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ええ感じ…。

■依存と自立

P.P.I.com in livedoor
-心おだやかにいきるために-
■1 「依存と自立」について

自己愛の内容を読んで、十分に自分に価値があるとすぐに思えた方は、
おそらく、家庭環境がよかった方だろうと思います。
十分に親に愛されて、潜在的に自分に価値があると、
すでに感じている方であろうと思います。

そうではなく、家庭環境が劣悪であったのに、
これらの内容に共感してくださった方の場合は、
おそらく、そうとうの苦しみを経て、
「自己愛」にたどりついたのだと思います。
僕がそうであったように...

しかし、今現在、
自分で自分を愛しなさい、といわれても、
理屈でなくて、愛されたい...
愛してもらいたくてたまらない...
愛されていないと、
さみしくてさみしくてしかたがない...
苦しくて苦しくてしかたがない...
心が安定しない...
そんな状態にある方の場合...
そして、その症状がさらに悪化して、
ついには、何も手につかなくなる...
心の病になる...
自殺さえしたくなる...
ここまで来ていたら、その原因はなんなのか...
これを知らなくてはいけません。

ここで問題になるのが、
「依存と自立」の問題です。


■2 「依存」から「自立」へ

スチーブン・R・コヴィー氏による著書「7つの習慣」に、
「依存と自立」についての段階論を見ることができます。
依存から自立へ 
自立から相互依存へ 

1.依存

2.自立

3.相互依存

というプロセスを経て、人間は成長し、
成長した人間と人間によって、健全で幸福な人間関係が培われる、
ということです。
この最終段階を、コヴィー氏は「相互依存」と呼んでいます。

これは、よくアダルトチルドレン問題で出てくる
「共依存」
とは、まったく別物でです。
あるいは、まったく正反対の人間関係といってもよいかもしれません。


■3 依存心について 

僕が、20代の恋愛での苦しみの末に、うつ状態になり苦しんだときには、
「依存心」について考えざるをえませんでした。

そのときに、大変な学びになった本が、
加藤諦三先生の一連の著作です。
これらの言葉は、10代後半から、20代、30代と、
必ず学ばなければならないものだと、
僕はそう考えています。
以下に、加藤先生の著作から、
依存心についての引用をさせていただきます。

甘えている人間は、他人に依存しながら、
他人を支配しようとしている人である。
甘えた人間が恋愛をしたときを考えてみよう。
相手が常に自分に注目していることを求める。
恋人が自分以外の異性と少しでも話をすれば、不機嫌になる。
相手が自分に注目してほしいからである。
そして、この甘えの気持ちが満たされないと、
すねたり、ひがんだりする。
加藤諦三 「安心感」 大和書房 より

他人が自分を特別に扱ってほしい、
他人が自分に注目してほしいということは、
自分が自分の重要性を確認したいということであろう。
自分の重要性に関して自信を失っているときほど、
われわれは他人が自分を重要な人間と見とめてくれることを求める。
したがって、甘えている人間の喜びというものも、
煎じつめると、一つのことに帰着してくる。
他人が自分を重要人物としてあつかってくれたということである。
(中略)
他人にたいせつに扱われたということが、最大の喜びである。
自分が何かを達成したということが喜びではなく、
自分がいかに扱われたかが喜びと悲しみを分ける最も重要な点なのである。
したがって、傷つきやすくもある。
最大の喜びが、他人がいかに自分をあつかったかということから出てくる人間は、
同時にその扱われ方のなかで、最も深く傷を負うからである。
加藤諦三 「安心感」 大和書房 より

何をいかになしたかということではなく、
誰がいかに自分を扱ったかが大切になる人間は、
受身で甘えている人間であろう。
自分はこうしたいという能動的な要求を、
甘えている人間は持たない。
甘えている人間の要求は、
すべて受け身の要求なのである。
甘えている人間は能動的な欲求をもっていないから、
いつになっても自信というものができてこないのである。
われわれが自信をもつのは、
自分がかくかくしかじかのことをなしとげたということによってである。
他からいかに扱われたかということによって、
自信が出てくるのではない。

他人から特別に扱われたということは、
そのときの喜びであっても、
一年たってもなおかつそれが喜びとなるわけではない。
今度はそのように扱われないということで、
むしろ逆に不満の種になってくる。
他人からの称賛や扱われ方で喜び人は多いが、
その喜びは一瞬のうちに消えるものであるということを忘れてはならない。
それにひきかえ、自分がかくかくのしかじかのことをなしとげたという自信は、
一瞬のうちに消え去るものではない。
加藤諦三 「安心感」 大和書房 より

甘えた人間は、
周囲が自分を特別の人間として扱ってくれることを求めるから、
どの世界にいっても傷つきがちである。
そして、それゆえに劣等感を持ち、
さらに、傷つくことになる。

では、どういう人が最も他人の目を気にするのであろうか。
他人が自分をどう見ているか、
そういうことに最も気をつかう人は、
いったいどういうタイプの人であろうか。
一口にいってしまえば、依存心の強い人である。
依存心が強ければ強いほど、他人が自分をどう見ているかということが、
気になるものである。
何をするにも、
こんなことをしたら嫌われないだろうか、
こんなことをしたら、ばかにされないだろうか、
こんなことをしたら尊敬されるだろうか、
ということで行動する人がいる。

そのような人は、依存心の強い人なのである。
なぜ、他人が自分をどう見ているかということが、
それほど気になるのであろうか。
それは、他人が自分をどう見ているかということが、
自分の気持ちに多大な影響を与えるからである。
他人のなかにある自己のイメージが、
自分の感情に決定的な影響をおよぼすからであろう。
よく思われていればうれしいし、
悪く思われていればつらい。
加藤諦三 「安心感」 大和書房 より

他人に精神的に依存している人間は、
「何々をしてもらう」とか「何かをされる」とか、
「してやる」とかいうような形でしか自分を意識できない。
「自分はこれこれのことがしたい」というかたちで、
自分を意識できてはじめて依存心の心理を抜け出したといえるだろう。
加藤諦三 「自分の構造」 大和書房 より

■4 「依存」から「自立」への基本的なプロセス

さて、加藤諦三先生の著作から言葉を紹介しながら、
「依存心とは何か」について学んでみました。

あらためて整理してみますと、
「依存」とは何かを、広辞林で調べれば、
「他にたよって存在すること」とあります。
つまり、依存心とは、
「他の人をたよらないと生きていけない心」、
「他の人をたよらないと安定しない心」、
ということになるでしょうか。

もう少し、言葉を加えれば、
「他の人に、自分や自分の行うことを、良いとみとめてもらいたいと思う心」
あるいは、
「他の人に、良いとみとめてもらわないと、行動できない心」
ということでしょうか。

では、「自立」とはなんでしょうか。
「自立」を、先の「依存」と比べて考えれば、
「他の人の意見ではなく、自分で考え、行動すること」
「そして、その結果に対して、責任をもつこと」
ということになると思います。
ということは、この「依存」と「自立」の違いは何であるかというと、

結局、ものごとを考え、行動するときの基準が、
他の人がどう思うか、(受動的、あるいは反応的)
にあるのか、それとも、
自分がどう思うか、(能動的、あるいは主体的)
にあるのか、の違いである、というわけです。
これは、どちらが良くてどちらが悪いということではなくて、
人間の成長のプロセスなのです。

生まれたての赤ちゃんが、まさしく「依存」の状態にあります。
親が面倒を見なければ、生きていけません。
まさしく、「他をたよって存在している」わけです。
そして、生きていく方法も、ものごとの善悪も、何もわかりませんから、
親に、今から行うことが、良いのか悪いのか、
どうしたらいいのかを聞いて、一つ一つ学んでいきます。
親は、その子の成長の段階を見ながら、
次第に、自分の責任でものごとを考え、判断し、行動していくようにと、
育てていくわけです。

これが、「依存」から「自立」への基本的なプロセスです。


■5 「依存と自立」と「愛」の関係
なぜ、自己愛の次に、この「依存と自立」に触れたのか...
それは、
「依存」が愛を与えられる側の立場であり、
「自立」が愛を与える側の立場であるからです。

本当の愛とは、
与える愛、
利他、
無償の愛、
見かえりを求めない愛、
それが、素晴らしいことであるということは、良くわかる...
それが、真実の愛であることも、頭ではわかる...
自分もそうした愛の持ち主になりたい...
しかし、なれない...

その原因は、極めて極端に言ってしまえば、
自分が、愛を与える立場にまで、
まだ十分に成長していない、ということなのです。
ここまで読み、また、前述の加藤先生の文章を読むことで、
自分が依存心の塊のように思え、
自分が甘えている駄目な人間のように感じられた方がいらっしゃったとしたら...
それは、あなたに限ったことではありません。

かくいう僕もそうでした。
20代に自分の依存心に気づいたときには、
僕も、幾度も一人で泣きました。
おそらく僕だけではない...
たくさんの方が、自分のいたらなさを嘆いて、
涙しながら、自分と格闘しつつ成長してきたはずです。
今もそうである方もたくさんいることでしょう。

■6 過剰に自分を責めないでください

しかし、ここで、大事な視点があります。
自分の状況を、客観的に知る必要があるのです。
そのために大切な一つのポイントがあります。

それは、あなたが、依存的な精神状態になった原因は、
「あなたのせいではない」ということです。
これを客観的な事実として、知っていただきたいと思うんです。

ただ、冒頭で述べたように、
僕たちは、生まれる前に、自分が生まれてくる環境を選んで生まれてきています。
ですから、
依存的な精神状態になった原因は、自分には無いとしても、
「依存的な精神状態になる原因となる環境を選んで生まれた」
という意味では、自分に責任があるんです。
その厳しい環境で、何かを学ぶために、
その環境を選んで生まれてきたということです。

そして、また、
「依存的な精神状態のままでいつづけた」
ということについても、自分に責任があります。

ここは、非常に考え方として、むずかしいところですし、
家庭環境が厳しければ、厳しいほど、
この事実を受け入れることはむずかしいことだとは思いますが、
ここを、客観的に冷静に自分の状況を見定めて欲しいんです。

うつ状態になりやすい方は、
特に、自分を責める傾向があるのですが、
過剰に自分の責任として受け止めて、
自分をいじめてしまうことも良くありません。

また、反対に、今の自分の苦しみは、
親のせいだ、環境のせいだ、社会のせいだ...
といつまでも、責任を他に求めていても、
状況はいっこうに変わりません。良くなりません。

ここは、本当にむずかしいところですが、
過剰に自分を責めることなく、
また、過剰に他人をも責めることなく、
正しく自分を成長させていっていただきたいと、
切に思う次第です。

このことを先に書いておいて、
もう少し、加藤先生の著作からの引用を続けたいと思います。

■7 安心感について

私は、依存心というのは弱い立場にある人が持つ、
というのが自然の法則であると思っている。

たとえば、親が自立心を持ち、小さい子どもが依存心を持つ。
そして、強い立場にある親が依存心の強い子どもを指導し、
子どもは依存心を克服していく。
自立心のある親は、小さい子どもの依存心を受け入れながら、
必要な保護を与えて育てていく。
依存心は受け入れられることで解消していく。
それが成長である。

ところが、この自然の法則にさからうことが、
社会ではいくらでもある。
つまり、強い立場にある人が、依存心を持っているということである。
強い立場にある人の依存心は、弱い立場にある人の依存心を受け入れない。
依存心は依存心を受け入れることができない。
自分より強い立場にある人が強烈な依存心をもっているとき、
人は安心感をもてない。
これが安心感のポイントである。

人は受け入れられることによって安心感を持てる。
強い立場にある人が依存心を持っているとき、
弱い立場にある人は、所有されることはあっても、
受け入れられることはない。
また、利用されても受け入れられることはない。
他方、弱い立場にある人は、
相手に役立つことによって評価されようとする。
そして、相手に評価されようとして、
もっと相手に役立とうとする。

この種の人が、基本的に誤解していることがある。
受け入れられないことの原因を自分に求めてしまうのである。
受け入れられないのは、相手に受け入れる能力がないからである。
この理解がたいせつである。

安心感を求めている人が、もし、この理解を欠けば、
いつまでも無駄な努力をして、自分を傷め続けることになる。
相手に役に立つことで受け入れられようと努力する人が、
その役に立つことに失敗すると、
家庭内暴力や登校拒否のようなことになる。

また、役に立つことに成功している限り、
その間違った努力を続けておとなになって神経症などになる。
安心感を持てない人は、幼いことから多くの人に「所有」はされたけれど、
「受け入れ」られることがなかった人であろう。
自分にとってたいせつな人に、
自分が受け入れられないことによって、
自分で自分を受け入れることができなかった。
したがって、安心感が持てなかった。

そして、自分にとってたいせつな人に、
他人を受け入れる能力が欠如しているから、
自分が受け入れられないのではなく、
受け入れられないのは自分がより役に立たないからだという、
決定的な誤解の上に生きてきたのである。

安心感について、この基本を理解すれば、
安心感を持つ道は開けてくるであろう。

加藤諦三 「安心感」まえがき 大和書房 より


■8 自立への道

つまり、依存心を克服した、自立した親ならば、
その子供のありのままを受け入れて、
愛し、育てることができる...
それによって子供は、「自立」していくことができる...
子供はあるがままの自分を受け入れてもらうことで、
ありのままの自分を愛するという、
いわゆる「自己愛」を自分の内に育みつつ、
成長していけるというわけです。

しかし、ここで、2つの問題があります。
ひとつは、
そんなに完璧な子育てができる親が、そんなには存在しない、ということ。
そして、もうひとつは、
死別や離婚等によって、
ありのままを愛してもらうべき親そのものが存在しない場合もありうる、
ということです。

そして、更に付け加えると、
こうした依存的な関係にある存在が、
それは、ほとんどの場合自分の親であり、
その次に多いのは、恋人や伴侶であると思いますが、
そうした、依存し、依存されあっている関係の人が、
死を含む別離によって、自分のそばから突然いなくなってしまう時…
決定的な喪失感が生まれます。

前述したように、僕は、20代に、うつ状態になりましたが、
そのときの、もうひとつの要因として、
実の父が亡くなったことがありました。
また、僕の末の弟もその後、ひきこもりになりました。
僕の父が亡くなった後、二人とも、前後して、
うつ状態におちいったわけです。

僕の場合は、前述したように、
結婚の約束をしていたそのときの彼女との破局も重なりました。
僕自身は、約6ヶ月程度の無職期間がありましたが、
それ以外は、約三年程、苦しみつつも仕事を続けながら、
回復していくことができました。

弟の場合は、仕事復帰まで、約8年かかりました。
弟の場合は、その父の、死の瞬間の当事者でしたから、
僕よりも、もっと苦しかっただろうと思います。

しかし、とにもかくにも…
僕も、弟も、回復していきました。
時間はかかるけれども、苦しみを経て、みんな成長していきます。
恵まれない家庭環境であったとしても、
自立への道は必ずある、ということなのです。
そうした苦しみや悲しみの日々を経て、
僕は自立への道を歩んできました。

そして、おだやかな心境が続く今、
自分の半生を振り返りつつ、
あなたにお伝えしたいことは、
今、悩みの渦中にあり、
苦しい日々が続いているとしても、
その苦しみの環境は、あなたが自ら選んだのだということ…
そして、その環境の中で、教訓をつかみとることで、
あなたが自立へと向かうのだということ…
そして、自立へと向かいつつある中で、
本当に魂が成長したときに味わえる幸福感があるのだということなのです。

僕自身のそうした経験からも、
苦しみや悲しみの中には、大切な学ぶべき何かがあるといえると思います。

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