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2007年10月20日
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カテゴリ:つれづれ
今日は午前中お仕事でした。
出勤すると、近くの保育園が小学校の運動場で運動会をしていました。
自分の子供がいないので、自然と自分自身の幼児時代を思い浮かべます。
わたしは父の実家近くの幼稚園に一年、
現在の住まいから徒歩3分ほどの所にあった保育園に1年通いました。
幼稚園
わたしの住んでいるマンションは駅のすぐ南東にありますが、
保育園は駅の西側、昔住んでいた家はさらに4分ばかり北西に行ったところです。
生まれたのも保育園の並びにあった産婦人科ですから
本当にこの近所で生まれ育ったわけです。
もっとも、30年以上の月日が流れましたから、
町は様変わりし、住む人たちも大きく入れ替わったことは言うまでもありません。
現在もわたしが生まれたお医者様はそこにありますが、
入院・分娩などはとうの昔にされなくなっています。
一年間かよった保育園もその後廃園になり、裏にあった地区の会館に吸収されました。
この会館も、まだ裏手部分だけだった頃、ヤマハのオルガン教室や
そろばん教室にかよった思い出の場所です。
小学校はといえば、わたしが住んでいた家の真北、目の前にありました。
学校は今もそこにありますが、わたしの住んでいた家はもうありません。
家の前に広がっていた平屋の府営住宅地は、もう随分前に全て取り壊され
マンションタイプの住宅街として生まれ変わりました。
昨日、整骨院の先生と話していて、先生が地元で生まれ育った
わたしより5つ年長さんだということがわかりました。
もっとも先生は駅より東側のヒトなので、
わたしが今住んでいるマンションのすぐ北側にある小学校にかよっていたそうです。
その小学校は、わたしの母や叔父たちもかよった学校です。
わたしもあと4年早く生まれていたら、その小学校へ入学するはずでしたが、
昭和45年、子供が増えすぎて駅の西側に新たに小学校が設けられ、
わたしはその、自宅から徒歩5秒ほどの新学校へかようことになったのです。
おかげでまだ新しい校舎で、少ない人数で、結構快適に学校生活を送りました。
1クラス30名の2クラス。
まあ、丙午でしたしね。
もつとも最初の一年くらいは、体育館とプールが出来上がっておらず、
プレハブの講堂で入学式をし、水泳は15分ばかり歩いて、
八幡様の敷地にあったプールを借りに行っていました。
小学生用のプールというわけではありませんでしたから、
プールの底に足がつかず、コワい思いをしたものです。
さて、そんなふうにして開校された小学校でしたが、
整骨院の先生によれば、一時は児童数の減少により、
廃校もささやかれていたのだとか・・・・。
「一クラスしかない学年もあったくらいやからねー」と先生。
そりゃ少ないわ。
元通り、東側の古い小学校に吸収してしまえという話もあったそうで。
ところが、9年前にうちのマンションが出来、
その翌年だったか翌々年だったかに鉄道会社が運営する大型マンション群が完成し、
町に若い人口がぐんと増えたわけです。
当然子供も町中にワンサカあふれかえって、
わたしのかよっていた小学校は本来このマンション群を校区に含んでいなかったにもかかわらず
そこの児童をうちの小学校へください!と要請して一部それが承認されたらしく、
おかげで学校として存続し得たという顛末だそうです。
長年この市に住み続けながら、そんな話はまったく知りませんでした(^-^;)。
弟や妹もいませんし、わが子も甥姪もいませんので、
卒業生とはいえ学校事情とは無縁の生活、
はじめから終わりまで「へえ~~~っ」「ふう~~~ん」(笑)。
すっかり浦島太郎です。
浦島太郎は竜宮城に行っていたけれど、わたしなんて同じ町にいながらにして
町が移り変わっていく様子に気づきもしないで、
気がついたら白髪も増えた肥えたオバチャンになってたんですから
どうも情けない話です。
整骨院の先生は、自分の生まれ育った東側の旧村を
老人が多く、考えも保守的で、西側の地区と全く違っているとおっしゃってましたが
西側に住んでいたわたしとしては、少しうらやましい。
東側よりずっとあと、戦後になって開けた西側は、その後世代交代で
ヒトも建物もすっかり様変わりしてしまったけれど、
東側の旧村はもっとずっと昔の面影をとどめて、祭も続いています。
どちらがいいとは言えないのだろうけれど・・・・
思い出を偲ぶよすがを、少しは残していてほしいものだなと、
ちっょと淋しくなったりするのでした。







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最終更新日  2007年10月20日 19時10分13秒
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