麺聖の重文<弘憲寺 不動明王像>の旅
昨日の午後から、高松市の利剣山弘憲寺の重文不動明王像。高松城下の寺町は城の南にもあるが、ここは西の寺町にあたる。高野山真言宗。生駒家の菩提寺のひとつで天平時代に今の飯山町に開かれた法勲寺を生駒親正の子の一正が移し諡の弘憲公から名付けた。重文木造不動明王立像は年に2回だけ開帳される。15時過ぎに着いたとき弁天堂でみんなお勤めをされてたので、誰もいない本堂の不動明王にそっとお参りをした。旧法勲寺から伝えられたという平安仏。本堂の裏には親正夫妻の墓がある。生駒家は四代にわたって讃岐一国17万石を治めたが、四代高俊の代に生駒騒動のため出羽矢島に1万石で転封された。そのあとを治めたのが水戸黄門の兄だけど、西讃は山崎家(後に京極家)に分割された。