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「メルボルン二世の思い出の中の地方競馬」記憶と言う”宝箱!”から引き出していきます。

メルボルン二世5172の日記 [全2715件]

  ヒロベスト 
[ 地方競馬 ]  

榛名山特別・高崎競馬場
hirobesuto.jpg

ヒロベスト・久保田政弘騎手、社台の馬じゃありません


最終更新日時 2009年11月23日 18時40分7秒
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  リーデイング争い!白熱 
[ 地方競馬 ]  

大井のトレーナーです
現在一位38勝
56suegorou.jpg
昭和56年きさらぎ特別をキクマツオーで勝ったときの蛯名末五郎騎手
現在二位38勝
5arayamaV.jpg
平成五年ホワイトシルバーで東京大賞典を優勝した時の荒山勝徳騎手左が名騎手荒山徳一調教師です。

*小林分厩舎の調教師がリーデングなるのは、久しぶりなので、荒山厩舎を応援したいです。


最終更新日時 2009年11月23日 11時17分23秒
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2009年11月22日

  昭和54年おおとり賞・ステイーブ・コーゼン  (2)
[ この一枚 ]  

54年のおおとり賞でエビタカラに騎乗したステイーブ・コーゼン騎手
54SC.jpg

若き天才ステーブ・コーゼン騎手の日本騎乗は、地方競馬の大井競馬でした。
「JRAのファンにも、見せたい」と、JRAの職員が言った所「地方が呼んだ騎手などJRAで騎乗させられるか!!」という幹部に一喝され実現しなかったということです?
ファンのことよりメンツ??

54ootori.jpg
レースは、燃えた?的場文男騎手のハーバーオールの二番手に付ける展開となった。


最終更新日時 2009年11月22日 18時55分19秒
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  メルボルン二世
[ 競馬全般 ]  

地方競馬とは関係はありませんが 、メルボルン二世が出てきますので書き込ませていただきます。
☆日本レース倶楽部内国産馬並びに
外国産馬(輸入)購買表
購買年月     種別  頭数    説明並びに有名になりたる馬名
明治15年10月 日本駒  20
 同       雑種馬  7
明治16年4月  日本駒  15
 同      雑種馬   6
明治16年10月 日本駒   13
 同      雑種馬   8
明治17年4月  日本駒  27
 同      雑種馬   9
明治17年10月 日本駒   9
明治18年4月 日本駒   17
明治18年10月日本駒    9
明治19年4月 日本駒   11
明治19年10月 日本駒   13
 同      雑種馬   8
明治20年4月 日本駒   5
明治20年10月日本駒   4
明治21年4月 日本駒   9
明治22年4月 日本駒   *9
明治23年春  日本駒   16
明治23年秋  日本駒   19   内二頭は博覧会より購買
明治24年4月 日本駒    9
明治24年10月日本駒    6
明治25年4月 日本駒    6
明治25年10月日本駒 2
明治26年4月 日本駒 5
明治26年10月日本駒  16
明治27年4月 日本駒 11
明治27年10月日本駒 16
明治28年4月 日本駒 9
明治28年10月日本駒 6
明治28年12月豪州産馬 4
明治29年4月 内国産馬 9
明治29年10月日本駒 3
  同 雑種馬 3
明治30年4月雑種馬 7
明治31年9月内国産馬 4
明治32年9月 豪州産?馬・牝馬30    ミラ号はこのうちの一牝馬なり。
明治33年春 豪州産?馬・牝馬 20
明治34年春 豪州産牝馬 20 オジョウサマ、マツゲ、ゴールドフ、インチ
フーレー
明治34年8月豪州産?馬 ・牝馬30
明治35年3月豪州産牝馬    20 デスデモナ、フジガワ 、ゼ・ビートル、
                    などあり
明治35年7月内国産馬     10
明治35年9月豪州産牝馬 22    ウレンホルスト(ヒタチ)メミー、メルボ                     ルン、カメオ、マゲリダ
明治36年3月豪州産牝馬     20   トモエ、アイヴィ,およびイヅモ
明治36年秋豪州産牝馬      24 オホサカ、アンナ・マリー、スマ
明治37年春豪州産牝馬 30 ブリムローズ、アレキサンドラ、カーネー                     ション
明治37年秋豪州産牝馬 20 ヴァイオレット、テキサス
明治38年春豪州産牝馬 25 テネン、フイアシュ、デキマス
明治38年秋豪州産牝馬 25
明治39年春豪州産牝馬 30 オトバ、ゴールド、スター
明治39年秋豪州産牝馬      40 メルボルン二世(イスズ)、チヤ
明治40年春豪州産牝馬      51 ラキヤンテネーア、ニューヨーク、クインベ                    ゴニア
  同 呼馬・内国産馬 16
明治40年秋豪州産牝馬 42 レデーアバルデーン、ミンダロー、ワッカウ                    メ、アヴァン、ガルデ、ヒヨシ、ビルガ、ア                    サギリ、ベネロープ、ヴァルモント二世(サ                    ラトガ)、ブレサネ、ミヅホなどあり。
  同 呼馬内国産馬 7
明治41年秋 豪州産牝馬 30 ココノエ、パンリ(キューピット)、フリップ フラップ、ウットバイン
  同 内国産馬 22 マスキー、トヨサト
明治42年春内国産馬 13 ヤングジャパン、カツミ、ツカサ、ハナブサ                    二世、カチグルマ、
明治43年春内国産馬 18 レッドリーフ、メレソート二世、ビジュー、イサミ
ナイアガラ、
明治43年秋内国産馬 15 ロメオ
明治44年春 豪州産牝馬 20 セイラー、ラインゴールド、キルケ、ソールテ                   ス
明治44年秋 豪州産牝馬 21 キヅワ、ネドシテ、ナデナ、サマリテーン
  同 内国産馬 10 タチマル、ショウグン
大正元年春 内国産馬 15 アラバマ、ヨコハマ二世、ベビクサ
▽上記の馬匹のほかに本倶楽部歯下記の輸入馬匹の競争の準備をなせり。
 ホーフインチ号、ゼ・クラオン、トライヤンファント、トニック、ノルスヘットヒズ、グレース、エキサイトメント、ロバルト、ブライトライトとこのほか特別購入せし呼馬及び内国産馬。
過去三十年間に於いて本倶楽部は、内国産馬匹四百七十頭及び豪州産馬馬匹五百二十四頭を購求せり
日本レース倶楽部のレコード速度表には上記の馬がかなり入っている
アイダホ、タツタ、ミラ、フラストレート、ハナビシ、ビワコ、ヒタチ、トニック、ヒズ、グレース、ノルスヘッドなど。
ちなみの時計を上げておくと
○内国産馬競走
四分の三哩(1200)トムボーイ1・22・2/5
一哩(1600) アイダホ 1・52・1/4
一哩八分の一(1800)サイキョウ2・10・7/10(2分10秒7)
一哩四分の一(2000)タツタ 2・22・4/5
一哩二分の一(2400)タツタ 2・55・2/5
○ 特別輸入場匹競走
一哩 ノルスヘッド1・45・4/10
一哩八分の一 トライアンファンド2・02・2/5
一哩四分の一 ヒズ、グレース 2・14・2/5
一哩二分の一 トニック      2・47
                  <競馬及競馬法史(帝国競馬協会 )>抜粋



最終更新日時 2009年11月22日 10時43分52秒
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2009年11月21日

  オーロパーク?
[ 地方競馬 ]  

☆「日本之産馬』大正三年秋季競馬号に地方競馬とかかわりの深い記事を見つけましたので書き込ませていただきます。
▲盛岡乗馬會の盛況
 盛岡青年黄金競馬会主催に.係る乗馬大会は、11月8日(日曜)当地黄金競馬場に於いて開會セしが、今その盛況を記さん、
当日は恰も日本晴れとも言うべき好日和にして,且つ青島(チンタオ)陥落の翌日と云う、武装したるが如き観覧人は錦織り出す観楓に郊外散策方々同場の内外に充満競り、一體餘興として三歳馬の競走奨励に重きを置き開催したるものなれば、其の趣味の深きはいまでもなく、殊に懸賞馬票は当市に於いて最近の擧行なれば予想以上の生協を呈したり、当日おもなる勝ち馬は左の如し(馬狂生報)
一 三歳 八分三哩 シンバイナイ   四十二秒
二 古馬 一哩   セントチリー   一分四十五秒
三 三歳優勝 八分四哩シンバイナイ  五十八秒
四 速歩新馬 一哩 ゲイシャ    
▲東北連合共進会の開催決定
 山形県主催の東北六県連合共進会の件につき,去月二十六日の六県当局者会議に於いて
大要左の如く決定したり
一 会期  大正五年九月二十二日より十月三十一日まで山形市に開く
一  会場  第一第二及び第三の三会場に分かち、第三会場を畜産館となす
一 襃賞授賞式
         十月十五日
------------------------------------------
盛岡のほうですが、現在の盛岡オーロパークの命名の由来が"黄金競馬場”にあったと記憶しているのですが。勝ち馬に珍名?がシンバイナイって新馬いない。セントチリーはなまったセントチェリーでしょうか?速歩のゲイシャはズバリ芸者でしょう。
東北六県連合には続いていて欲しかったです

記事は旧漢字が豊富な上にルビが振ってあって読みににくいこと著しいのでできる範囲で
今風にしました。記事の署名馬狂生にも笑えます。馬キチ?



最終更新日時 2009年11月21日 18時0分4秒
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  浦和競馬場誕生へ…  (2)
[ 地方競馬 ]  

法律の改正で注目されるのは、昭和26年に、著しく災害を受けた市町村でなくて
もその区域内に競馬場が存在する時は競馬を開催することができるようにした(法律
156号)。これによって、埼玉県にあっては、競馬場の所在地である浦和市が、9
月10日に指定を受け、11月30日に、第一回浦和競馬を開催した。
 公営競馬の躍進は、ただ単に売上の統計面だけではない。レース施行面においても
画期的な充実を見せ、嘗ての『草競馬』という侮蔑も一掃された。南関東公営競馬は
一丸となって、近代競馬へ努力を重ねた。国営競馬に先駆けてスターティングゲート
を、昭和28年に採用した。
 また同年3月に条例を定め、4月から公営競馬は画期的な「調教師制度」が行われ
ている。南関東に在厩する馬も四千頭を越え、連日開催体制に耐える競走資源も確保
された。同時に多くの逸駿も集まった。昭和29年(1954)国営競馬は特殊法人
の中央競馬会となり、その初の日本ダービーにおいて南関東公営競馬出身のゴールデ
ンウエーブ(地方名ネンタカラ)がタカオー、ダイナナホウシュウなどの強敵を一蹴
し、見事金的を射止めた。

 昭和26年秋、神奈川県の補助馬から出世したキヨフジが、府中のオークスを制覇
している。29年秋には大井豪サラ出身のオパールオーキッドが天皇賞を制している。
その後もダイゴホマレ(ダービー)、ミッドファーム(天皇賞)、タカマガハラ(天
皇賞)、オンスロート(天皇賞)らが、金的を射止めている。特に、昭和36年、3
7年はタカマガハラ、オンスロートの足下に中央競馬の強豪達が屈していた。
 アラブ界では、もっと、はっきりと中央競馬を圧倒している。中央競馬では、公営
競馬のアラブの強豪にアラブレースに出走されては『レースにならなくなる』ので、
公営競馬から挑戦するアラブにはサラブレッド競走以外には出走させないという冷酷
な手段を講じた。それでも、昭和29年にはホウセント、フクパーク(キノピオ)な
ど、公営競馬の強豪は、中央競馬のサラブレッドのレースに出走して錚錚たる戦果を
上げている。

 閑話休題。埼玉県の競馬は南下して栄えた。明治の馬政大計画で、馬がドンドン
増産され、大正時代に入ると豪農ばかりではなく農民の下層部にも、共同で馬を持つ
一本脚、二本脚(俗にもやい馬、入り馬ともいう)屋、馬喰から年間米○斗と言う契
約で借りる事が多数現れた。この時代となると畑競馬は更に一段と盛んになった。

 そして、その歴史的な特徴をあげると、埼玉県の畑競馬は秩父、児玉、比企など、
古来から馬の慣行が密接にあった緒都が栄え、それから斬時南下し、入間、北足立、
北埼玉の水田地帯の諸都に移行している。
 この例は畑競馬と違った競馬法のもとに行われた、「地方競馬」においても同様で
ある点興味深い。つまり、『地方競馬』は、かつて中世期日本の馬産王国秩父から興
り、それから斬時南下し、終極において、現在の浦和競馬に繋がっている。埼玉県の
「地方競馬」を史実的に調査すると

昭和2年  秩父競馬開設 秩父郡原谷村大字大野原
昭和3年  熊谷競馬開設 熊谷町荒川河畔
昭和4年  川越競馬開設 川越市田面沢村字今成
昭和4年  秩父競馬廃止
昭和6年  川越競馬廃止
昭和6年  大宮競馬開設 大宮町在宮原村字加茂宮
昭和8年  川越競馬移転復活 川越市新宿
昭和8年  熊谷競馬廃止
昭和12年 川越競馬廃止
昭和14年 大宮競馬廃止
昭和15年 春日部競馬開設 北葛飾郡幸松村字小渕
昭和22年 春日部競馬廃止
昭和23年 浦和競馬開設 浦和市大谷場

 現在の浦和競馬に定着するまでに、秩父競馬から熊谷競馬、川越競馬と移り、大宮
競馬から春日部競馬、春日部競馬から浦和競馬と経てきている。この間に川越競馬は
一旦廃止してから、別の場所で復活しているから、浦和競馬までに六ヶ所の変遷を見
ているわけである。
 秩父競馬から大宮競馬までは、地方競馬規則による地方競馬=「景品付き競馬」で
ある。

注2)現在秩父競馬場(1周600メートル)は秩父セメントの大野原工場が建って
おりその面影は全くない。

注3)埼玉県で、単勝式の他に複勝式を採用したのは熊谷競馬場が最初であって、貨
幣価値の高い時代だったから人気を博した。

<こぼれ話>
 法規の競馬は、埼玉県では二箇所しか許されない。それ以外の類似競馬はつまり、
『もぐり競馬』という事になる。その代表的なものが、「本庄競馬」と「鴻ノ巣競馬」
だとされている。
 本庄競馬は伝統は深く、古老の話によると明治末期の43年には行われていたとい
う。畑競馬から見ると、優秀な競馬といえる。大正時代に入ってからは、植木職の須
田万太郎氏が、自分の家の前に競馬場を作り、近在にいた出川春吉氏(故人、船橋競
馬の御大出川己代造調教師(出川博、克巳調教師の厳父)の厳父)がスタートのテー
プを切っていたというし、熊谷競馬が一時中止したときにも開催していたという。こ
の競馬は、高崎線の本庄駅すぐ南側にあり、土地の有力者たちが金を出し合って株式
組織でやったものだという。地方競馬規則が制定される昭和2年まで大いに栄えたも
のと思われる。
 鴻ノ巣競馬も明治末期から、昭和23〜24年まで開催され、畑競馬でも超一流の
ものだった。法規的な県内二箇所という規定がなければ、本庄競馬、鴻ノ巣競馬など
は、今日、ヤミの中に葬り去ることなく、ローカルの競馬場として、美しい伝統を持
った競馬となったに違いないだけに惜しい。「競馬は決して、売れる競馬場だけが競
馬でない」ハズである。

<参考文献>
埼玉県競馬史(埼玉県競馬主催者協議会)
地方競馬史(地方競馬全国協会)
競馬及競馬法史(帝国競馬協会)
日本の競馬(恒文社



最終更新日時 2009年11月21日 10時52分14秒
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2009年11月20日

  舞台裏は大変なのです…
[ 地方競馬 ]  

(1)キムバリー来日騎乗
 ・昭和55年11月に大井競馬に招待騎乗で来日したキムバリー・デロウラ騎手 にはコーゼンのときに通訳を務めた朝の調教から実戦までつききりだった。調教師からの指示を正確に伝えるのには普通の通訳では駄目なのだ。競馬用語なり競馬の知識が多少ともないと正確に伝わらないためだ。調教のときの服装でもヤンキー娘の感覚は違っていた。
Gパンに上はタートルネックにベスト(キム)カラフルなジャンパー(メアリー)であった。競馬場が気を使って品川のホテルを用意したのだが、調教が始まると『馬と一緒にいたい』と言い出し競馬場職員を戸惑わせた 。
 昭和56年東北三県が主催した『レデイースカップ81』にもキムは来日しており昭和57年の『レデイースカップ82』の時には3度目の来日だった。このとき空港に降り立ったキムは雰囲気が違っていた。髪が金髪ではなく黒髪だったのだ。(地毛が黒だった)。
これを見た某騎手の母上が速攻で髪染めを買いに走ってトイレで染め,金髪のキムでみんなの前に登場



最終更新日時 2009年11月20日 20時57分44秒
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