群青の君に捧ぐ
稀にここに書くこともあった、群青の君。
最古参にして、俺にとって、
接してきた時間も一番長く、
精神的距離も一番近い。医大のU後輩より断然長く、
そして、距離感が断然近い。
この4年間、俺も色々あったし、
色んな話をお互いしてきた。
違う育ちの人間だが、波長が合う、
それがぴったりの表現だった。
そして、彼は、その歴史知識、見識、歴史観、
思想における非凡さゆえ、また、自分が
心を許す仲間をとても大事にする事
などから、将来きっと、
人をまとめて何かの活動を主導する立場に
なる人間だと、私は確信してきた。
彼は、12月、一週間来ないときがあった。
連絡もなしに一週間来ないのは、初めてであった。
心配ではあったが、うちの城では、その様な場合
強硬手段はとらないことが多い。とにかく、時期という
ものがあるのだ。それから、無理してやらなくてもいい
場合もある。中高生の人生において、勉強が全てではない。
しかし、年明けてからも、心配は心配であった。
まぁ、彼などは、外に出るエネルギーが満ち溢れている人間
なので、閉じこもり等の心配は全くないのだが。
そして、今日、不意に、来た。進路について
思い迷っていたのはびっくりした。そして、
彼の中では結論をとうとう出したらしい。
「農」に従事し、通信制により神官の位階をとる、
というものだ。驚きはあったが、次第に俺は
感動していた。そして、彼は今見える未来を、
自分の行いたいことを大いに語った。よく決断
したものだ。
我々はもともと自然の中に暮らしていた。
人間は、もともと、土の上で、最初は、
毎日の糧を直接手に入れながら、また、
農耕に従事しながら、生活していた。
その根本に帰ることは、とても自然なことだ。
その根本に帰ることは、人間としての自らをこの上なく実感することだ。
羨ましいことだ。そんな話を彼とすることになった。
久しぶりだ。勉強以外に、社会についてお互いに語るのは。
また、それが合う合う。
そして恐らく彼は、その並外れた、社会、歴史の知識・見識を
生かして(他教科が全くできずとも、彼は、社会だけは、
勉強せずに、模試でも90点/100点が取れた、そんな
人間だし、更に点には現れない、議論をすると、私でこそ
同じ地平に立てるが、同年代では誰でも同じ地平には
立てないだろうと思われる、どことなくカリスマがあるのだ)、
更に、「農」を地で行った経験を併せ持ち、「神」にかかわりながら、
何らかの活動を主導していくことだろう。確信する。
恐らく、待っていたのだ・・・彼のお母様は彼が気付くこの日を・・・
恐らく全てを分かっておられたのだろう・・・ただ時期があるのだ。
彼のお父様お母様も、私が尊敬する方である。
関西にいたとき、私は山のふもとに家があったので、目の前は
砂利道、土と木に囲まれ、自然の環境があった。数年前まで、
岡豊山の下におり、これまた、山の緑と、田畑の緑、やっぱり
土の大地は身近なところにあった。
ところが今は、アスファルトだらけである。外へでてもアスファルト
だらけ。人工的すぎて苦しく、生きている感がない、アスファルトだと。
人間は大昔、自然の中に生きていたのだから、なるべく自然に近い
ほうが、それこそ人間の「自然」な振る舞いなのではないか。
彼は自分でも言っていたし、そこに、立ち返る、人間の根本に触れる
素晴らしい決断ではないか。
こんな話がお互いに通じるのは、群青の君だけだ。
社会に根付く慣習・歴史をその豊富な知識だけでなく、
語れる人間、思想を思想として、語れる人間は、
今の中高生には皆無、彼が最初にして最後ではないかという感もある、
どうしても皆、勉強は、大学に入るため、高校にはいるため、
知識をつけるため、やらなければならないから、
という感覚でしか捉えられず、
本来の面白さや、その奥深さを感じることができずに終わるのだ、
そしてそれでは本当の意味で血肉にはならない。
そしてそんな子に囲まれ、また、現実的要請に
汲々とする毎日であっただけに、
今日、群青の彼とこんな話ができたことは、自分にも、
何が大切かを気づかせてくれるきっかけとなった。
やっぱり、彼は、えらい。
巣立ってからも、交流を取り合う人間になることは確かだ。
今年は、巣立つ人間が多い。抜けた後、寂しくなる。
しかし、彼が、群青の君が、こちらの地域にいることになる、
それがせめてもの慰めだ。
2006.1.6