
元イラン代表DFのメフディ・パシャザデがピルーズィのトレーニングに参加するとIRINN局が報じた。勿論その狙いはクロアチア人監督に自らの価値を証明してみせる為であり、代表復帰を願っての事であろう。ただ、エステグラルで育ちスター選手であったパシャザデがどうしてライバルのピルーズィを選んだのかは謎であったが、どうやらピルーズィの会長であるアンサリファーがオーストリアのアドミラを訪問した際、キャリミの移籍やバイエルンとピルーズィの親善試合を実現させたパシャの代理人でもあるレザ・ファゼリと会談を持ったことがこの移籍の発端であるようだ。アドミラは昨日UAEドゥバイへのキャンプに向かっているが、もしチームが許せばパシャザデはそのままイランへ帰国するという事だ。その場合残り6ヶ月の契約期間は買い取る事が条件になっているようだ。
確かにアドミラは現在リーグ最下位で、守備の要であるパシャザデを手放すことは痛手以外の何物でもないだろう。しかし、ご存知のようにアドミラのマジッド・フィッシャー会長はイラン人であり、チームディレクターのヘシメット・モハジェラニはイランの伝説的な監督である。さらにチームマネージャーのカシャヤール・モフセニもパシャの代表復帰を後押しする発言をしているし、監督を務めるロバート・プフラグも同様である。という事は必然的にこの移籍は、十中八九成立する可能性が高いだろう。またパシャの獲得には現在国内リーグのトップを走るサイパや、ダエイ、ゴルモハマディ、ハメダニ、アクバリ、バフティアリザデ、ナヴァジなどの元代表選手をずらりと揃えたサバ・バッテリーも獲得に動いたようだが、かつてのライバルであるピルーズィを選択したようだ。
そういえば以前のインタビューでパシャがマハダヴィキアよりもカゼミアンをスタメンに推していた事が思い出されるが、いまだ絶大な影響力を持つアリ・パルヴィンの存在も影響したのかも知れない。先日ひさびさに代表に呼ばれ物議をかもし出したアリ・アンサリアンなどはパルヴィンが事あるごとに代表に入れるよう圧力をかけていた選手の一人である。どちらにせよ、この移籍によってパシャが代表の座を射止めるかどうかは彼自身のプレーひとつにかかっているという事だ。勿論ピルーズィにおいてもポジションが確約されているわけでは無いのだから。
私の個人的な思い出としては「代表復帰のために帰国」というと、横浜Fに所属したジーニョを思い出してしまう。彼は三ツ沢でのエスパルス戦を最後にチームを去ったが、その理由が98年のセレソン復帰を狙っての事であった。私達ファンは勿論、寂しいながらも彼の夢を後押しする気持ちだったが、相手の清水のサポーターもジーニョコールを送ってくれた事に、今でも感謝の気持ちが思い出される。ジーニョは間違いなく偉大な選手で、フラメンゴ時代はジーコとプレーし、当時は名門パルメイラスのスター選手であった彼が94年の代表においては歯車の役割を嫌な顔をせずこなした事が印象的であった。ソクラテスの実弟が怪我をすると、代わって強烈なキャプテンシーを持ったドゥンガがドイツ仕込みのプレーで中盤をまとめ、ロマーリオとべべートが得点を重ねた一方で、抜群のポジショニングで黒子的な役割を演じたのがジーニョだ。その彼が横浜Fで見せたプレーはフットボーラーの手本であり、私がはじめてサッカー場に連れて行った友人達も小柄な10番のプレーを絶賛したものだ。特に鹿島との首位決戦において乱闘がおこった後のピッチで、見事な弧を描いたFKを左足で叩き込んだシーンは多くのフリエファンの脳裏に焼き付いているはずだ。結局彼がセレソンの一員としてフランスに行く事は無かったが、その後パルメイラスやグレミオなどで獲得したタイトルの数は多くの歴史的で著名な他のセレソンを遥かにしのぐものである。また皮肉にも98年のW杯でオープニングゴールを挙げたのはチームの消滅まで残ったセザール・サンパイオ・カンポスであったが、その後、エヴァイールも含めた3人でトヨタ杯にて日本に凱旋した事も忘れられない思い出だ。
32歳にして2大会ぶりとなるW杯を目指すパシャにとって、この決断が素晴らしい結果をもたらしてくれるよう祈りたい。勿論結果が残せなければ招集すべきではないだろうが。
mehdyさん、ご無沙汰しています。
パシャ帰国しちゃうんですか?
昨日ロマン・ヴァルナーがFAKに移籍してきました。
アドミラでフィットするのは難しかったんでしょうね。
ドバイのテストマッチではパシャはまだアドミラ側でプレイしているようです。
また何かわかったら教えてくださいね。
お忙しいようでご自愛ください。
(2006.01.30 18:23:00)