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英雄と書いてキチガイと読む

世界史コンテンツ(のようなもの)


~古代 2限目 英雄と書いてキチガイと読む~ 
 







「う~ん…」





「どうした?アルクェイド・ブリュンスタッド」





「前回からの話の流れだと、今回はレギオンへと話が移ると思うんだけど、よく考えてみたらギリシアのファランクスしか取り上げてないのよね」





「確かに。ローマもレギオン以前はファランクスだったし、マケドニアのファランクスは、前回の説明とは異なる運用をされていたそうだ。しかしマケドニアもギリシア地方だから少しややこしいな」





「ローマについては説明があるだろうけど、マケドニアのファランクスがスルーされるかも」





「そうだな。では一応セイバーに確認してみるか」





「どうかしましたか?」





「ちょっと確認したいのだが、マケドニアのファランクスについては触れないのか?」





「要望があるならば、説明します」





「それじゃお願いするわ」




「それでは説明しましょう。マケドニアのファランクスは、従来のファランクスと比較して大きな違いがありました。それは敵を撃破する必要がないという点です」





「どういうこと?ファランクスは突撃することで敵の隊列を崩し、それによって勝敗を決するんじゃなかったの?」





「いえ、マケドニアのファランクスでは、敵を拘束するだけでかまいません。その為に重武装化が進み長槍(サリッサ)も最大で6.5mという長大なものになっています。突撃する必要がないので、機動力をある程度犠牲にできるわけです」





「それでは攻撃の役割は誰が担う?」




騎兵+軽装歩兵で、ファランクスが拘束した敵の側背を攻撃します。いわゆる『槌と金床』戦法というものになります。『槌=騎兵+軽装歩兵・金床=ファランクス』と考えてください。軽装歩兵とはこの場合、投槍兵・弓兵・投石紐兵等の散兵を意味します。弓兵だとクレタ弓兵、投石紐兵だとロードス投石紐兵が有名です」





「諸兵科連合というやつか…。以前のファランクスに比べて随分と進歩しているようだが、何が原因なんだ?」




ペルシア戦争ですね。彼らはギリシア地方とは比較にならない程、諸兵科連合を初めとする優れた軍事システムを保有していました。彼らとの戦いの中で、ギリシア人は学んでいったのです」





「へぇ~ペルシアってそんなに優れていたんだ。でも、ペルシア戦争ってギリシア側が勝ったんでしょう?そんなに凄い軍隊が何で負けちゃったの?」




「一番大きな理由は兵站上の問題でしょう。詳しい数は分かっていませんがおそらくは最盛期で10数万の軍隊が遠征に参加していたはずです。策源地からの行軍距離を考えると、気の遠くなるような物資が必要になったことでしょう。この時代に、そのような大規模な遠征軍を送り出すことが出来ただけでも賞賛に値します。それに厳密に言えばペルシアは負けた訳ではありません。直接的な出兵を止めて、間接的に外交によって干渉する戦略に転換したという見方もできます」





「では純粋に戦術的にはどうなんだ?ギリシアのファランクスはペルシア軍に通用したのか?」




「よく訓練され、士気の高い中産階級からなる市民軍。それも青銅製の防具に身を固め、集団で突撃してくる重装歩兵部隊などという机上の空論じみた軍隊を見て、ペルシア軍は驚愕したでしょう(もしかしたら失笑したかもしれませんが)。このような兵科や戦術は、当時のアジアには存在していませんでした。そして戦史は、戦術的にもギリシア側の優位を証明しています」




「そうか。先進的な諸兵科連合軍といえど、全く想像の埒外にあるような軍隊に対しては、有効に機能できなかったわけだ。しかしイメージ的にはペルシアよりもギリシアの方が先進的な感じがするのだが、なぜペルシアの方が軍事システムにおいて優れていたんだ?」




「それはギリシア地方の文明的断絶によるものです。ミュケナイ文明の謎の崩壊によって、青銅器時代からの軍事システムや文字を含む広範な技術が失われてしまいました。そのため、ギリシアでは、全てを1からやり直す必要がありました。そのおかげで美術・哲学等の分野では独自の素晴らしい発展がありましたが、軍事面ではペルシアに大きく遅れをとることにまったのです」




その結果としてファランクスが生まれた訳だから、悪い面ばかりではなかったということか。それにペルシア戦争で学んだ経験を生かしてマケドニアのファランクスに進化し、ペルシアよりも強力な諸兵科連合軍を作り上げ、やがて逆にペルシアを征服してしまった」




「同じ諸兵科連合軍でも、ペルシアにはファランクスはありませんでしたからね。しかし、ペルシア征服に関してはアレクサンドロス大王の天才による部分が多いとは思いますが。ペルシア側もギリシア人傭兵を雇って、ファランクスにファランクスで対抗したりもしています」





「なるほどね。ペルシア戦争だと、遠くペルシアからギリシアまで何とかやってきたと思ったら変な軍隊にボコられて挫折。逆にそれで知識を吸収されて相手を強化してしまい、今度は逆にペルシアに攻め込まれて滅ぼされたってわけね。なんだかとってもマヌケ」




「相手が古代世界…どころか全時代を通してトップクラスの英雄であるアレクサンドロス大王を敵に回したことが最大の不運だったのでしょう。まぁ、彼の場合は軍事的には歴史上最高位の英雄かも知れませんが、人格的には破綻していたようですが」




英雄とか偉人って連中はどこか壊れている部分がある人が多いし、仕方ないんじゃないかな」




「程度の問題です!アレクサンドロス大王は正真正銘のキチガイに間違いありません!!彼を他の人物と比較するならばカエサルやナポレオンではなく、ヒットラーや毛沢東と比較するべきです!!!」





「さすがにそれは言い過ぎだと思うが…」




「いいえ。実例を挙げて説明しましょう。アレクサンドロス大王を理解するには、まず彼が21歳のときに下した決断を知る必要があります。テーバイというギリシア史に慄然と輝く都市国家がマケドニアの同盟に対して反乱を起こしました。フィリッポスの跡を継いだ21歳の若造に、反乱に対処する能力など有りはしないと侮った連中がいたからです。それに対して彼が下した決断は、テーバイをギリシア人の集団記憶から、全て抹殺するというものでした」




抹殺!?




「ええ、文字どおり抹殺です。他の都市国家への見せしめのために、完全に破壊し尽くしました。かつては存在したはずの、同族間では追撃戦等の過度な被害発生を抑制する暗黙のルールは、どこかへ消え去ってしまったのです。他民族との苛烈な戦争や、長期間続いた戦乱は、ギリシア人を戦争に対して正直にしてしまったのかもしれません」





「皆殺しか…この時代の頃にはもう戦争にロマンもへったくれも無くなったってことね」




「このくらいで驚いていてはいけません。彼の所業はこの程度ではないのです。抵抗する国々は悉く滅ぼし、その兵士達は皆殺しにされました。BC:334のグラニコス川でのペルシア軍を撃破したのですが、戦闘後ペルシア側について戦った15,000~18,000人のギリシア人傭兵が虐殺されました。たった1日で150年にもわたってペルシアが送り込んできた遠征軍が殺したよりも多くのギリシア人を殺害したのです。それもギリシア人解放を掲げた最初の戦いで!」




「アジアのギリシア人をペルシアの属州から解放するという大義を掲げた者のすることとは思えん…」





「さらに翌年のイッソスの戦いでは20,000人のギリシア人傭兵を含む50,000~100,000人のペルシア軍兵士が戦死にました。たった2回の野戦で、全ギリシア都市国家間の全会戦、全戦死者数を凌駕する数のギリシア人が殺されたことになります」





「・・・・・・」




「もしかして、コイツがいなかった方がギリシア人には良かったんじゃないの?」




「そうかも知れません。その後もインドに至るまで延々と虐殺行は続きます。彼が行った8年間の戦いで少なく見積もっても200,000人が死亡し、そのうち40,000人はギリシア人でした。しかもこの数字は、あくまで兵士だけの死者数であることを認識してください」




民衆にまで虐殺が及んでいるのか!?




「彼の東方遠征の道筋にたまたま暮らしていた不運な都市や村落は、虱潰しに陥落され男性は悉く虐殺され女子供は奴隷として売り払われました。その虐殺された人数は少なく見積もっても250,000人以上であるとされています。さらに定住することのない遊牧民にも消耗戦を仕掛けました。それによって多くの部族が絶滅したと思われるのですが資料が無く詳しい数は不明です」





「酷い…そこまでする必要があったとは思えないわ…」




「そんな無茶なことをやれば抵抗も激しくなるはずだ。反乱や抵抗運動が続発しなかったのか?」




「もちろん反乱は起こりました。バクトリア地方では反乱が続発すると、アレクサンドロス大王は処刑に熱中しました。国外追放されたギリシア人コミュニティーは消滅、サカイ人の軍団は全滅し領土は完全に破壊、さらにソグディアナ反乱を支援した(と彼が思いこんだ)ゼラフシャン川流域の村落の兵士や住民を虐殺…2年に渡って略奪と虐殺は続きました。彼の治世において反乱を起こすことは、より恐ろしい結果を生むことになったのです」





「・・・・・・」




「彼の蛮行は時が経つにつれて悪化の一途を辿ります。アッサケノイ人に対しては、降伏すれば助命を約束しておきながら全員を処刑。パンジャブ地方のマッロイ人は自立心の強い部族だったため、部族ごと抹殺されかかり、砂漠に逃げた一部の非戦闘員に対しても執拗に追撃し殺戮しました」




「ここまでくると変質的殺人狂にしか見えない…」




やっぱり、どちらかが滅びなくてはならんのかねぇ?





「な!?どうしたんですかタイガ!?」




言ったはずだぞ! 戦争には明確な終りのルールなどないと!




「誰だ?この莫迦は。和平を結べば戦争は終わるだろうが。サンフランシスコ平和条約を知らんのか?」




戦うしかなかろう、互いに敵である限り。どちらかが滅びるまでな!





「タイガ!滅びるまで戦うとは!?何を言っているのですか!!」





 ZuVO!BTHOOOOOOOOOOOOOOOOOOM!






「自爆!?(しかしなぜ小林源文調でB-52爆撃時っぽい効果音が…)」





「なに?アレ…」





「・・・・・・」





「・・・・・・」





「な、何も見なかったぞ、私は!」





「そ、そうですね…私も何も見えませんでした」





「世の中には、知らない方がいいこともあるってことだにゃ」




「え、え~と…は、始めに言ったはずです。アレクサンドロス大王はキチガイであると!さらに彼の凶行は敵だけではなく味方にも及ぶようになってきます。それは『ゲドロシア砂漠の横断』というカタチとなって現れました。彼の無意味な思いつきによって決行されたこの行軍は、結果として少なくとも数千(信頼に足る資料がない為推定)の死者を出すことになりました」




「なぜ砂漠を横断するという危険を冒したのだ?他にいくらでも安全な経路はあっただろう。その砂漠を横断しなければいけない切迫した事情でもあったのか?」




「あえて理由を挙げるならば、それは一つしかありません。それは挑戦です。彼の個人的な栄光と冒険心を満足させるために行われた英雄的挑戦とでも考えるしかありません。それも数千の部下を犠牲にした上で。なお、彼が過去10年間の戦闘で失った兵員よりも、この英雄的思いつきによって失った兵員の方が多かったと付け加えておきます」




マケドニアのファランクスにとって最大の敵はダレイオスではなく、狂った自分たちの指揮官だったということか。ふん、確かにヒットラーと比較するに足る人物という訳だ。アレクサンドロス大王という男は!」




「彼の狂気は、さらにその度合いを高め、ついには身近な人物達にまで及ぶようになります。いや、彼がまだ即位したばかりのころから、その殺人狂の資質は見ることが出来ます。彼は王位継承するとすぐに行動に出ました。父の葬儀の日に2人の兄弟を殺し、その後すぐに自分の陣営に加わらなかった名のあるマケドニア人を皆殺しにしました。さらに王位継承のときに最初の支持者となったアレクサンドロス・リュンケスティスもなぜか殺害されいます」




「・・・王位継承直後の兄弟殺しならば、まだ理解できなくもない。しかし他の有力者に対しても旗色をすぐに明らかにしなかっただけで殺すとは異常としか思えない。確かまだ20歳そこそこの若者だったはずだが」




「殺人狂に殺す理由を求めることなどナンセンスです。将軍フィロタスは主要な戦闘全てにおいて騎兵を率いて戦った英雄でしたが、ささいなゴシップを見逃したため処刑されました。そしてフィロタスの父であり、一度ならずアレキサンドロス大王の命を救った老将軍パルメニオンも殺害されました。マケドニアの軍団を作り上げ、アレクサンドロス大王の王位継承を確かなものとし、息子を全て東方遠征で失った歴戦の勇士は、最後の忠誠の証しとして自らの首を差し出したのです」



←ちょっと昔のことを思い出している

「命の恩人まで手に掛けるなんて…うぅ」 




「もう無茶苦茶です。グラニコスでアレクサンドロス大王の命を救ったクレイトスは宴会で酔っぱらったアレクサンドロス大王に槍で刺し殺され、アレクサンドロス大王の家庭教師だったアリストテレスの甥も『東洋スタイルの平伏』に反対した理由で処刑され、クレアンドロスとシタルケスの2人の将軍も600人の部下と共に何の警告も裁判もなく処刑されることになります」





「絶対権力者もそこまで逝ってしまうと、もう運命は決まったようなものだ」





「はい。お察しのとおりです。アレクサンドロス大王の死は病死とされていますが…実際は毒殺か何かだったのではないでしょうか?さすがにここまで見境なしに側近を殺しまくると、誰かが『殺られる前に殺れ!』と、行動に出るであろうことは疑いないでしょうから」





「アレクサンドロス大王が死んだ後はどうなったの?」




「彼はギリシアの都市国家の自由や自治権を奪っていました。そして、そこにペルシアから奪った大量の略奪品が流れ込むことになるのですが、それは経済を活性化させた反面、貧富の差が拡大し、自由市民からなる重装歩兵というギリシアの都市国家の根幹を成す軍事システムを揺るがせることになります。金持ちは、自分が兵士として戦いに赴くよりも金で雇った傭兵を差し向けた方が良いと考えるようになり、貧乏人は高価な武具を揃えることが出来なくなっていきました。そして、その流れは、もう元に戻ることがなかったのです」





「そう言えば『真面目な莫迦は死んでも面倒を残す』って某中尉も言っていたけど、死んで面倒を残すのは無能な者ばかりではないわね。だってアレクサンドロス大王という狂った英雄がいなければ、ギリシア地方は歴史的飛躍を遂げていたかもしれないじゃない」





「衆愚政によって混乱しているところをローマ帝国に併合されるだけかもしれません。歴史にIFは無いのですから、無意味な想像です」





「狂人の残した虐殺の文化はローマに受け継がれている気もするが」





「軍紀粛正が精強な軍隊を生むのも事実です。もちろん無意味な虐殺は論外であると思いますが、何事にも良い面と悪い面はあるものです。さて、そろそろこの講義の時間は終わりですね。レギオンは次回の講義で説明するとしますか」





「は~い。それじゃまたね~」


3限目へ続く


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