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2000年に結婚し、夫婦二人暮らしです。
最も身近な夫との生活を一日一日大切に過ごせたらと思い、ブログを書き始めました。 2008年7月母が悪性リンパ腫と診断され、 2009年4月に往生しました。 それ以来、生きるとは死とは、と自分に問い続けています。 一緒に歩こう [全690件]
私は、精神的には随分と幼くて 20代の頃は、悩みなんて全然無かったし、いつも周りから「幸せそうに見える」 とうらやましがられた。 自分が無神経だったのか、周りの人が懐が広い人が多かったのか 自分の思い通りの人生を生きてきた。 だから30才を過ぎてから 人にこっぴどく裏切られ、 職場の上司に嫌われ、露骨に嫌がらせをされたりして ようようと、悩みというものと付き合うようになった。 それでも、良い伴侶に恵まれて、両親もいて、 「こんなに幸せな毎日でいいのかなぁ」とよく思った。 とは言うもののやっぱり、日常ではいろいろあって、 結婚後5年後に夫が摂食障害だと知って、 結局私にはどうすることも出来ないのに じたばたして それから3年後に母が病気になって、その9ヵ月後には亡くなって これが私の甘い人生最大のショックで辛い出来事で ここからすっかり、不安とか心配と どっぷり自分はお付き合いするようになってしまった。 人生は自分の思い通りには行かない。 自分の感情のまま好き勝手に生きていくのは 他人との人間関係にトラブルを引き起こすし、 それはあまりに幼稚なことだと、ようやく知った。 こんなこと、きっと私の周りの人達は、とっくに自覚していたことだろうけど 私には、20代の頃、そんな風には全く思えなくて 自分の感情のまま、心のままに生きることが最高だと思ってた。 そんな私なんだけど、 今日、ある夢を見た。 夢の中の私は自分の感情を大切にして、 その感情のままに行動していた。 そんな夢を見て、朝からボーとその夢について考えていたら あるテレビドラマで 「男性は、ある時点から自分を押し殺すようになってしまいます。 自分の感情のまま、女性の前で涙を流せる男性が何人いるでしょうか でも女性が求めているのは 男性のそういう感情の部分なのです」 というセリフがあって、 これは男女の恋愛について語られていた一部なんだけど 心につまされた。 そうだよね、 自分の負のエネルギーを感情のまま、 周りに撒き散らすのは確かに幼い、 でも、それとは違う感情 自分の中で大切にしたいと思っている感情までも 押し殺す必要なないんだよね。 例えば、 周りが「おばさん」と呼ぶ女性たちが 韓流の若くて素敵なタレントに心をときめかせて追っかけをする。 こういうのって、すごく素敵だなぁって、今は思う。 夫や子供がいても、いいじゃないか。 笑いたい人は笑え 心ときめく、気持ちは、 きっと70歳を過ぎても、80歳を過ぎてもずっとある。 70過ぎの母が大好きだった映画が「プリティウーマン」のように それは、とても誇らしいことではないか。 容貌や肉体はどんどん老化して衰えても 心は、 10代の初恋の頃の気持ちを忘れていない。 人生、自分の思い通りにはいかない。 辛いと思うこともある、悩むことだって、不安や心配もたくさんある。 そうきっちりと、悟りました・・なんて行かない。 あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、それでも生きていく。 でも私の心の中には ちゃんと10代の頃のトキメキが残ってる。 この心さえ失わなければ、どれだけ年をとっても怖くはない。 それを思い出させてくれた 今日の夢でした。
感性価値セミナーというのを聞いてきました。 最初、夫が申し込みを希望したのだけど、面白そうなので 私も受けてみることにしました。 感性とは、感じること、 とっさに好き嫌いを判断し、無意識の言動に大きな影響を与える そうです。 人の脳は95%~97%この感性を活用し、思考が働くのは3%~5%だそうです。 また、この感性、男女では明らかな違いがあるそうです。 これは、性別によるどうしようもない違いで、個人の性格の問題ではない そうです。 ここが、とっても面白かったです。 ちなみに、私は明らかな女性脳 変化には敏感、感じたことがすぐ言葉になって出てくる、 感じたことを口に出し合い、共感しあうことに快感を感じる。 これが、代表的な女性脳だそうです。 ただ、誰もにこの現象は顕著ではなく、家庭環境や親のしつけで、この本来の働きを抑えてしまっている人もいるそうです、が女性の脳というのは、本来こういう風に出来ているそうです。 私は、全く女性の脳ありのままの状態で大人になった、というわけです。 一方男性は、変化に弱い、自分の感情や他人の表情変化を感じにくい。 そのため、命がけで働けるメリットがあるそうです。 情は命がけで戦うときにはデメリットになる場合がありますよね。 女性は、子育てという役割があるので、他人(子供)の変化には敏感になるよう出来ている。 情に厚い。 男性は、養うという役割があるので、変化には鈍感で命がけで戦う(働く)よう出来ているのだそうです。 そんな男女がうまくいくには、男性は女性の話を共感して聞いてあげる。 女性は、男性にやさしい沈黙を与える。(愚痴や指示で男性を追い込まない)。 ものすごくなるほどなるほどと思いました。 これは、個人の問題ではなく、脳の仕組みの問題だと知れば ものごとを客観的に見れるようになるし、気楽です。 これから夫を初め、男性と付き合うときの参考にしようと思います。 また、大衆の感性というのは周期で繰り返されるそうです。 今の周期は2012年で天井をうち、2013年からは次の周期に入りそうです。 次にくるのは、尖りはじめた時代だそうです。 今までの甘かった時代から、「プロの時代」「凛々しく貫ける人の時代」 本質的で王道であること、正義を貫く、 価格競争の時代は終わり 高価なものでも「世界一」「世界初」というものを人は求め始めるそうです。 私は、この流れを政治に感じています。 大阪の橋本市長さんなんかは、まさに次の時代の人の象徴のように感じます。 また、原発問題にしても、日本が本気で脱原発を目指し、新しいエネルギーへ移行することを目指すとしたら、これもまた新しい流れを象徴しているように感じます。 甘い馴れ合いの時代から、本物が尊重される時代へ 人の感性は今後それを求めていくそうです。
最近、ブログを更新してません。 一番書いていたのは、母が入院中と亡くなってから 書かずにはいられない気持ちで、自分の心を整理するために 自分のために書いていました。 でも、最近は、自分のことをちょっと違った角度から見れるようになって 新しい自分の発見も多くなりました。 そんな自分に驚いたり、幻滅したりもしてました。 自分の存在価値が見えなくて、落ち込んでました。 と、逆に、実は自分は自分のことをすごく立派な人間だと思ってて その通りに運ばない人生にイラついていました。 母のこととかがきっかけで、自分の心の不安定さに悩んでいたとき、 病院で診察を受けると 「不安神経症」という病名がつきました。 医療機関で、診察を受け、処方を望めば、何らかの病名が必ずつきます。 それが良い、悪いではなく、保険適応を受けるためには そういうシステムになっているということです。 「不安神経症」 この病名に、えーっ、私って精神病者なの? とも思いましたが、 病院に行くということは、そういうことなのだし、 自分の心のクセが見えるようにもなりました。 これは、もう3年ぐらい前の話で、病院に行ったのも一度きり 処方された「精神安定剤」も結局飲みませんでした。 私自身は、心の問題は、薬では解決しない と思っています。 で、3年後、 少しは、気軽に、いろいろな自分の姿を俯瞰(ふかん)しながら楽しみながら 生きれるようになりました。 なので、絶叫系、熱く語る系ブログはしばらくお休みします。 といいつつ、またいつ語りだすかもしれません、 人のこころはうつろいやすいですから(笑 ツィッターは、気軽に心のつぶやきを書き込めるので 今はツィッターにちょこちょこ書き込んでいます、 始めたばかりで、ツィッターつながりの友人もいないので もし、このブログを読んで下さっている方 お気に入り登録して下さっている方で ツィッターをしている方がいたら、またよろしくお願いいたします。 今度はツィッターでつぶやき合いましょう! ちなみに、私のユーザー名は shiroibaion
昨日、母のショーツを捨てた。 最後の一枚だった。 妹と母の持ち物を分けた。 ショーツは3枚ぐらいもらったかな、 ショーツって、私の衣類の中では一番回転が速い消耗品だ。 破れるか、ゴムが伸びきってしまった時が、お別れの時。 昨日別れを告げたショーツは、破れて穴が空いてしまったから。 生地も繊細な感じで、正面の真ん中に小さなリボンがついていた。 70になる母が、リボンのついたショーツを購入していたなんて 今更、母って本当に幾つになっても、心は少女のまま、乙女のままだったんだなって 気づかされる。 母が生きていた頃は、そんなこと気づきもしなかったのに 先月は、母の乳液と別れを告げた。 別に、もったいないからという理由ではないけれど、 普段使っている化粧品があったので、毎日使ってなかったから。 母がいなくなって、3年目に残量がゼロになった。 化粧品のほとんどは、妹が持ち帰ったので、 これが最後だった。 ものには執着しない それに他にもまだたくさん母の品はある。 靴下、エプロン、靴、ズボン、たくさんある。 でも、やはり捨てるときは、一瞬躊躇する。 友人が、「遺族の会」を作る。 母が亡くなったとき、グリーフケア 誰かと想いを分かち合いたかった この想いを吐き出したかった でも、お寺にも病院にも、そういう場所はなくて 結局、このブログに書き綴った。 今から思うと、よくもまぁ、こんなことが書けたと思うほど 今の私は、そのときのブログは読めない。 辛すぎて、 でもあのときは、 書かずにはいられなかった。 書かないことの方がよほど辛かったから。 そういう意味では、この楽天ブログには本当に感謝してる。 この場があるだけで、どれだけ私の心は救われただろう。 で、「遺族会」 母が亡くなった頃はあれほど「あればいいのに」と望んだ遺族会。 今も話したい気持ちはある きっと話し出せば止まらなくなるほどに 遺族会か・・
3月11日、市街地でイベントがあるので夫と自転車で出かけた。 近くの商店街に自転車を止めようとしたら 商店街の両脇に、ずらっと20名ほど募金活動の人達がいた。 おそらく小学生から中学生の子供と、大人 子供たちが大きな声で 「被災地への募金をお願いしま~~す」と呼びかけている。 募金活動でなくても、 ずらっと人が両脇に自分の方を向いている前を通り抜けるのは気が引ける。 道行く人に大きな声で 「募金お願いしま~~す」の連呼 この風景に私は完全にドン引きした。 うつむいて、まるで犯罪者のようにそそくさと近くを通り抜けた。 他の通行人はどうしているのだろと、あたりを伺う余裕もなく 夫と何か会話をし続けそこを通り抜けた。 で、どうしたかというと 募金はしなかった。 どうしてしなかったのかは、今でもよく分からない 普段からあまり募金をしないから、なのか ただのケチなのか、冷たい人間だからか 何かはよくわからないけど、 とにかく逃げるようにその場を通り抜けてた。 以前、ある人からこんな写真を見せてもらったことがある。 ニューヨークだったか、ある外国の大都市で 男の人がバケツを持って立っている。 胸には、プラカードがぶら下げられている。 「不思議な写真でしょ、 男の人がただ黙ってバケツを持って立っているんだ。 これは何の写真か分かる?」 分かるわけがなかった。 「この胸のプラカードには~の募金をお願いします、と書いてある、 それでようやくこの人が何をしているか分かったんだよ。 彼は募金集めをしてるんだ。 でも、何も言わない、ただバケツを持って立っているだけなんだ」 私は、その写真をじっと見つめてしまった。 彼の姿が、日本の托鉢僧と重なった。 そういえば、托鉢僧にはお布施をしたことがある。 ドキドキしながらも、 目を瞑り手を合わせている彼の 手の中にある鉢にお金を入れた。 彼は何も言わず、一礼をしてくれた。 私も何も言わず、手を合わせて一礼をした。 どうして托鉢僧には、出来て あの募金活動の集団には出来なかったのか やっぱりよく分からない。
本当は昨日のことを書こうと思ってたブログ 昼食を食べながら見ていたテレビが 「山口美江 孤独死」というタイトルで報道してたのに つい、ピクッと反応してしまった。 山口美江さんは、2年間痴呆のお父さんを介護して看取り その後、2匹の犬と暮らしていて、 昨日?かな、心不全でなくなったそうだ 途中でチャンネルを変えてしまったので、あまり詳しく知らないけど 「孤独死」って、変な表現・・って思う。 それに報道の仕方も、 なんというか 誰にも知られず、一人っきりで死ぬこと を哀れんでいる、不幸な人って、思わせるような 構成になっている、と感じるのは、私の偏見? 結婚もせず、家族もなく 一人で暮らして、誰にも知られず一人で死ぬ それが何か・・って思う。 あぁ、よかった、私 それを不幸って思わないから それだけで、心が晴ればれした あのニュースを見たら、ちょっと気が沈んだ気持ちになったから。 私の好きな作家・詩人の人が、エッセイの中で 「私は老後、子供の世話になるつもりはないし 誰にも知られずひっそりと死ぬのが理想・・」って書かれてた。 人は生まれてくるのも、死ぬのも一人だ そういう意味なら全ての人が最期は孤独死なんだと思う。 なのに、一人暮らしの人が亡くなると 「孤独死」と言って、ことさら悲劇的に扱うのは奇妙に感じる。 私がある日、誰にも知られず亡くなったとして それを、他人に「あの人は孤独死だった・・」と それを哀れや不幸のことのように言われたとしたら すごく不本意に思うし、失礼なことだと感じる。 たとえばだけど、苦しんで病院で死ぬよりも 穏やかに、ひっそりと亡くなる方が私もいいと思う。 何かテレビを見て、嫌な気分になったけど 私は、山口美江さんの「死に様」を哀れんだりはしない。
あるファイルを見ていたら、コピーの綴りをみつけた。 母が亡くなる数日前から、その後数ヶ月に渡って私の心情を綴ったコピー 思わず、最初の数枚、引き込まれるように読んでしまう。 紙から過去があふれ出るように、その時の光景がまたありありと浮かんでしまい、 読めなくなった。 数十枚に及ぶ、その綴りをファイルから引き抜き、封筒に入れた。 母の物をいれている箱に持っていく。 これは、封印 不思議なものだ。 母が亡くなったとき、 その時のことを忘れないようにと 一生懸命綴った。 その直後でさえ、母の最期の記憶はあいまいな部分があって それを恐ろしくも思い、妹と二人思い出すように その時の記憶を綴った。 記憶を失うことは、母を失うようで、忘れないようにと必死で書いた。 この箱には、他に母の日記(メモ)が入っている。 母が入院中、綴っていた日記。 最後、2ヶ月ほどは、ほとんど書かなくなってしまったけれど その代わり、元気になったら食べたい、料理レシピがぎっしり書かれてた。 その日記も、母が亡くなった当初は、何度も読んだ。 涙があふれ出ることが分かっていても読まずにはいられなかった。 読むことで、母に触れていた、母と出会ってた。 日記は母そのものだった。 それが、今では、その母の日記も読まない、読めない 読んだら、自分の心のコントロールが出来なくなるのでは と、真剣に思うほど、恐い。 泣いてしまう自分が恐い、 もう簡単に泣けず、心の奥がキリキリと叫び声をあげそうなこの感情が恐い。 月日が経つほどに、読めなくなる 読むのが恐くなる。 どうしてなんだろう それなら、捨ててしまえばいいのに・・ 思い出すのが辛い思い出なら、捨ててしまえばいい、 こんな思いを引き起こす思い出なら そう思うのに、捨てることは出来ない。 たかが、紙 そう思うのに、やっぱり出来ない 紙の中には母がいる、 生々しいほどに母がいる いつか、読める日が来るんだろうか、 暖かい涙を流しながら読めるときが来るんだろうか 「封印」 この言葉嫌じゃない この想いは、一生抱えて生きていく、そう決めている。 この想いはもう私の一部 読めないほどに、成熟した母への想いは このままじっくりと私の中で発酵していく。 発酵した想いはどうなるんだろう 封印を解いても、もう暴れなくなるんだろうか |一覧| |
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