昨年8月に行ったペナンのこと。
前回は、1泊目のブルーマンション(Cheong Fatt Tze's Mansion チョン ファッ ツィー マンション 張弼士故居)、外観とデラックスルームHakkaの部屋のことを書いた。
張弼士(チョンファッツィー)は1840年(1841年?)、中国広東省の大埔の貧しい客家の家庭に生まれた。
第2次アヘン戦争で混乱する中国(清)を離れ、1856年16歳のときに東南アジアにわたる。
インドネシア、ジャカルタ(バタビア)で無一文の水運搬人から始め、小売商人になり、雇い主の娘Choo Neoと結婚。義父の助けを借りて貿易会社を設立する。
1877年には、ジャカルタからスマトラのメダンにビジネスを拡大し、ゴムや胡椒、コーヒー、紅茶などのプランテーションを運営するだけでなく、金融業なども行い、富を築いていき、1886年にマレーシアのペナンに事業を拡大する。
蒸気船の運航も始め、中国とアメリカの間の太平洋輸送ラインをつくりあげたり、1892年中国山東省煙台市に自身のワイナリー「Chang Yu Winery 張裕葡萄酒」を設立。
今でも中国で最も古く、最も大きいワイナリー として、中国国内ワイン市場の約20%から25%の生産量を占めているそう。
アメリカでは、「東洋のロックフェラー」、「中国のJPモルガン」、「中国最後のマンダリン、最初の投資家?Last Mandarin & First Capitalist of China」と呼ばれてたという。
1893年にはペナンの中国名誉副領事に、1899年には清王朝の農業大臣に、孫文を支援したりもしてるし、1911年には上院議員にもなってる。
1904年ペナンにマレーシアで初めての中国語学校、孔聖廟中華學校を創設、その後シンガポールとマレーシアに計8つの中華学校を設立する。
1916年、ジャカルタで肺炎により75歳で亡くなる。彼の遺体は、縁のあったペナン、シンガポール、香港を経て中国に渡り、英国とオランダは半旗を掲げて、その死を悼んだという。
1880年代(1896年から1904年の7年間?)に建てられたのが、部屋が38室、御影石が敷かれたパティオが5つ、7つの階段、220の窓がある、このブルーマンション。
カトリーヌ・ドヌーブ主演の映画「インドシナ」のロケにも使われてる。
敷地は56,000平方フィート(約5,200平方メートル 1574坪)、建物は 33,000平方フィート(約3066平方メートル 927坪)。.
メインの建物に左右のサイドウイングを増築してある。
エントランスを入るとメインホール、左側のサイドホールがホテルのレセプション、右のサイドホールがロビーになってる。
調度品もどれも重厚。
メインホールの奥は中庭(Courtyard)をはさんで、朝食をとるコートヤード・ダイニング・ルーム(Courtyard Dining Room)。
内装は東洋と西洋の折衷で、ヴィクトリア様式の回廊が中庭を取り囲んでる。
風水にすごくこだわったこの邸宅の中でも最強の気が流れるのが、中庭の植木鉢が乗ってる2つの石の台の間やそう。
UTL(UNDER THE LIGHT YOGA SCHOOL)三軒茶屋トレーニングセンターで週に2回シニア・ヨガをやってるのを知って行ってみた。
金曜日は西岡ゆき先生。
ヨガブロックやベルト、ボルスターを使うて、ストレッチがメインかな。
水曜日は鈴木まゆみ先生。
それも出てみよう。
7月24日のトレーニング
シニア・ヨガ 60分
1日1回のクリックで、募金ができます♪