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難病を経験しました。その時の話など色々書くつもりです。 [全34件]
昨日妻より、『新聞にギラン・バレー症候群にかかった人の記事が載ってたわよ』と言われたので、先程ネットで検索してみました。 仏文学者の渡辺守章さん(74)の記事です。 入院中で外出許可を取られてスピーチをされたとのこと。色々な方が頑張っておられます。 *****以下、YOMIURI ONLINEより***** http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20070508bk07.htm 「守章節」健在アピール 「ギラン・バレー症候群」で今年1月下旬から入院、闘病中の仏文学者、渡辺守章さん(74)が先月24日、第12回日仏翻訳文学賞(小西国際交流財団)の贈呈式で久しぶりに元気な姿を見せた。受賞したのはクローデル『繻子の靴』(岩波文庫)の翻訳。毎日出版文化賞、日本翻訳文化賞に続いて三つ目の栄誉となる。 入院して3か月。2月には読売文学賞贈賞式の欠席を余儀なくされた。初めて外出許可を得て病院から駆け付けた渡辺さんは、「もし私がクローデルしかやってこなかったら、この本は絶対に訳せなかった」と、ジュネやマラルメへの「寄り道」効果を強調。病気で足がまひした当初の感覚を、ラシーヌ『フェードル』のせりふを流暢(りゅうちょう)に引いて説明した。最後は「何とか元気なうちに、『繻子の靴』を日本の舞台にかけてみたい」と上演への情熱を込めて、20分を超すスピーチを結んだ。 足にまひが残り、この日はいすに座ってのあいさつとなったが、詰めかけた関係者は、「守章節」健在に大きな拍手を送っていた。 (2007年5月8日 読売新聞)
ここまで、1回目の闘病に関して書いてきました。 しかし、あらためて思い起こしてみると、急激にかなりの状態まで落ちて、よくここまで回復したものだと自分でも思います。色んな意味で貴重な体験でした。 さて、歩行器、松葉杖と順調に卒業して、退院するときには何とか歩ける状態でした。 退院してからはさすがに東京でひとりで暮らすわけにはいかず、実家で療養するために即日新幹線とJRで家族と一緒に福井県まで帰りました。 やはり脚の筋肉も落ちてしまっているので、力が入らずちょっとふらふらの状態でしたが、ゆっくり歩くことはできました。ただ、その時に履いたスニーカーのなんと重く感じたことか・・・一応リハビリではそれを履いて練習をしていましたが、外に出ると地面もデコボコがあるし、足を高くあげる場面も必要で、全然違いましたね。 とにかく5時間くらい移動にはかかりますので、ゆっくり歩いてできるだけ力を使わずに、何とか帰り着くことができました。 帰ってしばらくは、プレドニンを自分で管理して服用するのと、呼吸器の入っていた箇所を縫合した傷口を消毒する作業が残っていました。これに関しては、とにかく大学病院の先生の指示通り、なんのためらいもなく進めていました。結果的には何もなく、病院に電話をかけるような事態にもならず、順調でした。ありがとうございました。 実家でのリハビリはまずは散歩です。 家の周りを疲れない程度にグルグル回って、懐かしい風景を楽しみました。しかし、こんな形で実家に戻るとは思ってもみませんでしたが(苦笑) 散歩については、歩くルートで管理をして徐々に延ばしていきました。昨日より家1軒分遠回りするとか、平坦な道から少しだけ階段(数段)のあるところを歩いてみたり。 今考えると、実家で過ごしたことは精神的にもプラスになっていた気がします。気持ちに余裕がありましたから、その分ゆっくり、じっくりできたと思います。
久しぶりの書き込みです。 正直、この辺までくると詳細をあまり覚えてなかったりします。 寝たきりの頃は色々考える時間もあったし、辛い事や不安もあったので余計に覚えているのですが、立つことができればその分気持ちも晴れるので、その時その時で忘れていっていたのかも知れませんね。 立ち上がることができると、あとはリハビリ含めた練習あるのみです。 次にできたのは車椅子に自分で乗り移ることができるようになったこと。これができれば、自由に行動できるようになります。 そして次は歩行器という道具でした。良く赤ちゃんが歩き始めたばかりの時に車輪がいくつもついたドーナツ型の器具を使いますが、あんな感じのものです。もちろんドーナツ型では中心に入れないので、「U字」です。高さは1m20cmくらいでしょうか? これとリハビリで効果があったらしく、あまり長い期間使わずに歩行器は卒業できました。 その後は、松葉杖を経て、文字通りの「ひとり立ち」ということです(笑)
車椅子で動き回れるようにはなりましたが、これも全く自由というわけにはいきません。 車椅子に乗り移るのは一人ではできず、看護師さんをわざわざ呼んで乗り移る補助をしてもらわないとうまくいかないのです。車椅子も広げたままでは邪魔ですので畳んで隅に置いてありますから、それを動かして、広げて乗りやすい位置にセットをすることがまず必要ですが、そこまでは自分ではできませんので手伝ってもらいます。 その準備が整ったら、起き上がり、ベッドの横に脚を下ろして座ります。脚(特に膝)に充分力が入れば両脚を支点に手の力でうまく乗れそうですが、その膝に力が入らないので支えることができず乗り移れません。さすがに痩せたと言っても手だけで56kgを支えることはできませんからね。回復しているとは言え、起き上がることしかできず、我ながら不甲斐ない思いをしたものです。 この頃は脚にも少しずつ力は入るのですが、無理なことをすると膝を痛めたり、転倒したりする危険性があるため、リハビリの先生には充分注意をされていました。リハビリは焦らず少しずつが大切なのだと・・・ 確かに自分でも色々なことができるようになると、早く次にと思いますし、家族も来る度に回復している変化を見て嬉しそうにしていますから、もっと喜ばせて安心させたいと思うのですけどね。 その辺はぐっと我慢をして、毎日基礎的なリハビリを続けていましたが、ある日、リハビリの先生から『ちょっと立ってみましょうか?』という言葉が。日頃は早く立ちたいと思っていましたが、逆にそういう言葉を聞くと、今度はすごく不安になったりして・・・(苦笑)立つことを試してもいないし、突然だったのですごく不安なんですよね・・・ 先生は車椅子を平行棒のような歩行練習器具の前まで押してくれます。 両手で平行棒を持つことを指示され、手に力を入れて身体を持ち上げようとしますが、お尻が浮くくらいで立つまではいかず。 先生は『ちゃんと脚に力を入れて』と装具を付けた膝を両手を添えてで支えてくれます。膝に力をかけるのが怖くて、かばっているせいで知らないうちに腕だけで立とうとしてたようです。 2度目は気持ちを決めて、腕と膝に力を込めると・・・立てた。とりあえず平行棒の真ん中で立てました。 またひとつ目標達成です。 次は、『少し歩けますか?』と。え?と思いましたがちょっと試してみたくて足を動かしてみます。でも、膝も曲がらないし何だか脚がぶらぶらしてる感じで、力を入れても少し足の位置がずれるだけで、とても自分でコントロールしてるとは言えない状態でした。 立てて嬉しい反面、足が出ないのはもどかしかったです。 リハビリは贅沢言わずに地道にそれこそ文字通り『一歩一歩』ですね。
リハビリも進み、食事が取れるようになれば、あとはその継続で進んでいくだけです。 結局入院生活は2ヶ月半くらいでしたが、1カ月はICU、2週間程度個室にいて大部屋へ、残りの1ヶ月で大部屋でリハビリの生活でしたので、いよいよこの入院の話も後半に突入です。 この辺からは、とにかくリハビリ、食事とプレドニン(ステロイド)の錠剤の服用で毎日が過ぎていきます。プレドニンの副作用に関しては先日少し話しましたが、服用してからは徐々に減らしていかないと、ショックも起こりえるような強い薬とのことです。肥満症、高血圧、糖尿病、感染症、骨折しやすくなる、精神状態が不安定になるなどが副作用と言われています。 僕の場合は先日話した通り、顔の肥満と体毛が濃くなったこと、それと血圧も高めでした。 はじめは多分40mg(8錠)くらい飲んだ記憶がありますが、退院までの1ヶ月で15mgくらいまで落として後は帰宅してしばらく飲んで終了でした。 また、脚はまだまだですが、手が動くようになったことで、車椅子をひとりで動かせるようになりました。 この病院は各階の病棟が2つに分かれており、その中央にTVがあるホールがありますが、とりあえずそこまでの許可は出たのでひとりで車輪を回して良く行きました。この頃は部屋にはTVもなかったので、TVを見るにはこのホールに行かねばなりません。でも、行っても誰かが見ているとチャンネルの選択権はありませんので、流れているものを観るだけでしたが、それでも久々のTVは楽しかったです。 車椅子も、はじめは動かすのが難しく、スピードも出ず疲れてばかりいました。また、やはりずっと起き上がっていると頭がクラクラして我慢できなくなるので病室に戻ってベッドに倒れこんだりしてました。でも、毎日少しづつやることで腕も力が出るし、起きている時間も長くなって、少しずつ楽になりました。 次回はいよいよ補助有りで立ち上がります。。。
だんだん身体が動くようになって、リハビリも本格的にできるようになってくると、今度は更に上の欲求が出てきます。例えば、おなかが空いてきたりして(笑) リハビリをして運動をするので、それに伴って内臓の動きも活発になるようで、ゼリー、流動食くらいでは足りなくなってきて、ベッドにいてもおなかがグーっと鳴ったりします(笑)でも、それも回復の証で、しばらく経った時点でいよいよ食事が許可されることになりました。 ただ、もちろん消化の良くない固いものは食べられないので、はじめはおかゆ、梅干、とうふくらいでしたかね?でも、久しぶりのお米は嬉しいし、病気の当初は感じなかった味覚も戻って、久しぶりの食事は感激でした。 でも、困ったことがひとつ。身体は起き上がれても、指はほとんど動きませんので、箸はもちろんスプーンを使うこともできないんです。だから、食事は見舞いにきた家族か看護師さん、または看護師さんを手伝う補佐さんに食べさせてもらうことになります。 おかゆとおかずを交互に口に運んでもらって食べますが、やっぱり自分のペースじゃないのでちょっと慣れないですね。家族ならわがままも言えるし、時間に制限もないのでゆっくり食べられますが、看護師さんたちは病棟内の他の患者さんも掛け持ちで数人、順番に食べさせなきゃいけないので、自然とペースが早くなります(笑)仕方ないけど忙しかったです(笑) それと、順番が一番目なら早く食べられますが、後の順番の日は20分くらい待ったりします。この頃は6人くらいの大部屋に移っていたので、他の患者さんの食事のいい匂いをかぎながら20分待つのはなかなかキツイ(笑)匂いで通常の食事のおかずを想像したりして、余計におなかが空きます(笑) でも、食べられるようになって、気持ちが明るくなりました。やっぱり食事は大切です。
起き上がれるようになって、リハビリも車椅子で行くことになりました。 週に2度ほどだったでしょうか、看護師さんか看護師さんを色々な面で補助する人に連れて行ってもらいます。 エレベータに乗り、外来の患者さんのいる廊下を通り抜けてリハビリセンターへ。 この頃のリハビリの内容は、以前に話したベッドでのものと基本的に同じで、寝返りをうつ練習、それから先生が押さえつける脚に力を入れて開いたり、閉じたりする練習など。 身体が自由に動かない身にとってはこれがなかなか大変で、やっているうちに汗をかいてきたりします。 基本的に汗っかきなのですが、それでも5月なのにありえないほどの滝のような汗(笑)やっぱり、通常以上に力を使っているんだと思います。それ以降、毎回タオル持参でした(笑) ある時などは、あまりに汗をかいているので、リハビリを頑張ったんだね!と婦長さん自ら特別にシャワーに入れてくれたりしました。もちろん頑張ったんですが(笑)でも、いい汗かいた後のシャワーは気持ちよかったです(笑) この頃、一度体重も量ったことがあります。まだほとんど寝たきりなので、シートの上に寝かされて、そのまま吊り上げる方法で量りました。確か56kg。それまでの体重が70Kgちょっとありましたから、15kg以上はマイナスになっていました。 やはり、動けないし食べれないので、筋肉も落ち、やせていましたからね。 ただ、顔だけは丸かったです(笑)これは多分、ステロイドの副作用だったと思います。他に、ちょっと体毛が濃くなったりしたのも副作用だったと思います。 先日の交流会では他の方々の副作用も色々聞きましたが、結構強い薬なので、大変みたいです。 |一覧| |
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