仏教ってどんな宗教?
イタリアに住んでかれこれ26年。イタリア人のほとんどがカトリック教徒です。フィレンツェには、創価学会のイタリア最大の支部があり「あなた仏教徒?私もよ」と話しかけられることがあります。「あなた仏教徒?」という話題になるんです。「仏教徒って何を信じてるの?」輪廻転生かな〜?良いことをすれば来世で報われるとか生き物を殺すと来世で苦しむとかそういうことなんとなく信じてるでしょ?浄土宗や浄土真宗は南無阿弥陀仏唱えると成仏できるし日蓮宗は南無妙法蓮華経を唱える。でもね、個人的には念仏唱えれば救われるっていう大乗仏教系の宗派はちょっと都合良すぎじゃ無いかなと思わなくも無いんですよね〜。読経とか写経とかは好きですけど。我が家は浄土真宗で本家である父の家にご本尊があります。ご先祖様がみんないらっしゃるご本尊はこれひとつしかなく、長男が受け継いでいくというのが、ごく普通だったので、創価学会の人の家には必ずご本尊があって「じゃあご本尊に中には誰が?」と最初は不思議に思ったものです。宗派によって、お釈迦さまがいらしたり、菩薩様だったり最澄、空海など宗派を起こした方がいらしたり色々あるのだと知りました。仏教と一言で言っても、宗派によってお経もお作法も違ったりします。母方の親戚は真言宗でお葬式のお経が賑やかでびっくりしました。浄土真宗のお葬式は「な〜む〜あ〜み〜だ〜ぶ〜」寝てしまわないように天井を見たり参列してる人の靴下を観察したり。真言宗では鐘が鳴るし太鼓叩くしお経は大合唱だし眠くなる暇はありません。創価学会のイタリア人たちが「なんみょうほうれんげきょう〜」と読経する姿は、日本人の私には少し不思議な感じです。今私が通っている曹洞宗のお寺では坐禅の後「般若心経」を唱えるんですがイタリア人のみなさんはアルファベット表記のお経。漢字で書かれたお経を日本人は音読みで読む。同じお経をイタリア人はアルファベットに書き直して読んでる。それってどうなのかな?お経はそのまま読むものでその響きに効能があると信じて読む訳なんですが。日本人は音読みで読んでても、漢字で書かれてるものは、なんとなく意味がわかりますよね。坐禅に通うイタリア人たちの中にはヨガとか瞑想とかのようなアプローチで集中力が増すとかリラックスするからとかそんな理由の人もいるようです。それはそれでありかなとも私は思います。お釈迦さまは「生きとし生けるものを苦しみから救う」ことを目指していたのですから。「誰もが幸せに生きるためにはどうすればいいか?」という問いに・自分が幸せになるには「執着を手放す」苦しみが起こるのは執着があるから。執着を手放せば苦しみは消える。・他人を幸せにするには「人に優しく慈悲を持って接する」誰もが死を恐れているのだから人に暴力を振るったり人を傷つけたりしてはいけない。という解決策を提案したお釈迦さま。盲目に信じるということを禁じて、それぞれが自分軸を持って正しく生きることを勧めたお釈迦さま。宗教というより生きる指針を指し示した人。そう、お釈迦さまは「人」なんです。真理に到達した「人」メンターでありチューターでもあり師匠でもある。決して「神」じゃない。仏様に合掌するのは敬意を表するため。まんまんちゃあん🙏🏻