人は皆、幸せを求めて生きている。苦しみ悩み、絶望の中を傷つきさまよいながら、明日の幸せを夢見て懸命に生きている。男は女に、君を必ず幸せにする、だから俺の妻になれ! と口説く。女は ”幸せ” という一言に引きつけを起こし、無条件降伏する。次の瞬間、激しい口づけが前歯の激突音を発して行われる。そして二人は目出度く結ばれるのである。
だが、なぜか激しい恋で結ばれた夫婦は離婚率が高く、全てが幸せになれるとは限らない。人生には不幸だけが先回りして待ち構えているようにも思える。そして、あっという間に歳月が流れ、最後に死の扉が開かれる。
その時、私は幸せだった! と豪快に笑い飛ばし、好きな泡盛をガブガブ飲みながら、大満足の笑顔で死んでいける人はまずいない。そういう偉大な聖人になることが出来れば、この世に不幸は存在しないだろう。いずれにせよ、幸せというのはいつの世にも虹の遙か彼方にあって、人類は有史以前からそれを求め続けて、進化発展してきたと言える。逆に言えば、不幸が無ければ人類は進化しなかった、かもしれない。
では、幸せとは一体何であろうか。金銀財宝、名誉名声、権力、それとも悟りを開くことか?否、決してそんなものではないはずだ。その事は歴史が証明している。巨万の富と権力の頂点を極めながら、一家断絶の悲惨な結末で消え去った人々は数え切れないほど存在する。ソロモン王、ジンギスカン、暴君ネロ、西太后、ヒットラー、武田信玄、豊臣秀吉、徳川幕府、その他いろいろ……。
繁栄と栄華をもたらす筈の富、権力、名誉名声、それらは逆に野望と醜い獣性を刺激して大きな悲劇を招いてしまう。ある高僧が主治医に「私は悟りを開いている。死なんか怖くもないし、鼻毛をくすぐるそよ風のようなものだ。だから真実を言ってくれ」と頼んだ。そこで主治医は納得し、「あなたは末期ガンで助かる見込みは百パーセント無い」と答えた。とたんに高僧は口から泡を吹きだし、痙攣の硬直を残して死んでしまったのである。
これでは何のために長年修行して悟りを開いたのか訳が分からなくなる。では幸せとは何か、何が人を幸せにするのか。それは簡単、この世には神も仏も無く、苦しみと不幸しかないと諦めて生きていくことだ、と言ってしまえばそれまでである。しかし、そういう冷静な、開き直った心で努力し、流れのままに働き、素直に生きていく人が悟りを開いた高僧よりも偉大なのかもしれない。いずれにせよ、人は不幸なるが故に幸せを求め続けるのであり、幸せを求めるが故に不幸なのである。