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ランキング、参加してみました。
あがるかな?ちょっとドキドキ。 書くキモチもテンションもアップするので、よかったら、ぜひともクリックお願いします。 旦那さんがわたしの生い立ち、作ってくれました。 宮成なみHPより。突然の発病~高校時代 音楽までついてて、結構凝ってます。笑。旦那さんありがとう。 病気になれば、諦めなきゃならないことも多くって。 なんで、こんなことになっちゃったんだろうって泣きたくなる日もあるわけで。 だけど、例え小さな希望でも、ココロに夢を燈していたい。 できないことをめそめそ悲しむよりも、できることを楽しみたい。 母がくれた魔法の言葉。 「おいしいごはんを作るにはコツがあるとよ。 お金をかけるか、手間をかけるか、時間をかけるか。知恵をかけるか。 どれかひとつをかけたらいい。 お金がなくても、豪華なごはんは作れるし、時間がなくても美味しいおかずは作れるよ。 人生も料理も一緒。失敗してもいいじゃない。 諦めないで続けていけば、だんだん上手になるんだから」 人生も、上手に調理できるようになるかなぁ。 そんな私の奮闘記。 日々日常の日記はコチラ 料理研究家・宮成なみの日記 ぜひそちらをご覧ください。 料理レシピ・メロメロレシピの宮成なみ公式サイト ホームページを少しずつ作っていっています。 まだまだだけど、楽しんでもらえたら嬉しいです。 メール、お手紙、お仕事などのご依頼などございましたら、ホームページお問い合わせ欄をご利用ください。 お問合せは 楽しい食卓株式会社インフォメーション係 info@mero-mero.jp みなさまのおかげで、出版することができました。 ![]() わたしが、「結節性動脈周囲炎」を発病し、 母とともに過ごした闘病生活の話や 料理研究家になるまでの道のりなどの話が 本になることになりました。 以前、この楽天ブログに書いていたお話も入っています。 タイトルは、 「奇跡のごはん」 です。 ちょうど、 この 宮成なみの【夢叶】は、『奇跡のごはん』の続きになります。 読んでもらえたら、すごく嬉しいです。 最初から読む。→ 最初から。 夢ノートの始まり。 ごはんで作る愛がある メロメロ料理研究家 宮成 なみの日記 [全68件]
2009年1月12日 1時47分。 お義父さんが亡くなりました。 78歳でした。 透析になると分かっている嫁なのに、 笑顔で迎えてくれたお義父さん。 解決策は必ずやってくると 教えてくれたお義父さん。 毎日2合のお酒を 本当に楽しそうに飲んでたお義父さん。 二度も末期がんから復活したのに。 お義父さんは、最後まで、私たちの前で泣き言を言うことなく、 苦しそうな顔を見せることなく、息を引き取りました。 痛かったろうに。 苦しかったろうに。 「落ち込めば、落ち込むほど、病気が悪くなるだけだよ。 受け入れるのが一番。」 「なみさん、苦しいときほど笑ってないと。 解決策は必ずやってくるから、大丈夫」 お義父さんは、いつもそう、言っていて、 本当に自分自身最後まで、 弱音を吐くこともありませんでした。 お義父さん。 本当にありがとう。 私がそっちに行ったときには また一緒にごはん食べようね。 最終更新日時 2009年1月29日 14時29分5秒
驚く私の顔を見て、義父は、少し笑って、 ゆっくり話し始めました。 「僕の二番目の奥さんがかかった病気は、まだ発見されたばかりの病気で、 まだ特定疾患なんて制度もなくて、 医療費の負担なんかもなかったんだ。 当時、僕が仕事して働いて稼いだ1ヶ月分の給料を 全部入院費に当てても、足りなかった。 貯金も使い果たして、借りれるところにはすべて借りに行って、 自分のごはんも食べられないで、それでもまだ足りなかった。 そんな生活が1年続いて、 でも、奥さんの具合はよくならなくて、 このままじゃ、奥さんの治療を続けることもできないし、 自分も首をくくるしかない、そんな状況まできてしまった。 本当にどうすることもできないと思ったよ。 けどね、 そんなとき、僕の大学時代の友達から電話があったんだ。 大学病院に勤めているヤツだった。 援助をうけながら、治療が受けられる方法があると教えてくれたんだ。 奥さんが亡くなったときに、解剖することになってしまうけど、 その手続きをしないかと。 僕は頼むといって、 奥さんは立派な大学病院で医療を受けながら、 寿命を全うすることができたんだ。 僕もごはんを食べながら、 奥さんの看病をすることができたんだ。 だからね。 まだ起きてない未来のことで、思い悩む必要もないし、 まだ起きてない未来のことで、不安になってちゃいけないんだよ。 今できることを精一杯やればいい。 精一杯やっていたら、向こうからなんとかする方法は必ずやってくるもんなんだよ。 お義父さんが70年以上生きてきて言うんだから間違いないよ。」 そう言って義父は私に微笑みかけました。 私はもう、我慢ができなくて、ぐしゃぐしゃの顔をして泣いていて。 「息子も一緒に頑張ろうって言ってくれてるんだろう。 まずは2人で頑張ってみなさい。 できるとこまで、頑張ってみなさい。 それでも2人でなんとかならなかったら、 お義父さんもお義母さんもいるじゃないか。 なみさんのお父さんもお母さんもいるじゃないか。 それが家族だろう。 今から悩む必要も、怖がることもないんだよ。 大丈夫。 ちゃんと解決策はやってくるから。」 私の手を取ってそう言いました。 夜遅くに帰ってきた彼に義父が話してくれた話をすると、 「そんなこと、知らなかったよ!!」と驚いていました。 「なんの因果だろうね。 親子そろって、難病の奥さんもらっちゃうなんてね」 と言って笑っていました。 私も彼の横で、泣きながら笑いました。 思ったより、長くなっちゃった。 長引いたのに、読んでくれてありがとう がんばって更新しなきゃ! 最終更新日時 2007年12月11日 11時33分14秒
「なみさん」
お義父さんは、今でも元気に毎晩晩酌を楽しんでるよ。 がんばって更新しなきゃ 最終更新日時 2007年12月10日 10時44分15秒
「年内中に…」 私は、正直に言おう、と覚悟を決めました。 泣かないで。 ちゃんと伝えなきゃ。 「年内中に?」 義母はお茶を注ぎながら、 私のほうを見つめていました。 「…透析になるかもしれない。わたし」 義母の手が止まり、 義父が私のほうを見ました。 「…お医者さんは、なんて言ってるの?」 「彼が、どうにかならないんですか?って何度も何度も食いついてくれたけど、 どうすることもできないって。 『そう言う病気ですから…』って言ってた。 早くて、年内中に、透析になるって」 テレビの音が妙に大きく聞こえて。 芸人さんのギャグと会場の笑い声が響いていました。 沈黙を破ったのは、義母でした。 「なみさんはどうなの?大丈夫なの?」 「大丈夫。体はきつくない。けど…」 もう。限界でした。 「怖いよ。 透析になるの怖いよ。 もうやだよ。 彼にも、みんなにも…迷惑かけて生きるのはイヤ。 本当にごめんなさい。」 義母の目にももうすでに涙が浮かんでました。 ランキング、参加してみました。 あがるかな?ちょっとドキドキ。 書くキモチもテンションもアップするので、よかったら、ぜひともクリックお願いします。 最終更新日時 2007年12月9日 14時15分44秒
家に着くと、義母はいつものように、
夕飯の準備の途中だったようで、
「マミー、手伝うよ」って言って
言葉に詰まってしまって。 正直に言ってしまえば、 「なんともなかったよ」と言ってしまえば、
義母は気づいたようでした。
最終更新日時 2007年12月7日 15時24分36秒
今日は、「奇跡のごはん」に書いてない話を ちょこっと書こうかなって思います。 桜のつぼみが膨らみはじめる2月の終わり。 毎月行っている定期検診で、お医者さんから 「年内中に透析になることを覚悟して置いてください」 と言われました。 結納の1ヶ月前のことでした。 結婚が駄目になったと思いました。 けれど、定期検診に一緒に来てくれていた彼は、 「一緒に頑張ろう」と言ってくれました。 そのあと、彼は仕事に行き、 私は彼の家に戻りました。 ちょうどその時ね、 入籍前の2ヵ月くらい、私は彼の家にいました。 彼と、義父母と一緒に暮らしていました。 私のココロはずっと重たいままで、 彼の家へ向かいました。 彼は一緒に頑張ろうって行ってくれているけど、 お義父さんやお義母さんはなんていうだろう。 透析になるってわかってる娘を 嫁に迎えてくれるのかな。 恋愛と結婚は少し違うと思っていました。 ただ本人同士が好きなだけでできる恋愛と違って、 結婚は、ちょっとだけ複雑になっているって思っていました。 好きだけじゃ済まされない。 最後は本人の気持ち次第なんだろうけれど、 それでも家族の反対があれば、すんなりは行かないだろうなと思っていました。 重い足取りでマンションに着くと、 ゆっくりとチャイムを押しました。 最終更新日時 2007年12月6日 17時35分23秒
結婚式は みんなの笑顔が溢れるなかで あっという間に過ぎていきました。 わたしの友達は、 よかったね、よかったねと言って 一緒に泣いてくれました。 お父さんの取引先や、親戚のおじさんたちまで、 よかったなぁ、親孝行するんだぞ、と言って 泣き出しちゃって 父は1人泣いてなかったから、 みんなに薄情者だなと冷かされていました。 和やかな雰囲気のなか、 式は終盤を迎えました。 余興は、 旦那さんと、高校時代の仲間たちで 『ブライダルズ』というバンドをやりました。 いまの旦那さんからは想像できないけれど、 高校時代、バンドやってたんだって。 この日のために練習したビートルズの曲を みんなで演奏しました。 そして最後に、 ボーカルの男の子と旦那さんが代わって、 レミオロメンの3月9日を歌ってくれました。 流れる季節の真ん中で ふと日の長さを感じます せわしく過ぎる日々の中に 私とあなたで夢を描く 少し照れてるあなたの横で 新たな世界の入口に立ち 気づいたことは 1人じゃないってこと ずっとずっと今まで、 不安を抱えていました。 この先、 生きていけるのかなって。 だから私は、 がむしゃらに肩肘を張って がんばっていました。 強がっていました。 瞳を閉じれば あなたが まぶたのうらに いることで どれほど強くなれたでしょう あなたにとって私も そうでありたい でも、 それは本当の強さじゃないことを あなたと出会って知りました。 青い空は凛と澄んで 羊雲は静かに揺れる 花咲くを待つ喜びを 分かち合えるのであれば それは幸せ この先も 隣で そっと微笑んで 旦那ちん。 結婚してくれて、 ありがとう。 まだまだ至らないところばかりだけど、 新しい道。 築いていこうね。 ![]() 最終更新日時 2007年8月28日 18時36分37秒 |一覧| |
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