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たんたん4531

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2024年4月25日LOVE I… New! MINERAL♪KINGDOM BY SHUAさん

なにが見えてる? umisora1897さん
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June 29, 2013
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 ☆、。・

前編よりつづく

それは北海道が奪われた土地だったからです。

精霊の王国、アイヌの大地を奪った大和の中心にいた人々は、出雲族の怨念を怖れたように、

物部や素戔嗚の怨念に怯え続けてきた

ように、今度はアイヌの民の怨念、蝦夷の精霊たちの怨念に怯えはじめたのです。

加えて、極寒の極北に位置する未開の大地へまず送り込まれたのは、屯田兵、

そして中央では邪魔者に近い存在であったであろう

不満分子に属する官僚たちだったに違いありません。また明治8年(1875年)から明治37年

(1904年)まで北海道開拓のために明治政府により送り込まれた

兵士・部隊であった屯田兵を主に構成していたのは、主に旧幕府側に立った東北の藩士で

新政府側からすれば明治政府における不満分子を隔離するという意味もあったと

言われています。


古代、畿内から遠く離れた九州の辺境の地へ左遷された菅原道真のように、

あるいは北九州や対馬へ「防人」として片道切符で動員された

東国の猛者たちのように…北海道へまず送り込まれたのは、屯田兵、

そして出世街道から外れた官僚たちだったと推測されます。

社会インフラもまったくない極寒の地での開拓は、そのまま生命の死と隣り合わせの仕事と

なります。

当然、多くの同胞たちが寒さ、貧しさに倒れていきました。

屯田兵、開拓民が体験した艱難辛苦については、こちらのサイト に詳しく掲載されています。

その苦労を理解していただきために一部を抜粋して掲載します。

「開墾は、それはもう厳しいものでした。木の根があり、石があり、支給された鍬は、すぐ歯がボロボロになり何の役にも立ちません。まず木を切り倒し、薪にして売りに出します。その後、根を掘り起こし、大きな根は火薬抜根でおこしていきます。樹齢100年以上と思われる桂の木や、楢の木が何のためらいもなく次々と薪にされていったのです。やっとの思いで拓いた土地に、麦、トウキビ、イナキビ等を植えましたが、斜里岳下ろしの強風にあおられ、なかなか収入には結びつきません。(中略)お風呂は下駄をはいて入るドラム缶、外には、熊、きつね、たぬき、へび等がこちらの動きを伺っています。(中略)卵を得るために飼ったニワトリは寒さのため卵を生まず、肉を得ようと飼った豚は、食糧不足のため太らず、(中略)1間しかない掘っ立て小屋は、真ん中に炉が切ってあり、薪を燃やして暖をとり、夜はおき火に灰をかけ、四方から足を入れ炬燵にして休みます。朝起きると、布団の衿が凍っていたり、ふぶきの日には、布団の上にも雪が白く積もっていまいます。もう少しましな家が欲しい、と皆さんに手伝ってもらい、柱を建て終わったところで、強風のため吹き飛ばされてしまったのです。この時に、開墾をあきらめ山を下りる決心をしました。」

「家といっても、小さな拝小屋でした。板、柾、釘等何もないので、やちだもの木の皮をむき、ぶどう蔓でゆわえて屋根にし、熊笹とか松の枝をぶどう蔓で巻いて壁にし、床は土間でした。真ん中に炉が切ってあり、大きな丸太んぼを常時くべ、火種を絶やさないようにしていました。くべる木は、なら、いたや、しころ等で、おんこや松ははねるので使いませんでした。
何にしろ、寝るところが笹の葉をしきつめ、ムシロをしいていましたので、火がはねると大変なのです。(中略)海水は命の水でした。浜へ遊びに行く時は、それぞれが一升びんやがんがんを持って行き、帰りには必ず海水をいっぱい入れて帰って来ました。塩、味噌、正油が手に入るまでは、この海水が唯一の調味料でした。」

「ストーブもなく、川辺に石を積み、かまどを作って天気の良い日には外で食事、雨天はやむなく家の中で、煙突もない、かまどなので煙が家の中にたちこもり、天窓はありましたが開けられず、飯川さんの仏像が燻製になるのではと思いました。雨もりにも悩まされ、濡れては困るものを抱えて、一晩中逃げ回ったこともたびたびでした。ランプもなく、作業用ガス燈が一つだけでしたから、海岸でトッカリ(アザラシ)を捕り、その油を貝殻に入れて灯しました。肉も大切な栄養源でした。初めは、浜から拾った貝殻を食器替わりにしていました」(以上斜里女性史をつくる会発行『語り継ぐ女の歴史』より)。


土地をなんの挨拶もなく、まして対価などまったく受け取ることなく、

勝手に自らの故郷を「北海道」と名付けられ、さらに未開人として差別されることに

なってしまったアイヌの人々の怒りは当然のこととして、開拓民として当時の政府に、

ほとんど援助もないなかで過酷な開墾を強いられた人々の怨念のすさまじさも

上記の証言を読めば納得のいくこととおもいます。

と、同時に自らの権力拡大のためにに、アイヌの地を蹂躪し、開拓民を利用し尽くした

大和の中枢と薩長の藩士を核とした明治政府側にとってみれば彼らの存在は「怨念の存在」

となって当然でしょう。

北海道神宮とは、そんなアイヌの民の怨念、蝦夷の精霊たちの怨念のうえにさらに屯田兵、

開拓民、さらには中央では邪魔者に近い存在であったであろう不満分子に属する

官僚たちの怨念さえも封じなければならない祟神を祀るための神社であった、

ということなのです。

その証ともいえる社が北海道神宮の摂社として祀られているのが

北海道拓殖銀行の物故功労者の御霊を奉斎した穂多木神社、

鉱山殉職者を慰霊する神社である札幌鉱霊神社、

物故開拓功労者を祭祀した開拓神社といった神社でしょう。

他の地域には見られない、北海道開拓の辛苦を体験した御霊を祀ったこれらの神社を

参拝するだけで、北海道という土地の開拓がどれだけ過酷で壮絶だったのか、

ということが実感としてわかります。

つまりそれらの圧倒的ともいえる「怨念」を完全に封じるには、その圧力と同調し、

相殺できるだけの圧倒的な「祟神」が必要になってくるのです。

そこで彼らは、神宮という天照大神をはじめ、天孫族の神々を祀るべき最高格の「神宮」へ、

天孫族最大の祟神である大国主を移植することをかんがえたのでしょう。

おもしろいことに 社殿は北海道の開拓当時樺太・千島に進出を進めていた

ロシアに対する守りということで、大鳥居が北東を向いて立てられています。

当時の明治政府の中枢は、ひょっとするとベーリング海峡周辺、樺太・千島諸島から、

古代日本の北方縄文の人々の一系統が流入していたことも計算に

入れて、その封印としての魔術としての「配置」も意図していたのかもしれません…。

さらに北海道神宮が鎮座する円山公園の「円山」とはアイヌ語で「モイワ」と呼ばれた場所で

「小さな山」を意味しているそうです。さらに調べてみると…断片的な情報なので断定は

できませんが、いくつかの情報を抜粋してみます。


「円山」こそが「モイワ」だったのだ。だから、モイワ→円山。インカルシペ→モイワ(藻岩)という具合に、「モイワ」と呼ばれていた山名が「円山」に変わり、和人には発音しにくい「インカルシペ」が「モイワ」に変えられてしまった歴史があるので、順序としては、「モイワ」が「円山」に変った時代から話を進めてゆくことにする。

インカルシペ→藻岩山
 「インカルシペ」こそいい迷惑だ。レッキとした名前を「モイワ」と何時の間にすり変えられ、あまつさえ「藻岩」という「和名」を押しつけられてしまったからだ。それでは「インカルシペ」は、どうなってしまったのか? 実は心配することはない。「インカルシペ」とはアイヌ語で、「いつもそこへ登って、敵を見張ったり、物見をしたり、行き先きの見当をつけたりする所」という意味で、この山名も「モイワ」(小さな岩山)と同じ様に道内各処に散在している。

「インカルシペ」はアイヌにとっては「神山」でもあったらしいから、この様なミステリーが一つぐらい残されていてもこれはこれで良かろう。


つまり、現在北海道神宮は、アイヌにとっても、重要な地域であった可能性があります。

そのようなアイヌの人たちにとっての「パワースポット」あるいは「聖地」に準ずるように

場所に神宮を創建したのも、あながち、ただの「都合」だけではないと

いえるかもしれません。

このように北海道神宮も大宮氷川神社と同様に、祟神に祟神を掛け合わせることで、

怨念を相殺させる「魔術」が働いているとも読めるのです…。

次回へつづく


 ☆、。

いま一人ひとりのハートがひらき、ハートのなかのひかりがつながりはじめています。

そのひかりのつながりは、怒りや憎しみ、あるいは支配や被支配のさまざまな感情から

完全に自由で愛のパワーを放つネットワークをつくるエネルギーです。

あなたが、ほんとうのじぶんに気付き、ほんとうの自分の生き方を選択し、

方向付けしたときにそのハートから溢れ出る愛と自由のパワーは、

おなじ意識と方向をもつ人のハートへつながります。


まもなく、名もないたくさんの人たちのハートからの溢れ出る愛と自由のパワーが

地球全体をつつみこむネットワークへとなっていきます。

そして、そのネットワークは人類だけではなく、あらゆる生命体、

存在をもつなぐ巨大な生命の樹木のような構造をうみだしていくでしょう。

そのネットワークの成長と発達を加速させるには、

まだたくさんの人たちのハートたちは扉は開いていません。

多くの人たちのハートが開くには、それぞれの人たちが自らの内なる自己につながり、

ほんとうの自分の生き方を選択し、方向付けすることが大切なのです。

しかし、それはだれにも強制されるものではありません。

あなたがあなたの意思で、あなたのもっとも望むタイミングでなされること。

その意思とタイミングがどんなもので、いつ、気付くことなのか…

そのためにつねに「内なる自己」=インナーセルフにつながっていてください。


光の愛を意図し、選択することを一人でも多くの人にシェアしてください。愛と感謝をこめて

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Last updated  June 30, 2013 12:54:51 AM



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