんながシュートを打たないからだ、という訳だ。そうしてこの連鎖がチームに広がって、オシムジャパンはシュートを打たない、日本人はシュートを打たない、となる。

人が何をやっているのかを、まず見る。誰もが心当たりがあると思う。レストランに行って、お前何食べるとか、ごく自然に誰か他人の事が気になる。で、人と同じだと、とりあえず安心する。

どうしてこうなったかと考えてみると、四方を海に囲まれて人の出入りが簡単でなく、狭い国土に非常に多くの人間が住んで、同じ言葉を喋っているという外的な要素が、大きな理由だろうと思う。こういう事は、意外と人間の精神や行動に影響する。

ヤクザという商売(?)は、日本でしか成り立たない。というのは、ヤクザがどういう風体をしていて、どういう事を生業にしているかを、お客(?)である一般の人がまず知っていなければならない。日本全国、ヤクザの格好はみんな同じだ。

ヤクザが、NYの繁華街で生意気そうなアメリカのアンチャンに因縁をつけるとは、たとえ英語が出来たとしても、想像するのは難しい。因縁が成り立つには、このアメリカのアンチャンは、ヤクザとは何者かを知っていなければならず、かつ、ヤクザの方は、アンチャンがヤクザというものを知っている、と確信しなくてはならない。

アメリカでは、単に因縁でも、撃たれる可能性も、現実的に少しはある。ヤクザが、アメリカでこの野郎と言って、無言でズドンとやられては、洒落にもならない。特にNYは、いろんな人がいて、見ただけでは相手がどういう人間かわからないから、東京とかに比べたら、けんかはかなり少ないと思う。けんかは、よく知っているもの同士で起こりやすい。

不良(死語?)やヤクザが、それらしい格好をするのは、それを他人(他の日本人)に見せるためで、逆に言うと、日本人は他人の格好や行動を、無意識的に非常に注意を払って見ている。サッカー選手も例外ではない。一皮むけるには、そういう意味での脱日本人化を、避けては通れない。ヤクザだろうが、石ころだろうが、打つときは、シュートを打つのだ。

で、この対談でもう一つ気になった事がある。

湯浅健二氏と宇都宮徹壱氏があまりにも簡単にオシムさんとサッカーと仕事、ビジネスマンを結び付けているという事。それはレストランの仕事とオシムさんのサッカーを関連づけて、色々書いている自分にも言えるのだが、サッカーを単にビジネスに結び付けるだけなら、日経プレジデント(まだあるのかな?)の表紙に、よく戦国の武将たちが並んでいたのと同じで、あまりに無邪気で、ことさら何かを言う気にもならないが、そこにオシムさんが加わると、話は少し変わる。

前に何回も書いたが、私の深読みによると、ある選手の1ゴールは、他の選手一人一人にとっても1ゴールで、11分の1を11人合わせて1ゴールになるのではない。後のやつは分業で合理的に助け合うから、ビジネス書的だ。

エジプト戦の大久保の1点は、シュートを打つ事など決してないゴールキーパーの川口の1点でもあり、さらにはこの日チームのメンバーにも入ってない田中達也の1点でもあるという、全然合理的でないこの算術は、なぜかリナックスOS開発のオープンソースシステムに似ている。

世界ビジネスの雄、マイクロソフトとリナックスが対立関係にあるのは、マイクロソフトがIBMやアップルと対立関係にあるのとは、根本的にその理由が違っている。オープンソースシステムは、マイクロソフトやIBMやアップルの仕事の仕方自体と対立している。

同じように、オシムさんのサッカーは(最近は、あえてオシムさんという枕詞をつけないで、単にサッカーでもいいかなと考えが広がっている)、ビジネスを効率よく合理的にするのに利用出来なくもないが、それよりも逆に、合理性や効率だけが選択肢ではないと言っているように、私には思われる。

オシムさんを深読みすると、サッカーが仕事やビジネスの比喩ではなく、サッカーの中に仕事やビジネスの前提になっている当たり前の事を疑う視線が見える。

はっきり言って、仕事なんかしたくないと思っている人は、私を含めてかなりいると思う。そういう人に、リスクにチャレンジしろとか、無駄走りをしろと言っても単に苦痛なだけだ。それに反して、鈴木啓太がなぜあれだけ走っても、あるいは走らされても、オシムさんと一緒の会見で、あんなに幸福そうな表情をする事が出来るのだろう?

私が藍染めの仕事を選んだのは、ひょっとしたら、啓太の様な表情をするためなのかも知れない。

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そういう訳で、オシムジャパンの次の試合は、いよいよ2010年のワールドカップのアジア予選かな? では、また。





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最終更新日  2007.10.20 04:03:36



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