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台湾役者日記

台湾役者日記

國興版(中)

■『風中緋櫻』國興版 第15回 ■ 05月28日(土)


いよいよ霧社事件の直前だ。公視版では第12回。ほとんど理論値どおりの放送回数だ!

猫空へ行ってて帰宅が遅くなったので、深夜1時からの再放送で観た。再放送は以前は23時だったのに、なぜか遅い時間に変わっている。どうも台湾では放送スケジュールがかなり柔軟に変更されるようだ。それともこれ、國興TVだけの特徴なのか?

明治28年(1875年)、近衛師団長・北白川宮能久(きたしらかわのみや・よしひさ)親王は、近衛師団を率い、樺山資紀(かばやま・すけのり)初代台湾総督とともに台湾に上陸、台湾北部を平定しつつ、台北に台湾総督府を開く。その後南部へ転戦、台南に至ってにわかに発病、同年10月28日、台南の地にて没す。享年49歳。

日本統治時代の台湾では、10月28日は「北白川宮例祭日」とされていた。学校では親王の事跡について児童生徒に訓示し、神社へお参りに行くなどもしていたらしい。

その前日、10月27日は、恒例の「霧社合同運動会」の日だ。事件は昭和5年(1930年)のこの日に起きた。そして今日放送の國興版『風中緋櫻』では、そのまた前日、26日夜に行われた学芸会の場面からドラマが盛り上がっていく。


運動会前日夜の学芸会。中山清が乃木将軍に扮しての「旅順攻略 二〇三高地」が、本日の目玉プログラムだ。

「中山清」は実在の人物で、セイダッカである。日本化教育を受けて育った。一郎二郎たちの後輩にあたる。本名は「ピホ・ワリス」といい、蜂起側原住民青年のピホとまったく同じ名前だ。ややこしくなるので、ドラマの中では一貫して「中山清」と呼ばれる。霧社事件の当時は、16、7歳だったのではないか? 学芸会に出るにはちょっと年を食っているようだが、当時の霧社の原住民には、この人のように、ある程度の年齢になってから公学校、小学校へ入った(入れられた)ケースが多かったようだ。中山清は霧社事件を生き延びて医者になった。国民党の時代になってからは「高永清」と名乗った。

学芸会で彼が乃木将軍をやったのは、本当のことらしい。ドラマ原作のノンフィクション、登+オオザト]相揚(ドン・シアンヤン)さんの「霧社事件もの3部作」(日本でも日本語訳が出ている)のうちのどれかに、このことが書いてあった(わたしが見たのは監督所有の資料用で、いま手元にその本がない)。「中山清は学芸会の劇で乃木将軍に扮し、来場した父兄らの喝采を浴びた。」というような記述があったと記憶する。

ドラマでこの「学芸会の劇」を見せるんだから、「劇中劇」ということになる。「劇中劇」をやるからには、その脚本がなければならない。さて、どうするか。

監督は、ここはこっけいな舞台にしようと決めた。そこで、「劇中劇」の道具にちょっと工夫をした。それから、「乃木将軍」がしゃべるセリフには、将軍の子息のことを入れたいと言う。乃木希典は、二人の息子に日露戦争で戦死されている。監督は日本の史実をいろいろと知っていて、知ってることはなるべくドラマに盛り込もうとするのであった。

「劇中劇」のセリフは、監督の書いた中国語版をわたしが翻訳した。しかし、中国語と日本語では用語やレトリックが違ってくる。監督の言うそのままだと、どうもすわりの悪い日本語になってしまう。そこで、自分の考えで手を加えた日本語版を作って監督に見せ、これを中国語に「直訳」して説明した。監督が「そうじゃない、ここを省略するな」などとダメ出しする。そういうやりとりを何度も繰り返して、撮影10日前くらいにようやく監督のオーケーが出た。

その「学芸会」である。劇の題名「旅順攻略 二〇三高地」は、わたしが考えた。舞台袖に置かれたメクリもわたしが書いた。ついでに言うと、舞台上の「霧社公學校學藝會」という横断幕も、墨汁と刷毛で、わたしが書いたのである。「漢字なんだから、あんたら書けるじゃん」と美術班に言ったのだが、「いや、やっぱり日本人の書く漢字とわしらの書くのとは違う」という変な理由で押し切られた。「台中州能高郡霧社分室」をはじめとする数々の看板類も、ほとんどすべて、わたしが手がけたのである。

で、その「学芸会」である。

軍艦マーチに歩調を合わせ、中山清の乃木将軍と他の児童が演じる二人の兵隊が舞台に登場する。舞台上手に引き出されてくる大砲。部下が点火するが、発射しない。もういちどやってみるが、うまくいかない。「おかしいな」という思い入れで中山清の乃木将軍が砲口を覗き込んだ。そのとたん、ボンと煙を吹く大砲。観客席の父兄と一緒に、来賓の能高郡・小笠原郡守、佐塚分室主任、小島巡査も大笑いだ。

この大砲が「ちょっと工夫をした」その道具なのである。撮影の時には、発煙のタイミングがなかなかうまくいかず、たいへんだった。このカットだけに2時間くらいかかった。「山崎」は栄転して霧社からいなくなっちゃってるんでこの場にはいないが、「脚本翻訳者・兼・座付き通訳・兼・台湾側出演者日本語訓練師」のわたしは、もろもろの役目を帯びて、ほぼすべての撮影現場に立ち会っていたのである。

舞台上のアクシデントに場内が沸いているそのとき、講堂の外へ出てきたモーナは、廊下に坐り込んでタバコを吹かしているタダオ・ノーカンに、蜂起への参加を呼びかける。

タダオ・ノーカンはホーゴー社頭目。初子ことオビン・タダオの父親である。初子は花岡二郎の妻だから、つまりタダオ・ノーカンは、警察に身を置く二郎の岳父ということになる。

「日本の力は強大だ。戦って防ぎきれるものではない。ホーゴー社は蜂起には参加しない。しかし、邪魔はしない」。タダオ・ノーカンは、先日、モーナの長男、タダオ・モーナに与えたのと同じ回答をする(「タダオ」というのもセイダッカに多い名前なのだ)。

いつの間にか講堂から出てきたピホが、自分の部落の頭目であるタダオに、「それじゃあ、あんたひとり残って、ダナトゥヌの奴隷になれ!」とののしる。ピホはホーゴー社の出身なのだ。が、父親が警察に殺され孤児となってからは、モーナのもとで育てられた(ピホはあくまでもドラマ上のキャラクター)。

「口が過ぎる! タダオはお前の頭目だぞ!」モーナがピホを叱る。
「タダオは俺の頭目なんかじゃない! 俺の頭目はガヤだ!」と吼えるピホ。

「ガヤ」というのは、先祖代々語り継がれてきた「セイダッカの掟」のようなものらしい。中国語字幕では「祖訓」となっている。「先祖のおしえ」だ。

このタダオ・ノーカンは、霧社事件勃発直後、部落の若者を率いてモーナに合流する。ホーゴー社も蜂起に加わったのである。後日、タダオは日本との戦闘で命を落とす。

場面は学芸会の舞台上に戻る。

曲は『軍艦マーチ』から『元寇』というやつに変わっている。これは非常に調子のよい、勇ましくて明るい曲で、日清戦争の頃、さかんに歌われたらしい。「四百余洲(しひゃくよしゅう)を挙(こぞ)る 十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃」云々。「弘安四年」のところだけがシンコペーションになって非常に忙しくなるという、ちょっとお茶目な歌である。

その『元寇』をBGMにして、乃木将軍たちとロシアの将兵とが、銃剣を振るっての肉弾戦を演じる。次々に倒れる乃木将軍の部下たち。やがて音楽がやみ、「乃木将軍」が舞台中央に立って、いよいよ長ゼリフを言う。客席に向かい、銃剣を上に突き立てる。

「二〇三高地では、多くの若者を死なせた。わしの二人の子供が戦死するまで、絶対に日本へは帰れない。われわれの命は、天皇陛下からの預かり物である。陛下の赤子として、恥ずかしくない戦いをせよ。行け、進め、撃て!」

いや、「たったそれだけか」とおっしゃるかもしれませんが、これ、ほんと、たいへんだったんですぜ。監督が舞台上の乃木将軍に言わせたい内容をできる限り忠実に日本語にする。しかも、「原住民日本化最前線に勤務する教師が成績優秀な生徒に劇で言わせたいセリフ」っぽくする。さらに、あんまり長いと「中山清」がしゃべれないんで、極力短くする(台湾側出演者は、モーナ妹「テワス」の田麗(テイエヌ・リイ)、モーナ娘「マホン」の高慧君(ガオ・ホエヂユヌ)以外は、日本語がしゃべれないのだ。しかも、この二人には日本語セリフがない!)。いやあ、われながらいい出来だと思いますがね、これ。

学芸会の後、小島は、霧社にただよう不穏な空気を嗅ぎ取り、主任官舎まで出向いて佐塚警部に警告する。もちろんそれには取り合わない佐塚。小島に葉巻を勧めたりして、全然危機感がない。あかんがな。

マヘボ社では、蜂起に向けて、モーナが方針説明をする。「明日は運動会で多くのダナトゥヌが霧社に集まってくる。夜のうちに、周辺の各駐在所を襲撃する。武器弾薬を奪い、電話線を切断する。霧社の手足をもぎ取り、明朝は霧社に戦力を集中して、運動会に集まったダナトゥヌをひとり残らず殺すのだ」

待て、次回!



■『風中緋櫻』國興版 第16回 ■ 05月31日(月)


夜。

主任官舎で湯船につかっている佐塚警部。分室の一大恒例行事・合同運動会の準備も万端。あとはゆっくり疲れを取って明日の本番に備えるのみ。というような表情。

花岡二郎の官舎。
寝つけないで、かたわらに眠る初子をじっと見つめる二郎。まさか、とは思うが、モーナは反乱を起すつもりなのだろうか。そのとき自分はどうするべきなのか。と思いつめている様子。

マヘボ社、モーナの小屋。

タダオ・モーナ「ダマ(父さん)、人はハガ・ウドゥ(祖霊の橋=虹)を渡ったあとも、前世の記憶をまだもっているだろうか?」
モーナ・ルダオ「分からん。どうした?」
タダオ・モーナ「おれは、来世でも、また、ダマの息子に生まれたい」
バッサオ・モーナ「おれもだ」
モーナ・ルダオ「休んでおいた方がいい」

ホーゴー社。タダオ・ノーカン頭目の小屋。
小屋の外に坐り、タバコをふかしながら物思いに沈むタダオ・ノーカン。

「一九三〇(昭和五)
一〇・二七〔蜂〕モーナ・ルーダオ(マヘボ社頭目)、一族と部下を集め蜂起計画を伝え、行動を指示(未明)。

 蜂起側行動開始、タダオ・モーナらはマヘボ造材地へ向かい吉村巡査らを殺害、モーナ・ルーダオ、バッサオ・モーナ(モーナ・ルーダオの次男)の一隊はマヘボ駐在所を攻撃、ワタン・ローバイ【ボアルン社】の一隊はボアルン駐在所を攻撃、スーク社の一隊はトンバラ以東の駐在所を攻撃、タロワン社およびマヘボ社の一隊は桜駐在所を攻撃、次いでホーゴー社駐在所を攻撃。

 この間蜂起側は各所で電話線を切断、霧社一帯の警察通信網不通となる。

 霧社五社、ホーゴー社に集結、部隊を『老年組(モーナ・ルーダオ指揮)』と『青年組(バッサオ・モーナ指揮)』に分け、『老年組』は霧社分室方面、『青年組』は霧社公学校方面に向かう。」

【戴國[火軍]編著『台湾霧社蜂起事件 研究と資料』/春山明哲編「霧社事件日誌」(564ページ)/〔蜂〕は蜂起側に関する事項。【  】は米七偶による書き込み。】


マヘボ「造在地」で殺害された「吉村巡査」は、ドラマではマヘボ「駐在所」でモーナの長男・タダオに殺される。また、警察調べではその後ホーゴー社にて蜂起側が集結したことになっているが、ドラマではマヘボ社に集結することにしてある。ドラマ上のこの時点では、ホーゴー社頭目タダオ・ノーカンの去就がまだ不明なのだ。ここは作劇上の要請というやつで、過酷な労役にも協力し警察の迫害を受けつつも、なんとか日本側の要請に応え次世代に明るい未来を託そうとしたタダオ・ノーカンが、この後、やむにやまれず蜂起に加わってくる、という(ふうにも読める)ドラマの流れなのである。

マヘボ社に集結したセイダッカの勇士たちを前に、モーナは決起演説をする。部隊をふたつに分けるのは資料にある事実のとおりだが、ドラマでは、「老年組」はモーナとピホが指揮し、「青年組」はタダオ・モーナとバッサオ・モーナが指揮するとした。

「ダナトゥヌ(日本人)はひとりも生かしておくな!」とモーナ。
「親を殺したら、その子どもはどうする?」長男のタダオ・モーナが訊く。
「(やや考え込んで)あの世へ送って、ハガ・ウドゥで親に会わせてやれ!」

ここは脚本制作段階において、非常に真剣に議論された部分である。

日本統治当局(直接には山地警察当局)から酷使・迫害され続け、伝統的な生活基盤を破壊されて絶望の淵に追い込まれたセイダッカが、やむにやまれず立ち上がり、日本人を殺して決死の蜂起を敢行する、という気持ちは、現代人にも充分理解できる。がしかし、その殺害の対象に何の罪もない一般住民、なかんずく年端のいかない幼児・児童をも含めるというのは、いかがなものか。これをそのままドラマにして、世人の共感を得ることができるのだろうか。という問題である。

いかがなものか、と言ったって、警察の調べによれば、じっさい、事件では5歳以下が32名、10歳以下18名、15歳以下12名、そこまでであわせて62名の子どもが殺されている。日本人犠牲者134人の、じつに半数近くが15歳以下の子どもだったのである。ドラマはこれを素通りにして進むことができない。

ここでクローズアップされるのが、セイダッカの伝統的な死生観だ。

事件発生後、日本の軍・警察合同部隊による攻撃で追い詰められたセイダッカは、木の枝に首を吊って次々に集団自決を遂げる。彼らの信じるところによれば、セイダッカの始祖は秀峰スグレダン(聖なる山)の山中に立つ一本の大木――半分が石でできている――から生まれ出てきたのであり、木に首を吊って死ねば祖先のもとへ行けるというのである。また、あの世への道の途中、彼らは虹の橋を渡る。その虹の上で、なつかしい故人に出会えると彼らは信じていた。そのため、虹のことを「ウドゥ(祖霊)」の「ハガ(橋)」、「ハガ・ウドゥ」と呼ぶのである。すなわち彼らの考えによれば、死者は虹の上で一堂に会することができるのである。

また、セイダッカ族には首狩りの習慣があったが、首を狩られた敵の魂は「善霊」となり、狩った者を護ってくれるよき友人となる、とされる。首狩りの背景には宗教的な意味づけも存在したのだ。

このような信仰を否定することはたやすい。また、1930年の、――押し付けられていやいやながら、という側面はあったにせよ――徐々に近代の世界へ参入しつつあった山地原住民が、古来からの信仰に基づいてなんの罪悪感もなく幼児・児童を殺傷した、というのも、にわかには信じがたいことである。けれども、大きな視点からこの事件を眺めれば、ここへ至るまでの原因の根本には、ふたつの社会、ふたつの文明、ふたつの価値観の、衝突があったのではないか、というのが、萬仁監督の捉え方なのである。

ドラマを動かしている根本的な動因が「文明の衝突」ということであれば、蜂起原住民による幼児殺傷も、いっぽうの文明にかかわる根源的な要素(あるいは、見方によれば、根源的な問題)として、描ききることができる(あるいは、描いてもよい)のではないか。

長男タダオの質問に対するモーナの回答、「あの世へ送って、ハガ・ウドゥで親に会わせてやれ!」は、上記のような議論の果てに絞り出されたセリフだったのである。

わたしは、別の見方もあり得ると思う。

おんな子どもを含めた霧社の全日本人を殺害の対象としたこと、そのことにあまりためらいを感じた形跡がないことの背景には、たしかに、セイダッカの伝統的な死生観があったと思う。が、そういう宗教的・精神的な基盤の上には、「現場における集団心理」のような、心理的な作用が、さらに加わっていたのではないかと思うのである。

「隘勇線(あいゆうせん)」というのは、当時の日本統治当局が設けた「原住民囲い込みライン」のことである。下関条約で台湾が日本に割譲されたとき、平地には清国から流入した「漢族」および「漢族」に「漢化」された平地原住民が住んでいた。この台湾の平地部分には清国の統治が曲がりなりにも及んでいたが、山地についてはまったくの手付かずだったという。清国当局は、凶暴な山地原住民には近づかず、放置して、もっぱら平地部分だけを統治の対象としていたのである。

ところが新たに台湾を領有した日本は、山地も含めた台湾全島を支配し、植民地行政を全面的に施行しようとした。当然のことながら、今までどの国家の支配にも服したことのない山地原住民は、各地で激しく抵抗する。そこで設けられたのが「隘勇線」なのだ。通電した鉄条網を延々と伸ばし、原住民居住区を囲い込む。要所要所に武装警察の駐在所を設ける。「霧社分室」も、その前身は「隘勇線」上の駐在拠点だった。

日本の統治当局は各地で原住民と戦い、その相手をあるいは殲滅し、あるいは「帰順」させ、「隘勇線」を徐々に狭めてきた。東部台湾においては、原住民にとっての生活必需品である塩の入手源である海岸線を「隘勇線」の日本側へ出す(囲い込まれた原住民居住地を海岸線から切り離す)ことに成功する。霧社のセイダッカは、命の綱である塩を自分で手に入れることができなくなり、日本統治当局に管理された商品経済の網の目にいやおうなしに組み込まれることになったのである。

霧社事件の当時、セイダッカ蜂起部隊隊員各自は、途方もなく巨大な閉塞感、圧迫感を胸に抱いていたに違いない。このような状況下で、いったん殺戮の火蓋が切られたとき、女であろうが子どもであろうが、いちいち区別している余裕が彼らにあったとは、わたしには思えないのである。

また、この子ども殺害を(少なくとも)黙認したモーナ・ルーダオにも、あるいはある種の思惑があったのではないか、と、わたしはさらに考える。

そもそも、霧社蜂起の目的はなんだろうか。霧社に集まった日本人をたとえ全員殺害したところで、以後永久にセイダッカの故地が回復されるとは、モーナも思っていなかったはずだ。モーナだけではない。蜂起に参加したセイダッカ各自も、そんなおとぎ話を信じるほど日本統治当局の力を見くびっていたとは思えない。

それなのに、どうしてこんな無茶な蜂起を決行してしまったのか。端的に言って、モーナの目指したのは一種のデモンストレーションだったのではないかとわたしは思うのである。

一寸の虫にも五分の魂。いかに未開の原住民とは言え、ここまでいじめられれば、ただ黙ってはいない。おれたちが本当に怒ったらどういうことになるか、ちゃんと見てくれ。これがモーナたちの気持ちだったのではないか。

モーナその人がただの未開の「蕃人」だったとは、わたしには思えない。蜂起にあたっての戦略、戦術の立て方をご覧いただきたい。毛沢東も真っ青の周到さではないか。暗いうちに周辺の駐在所からつぶしていき、電話線を切断して霧社中央を孤立させる。その上で総力を挙げて分室と運動会場を襲撃する。こんな計画を立てられるモーナが、最後にハッピーエンドで終わるような「絵」を描いていたとは、とても想像できないのである。

蜂起が決死のデモンストレーションであったとすれば、おんな子どもを無差別に殺戮することで当局に与える衝撃は倍加する、という見積もりが成り立つ。セイダッカの死生観に照らしてみても、子どもを親といっしょに亡き者にすることは、さほど残酷なことでもない。

そういうことだったのではないか。

さらにさらに、研究家の間には、別の見方も存在する。「モーナは、反乱の規模がこれほど大きくなるとは思っていなかったのではないか」という説である。

モーナ・ルーダオは過去になんどか反乱をたくらみ、そのつど失敗している。事前の動きを山地警察に察知されて、準備段階で押さえられているのだ。

今回も、「またやろう」とばかりに呼びかけたら、このたびは思いもかけず多数の部落(社)が蜂起に参加することになり、その勢いで決起した結果がこのような大事件になった、そのためモーナにもコントロールできなくなった、というのである。もしこれが真相だとすれば、あるいは、日本の支配が以前と比べて格段に能率的かつ過酷になり、耐え切れなくなっていた部落(社)がそれだけ増えてきていた、という背景があったのかもしれない。

本当のところは不明である。生き残ってこのときのモーナの真意について証言した人はいない。

だが、「あの世へ送って、ハガ・ウドゥで親に会わせてやれ!」というモーナのこのセリフがドラマの製作姿勢を象徴する重要な一言であることは、確かだと思う。

「『老年組』、分室を攻撃し銃器弾薬等を大量奪取(蜂起側が各所で奪取した銃器等は、村田銃など一八〇挺、弾薬約二万三〇〇〇発、山砲用黒色火薬二四包)。

『青年組』、霧社分室管内連合運動会場の霧社公学校校庭一帯を攻撃、対象は日本人および理蕃施設に限られ、日本人死者は一三四人、同重軽傷者二六人に及ぶ(他に日本人と誤認された漢族死者二人)。(午前八時頃)

 蜂起部隊、霧社から外に通ずる道路を封鎖。

 ロードフ社、蜂起に参加しロードフ、ハボンの各駐在所を攻撃(攻撃駐在所数は計一三、また蜂起参加は霧社蕃一一社中六社に及ぶ、バーラン社、タウツア蕃、トロック蕃は不参加)。【後略】」

【前掲資料。【  】は米七偶による書き込み。】


霧社分室・佐塚主任警部は、運動場にて命を落とす。

混乱のさなか、いっとき散り散りになっていた一郎・花子、二郎・初子の二組の「模範家庭」夫婦は、ようやく再会を果たし、他に人のいない警察官舎で善後策を話し合う。ことは起こってしまった。警察官としては、もうどうすることもできない。4人は、いったんホーゴー社へ帰ってみることにする。



■『風中緋櫻』國興版 第17回 痛恨の見逃し!■ 06月01日(火)


今日は帰宅が遅くなり、午前1時の再放送を観ようとしたら、今日に限ってこの放送がない! ネットの番組表でチェックしたところ、この分は明日の朝とか昼にも再放送しないことが分かった。ところがあさって以降の予定表を見ると、第18回以降は夜中と朝の再放送が復活している。ええ加減すぎまっせ、國興はん! まあ、今日の回はまだ「山崎」がドラマに復帰してないからいいようなもんの(冗談)……。

とりあえず、今日の放送で出てきているはずの花岡一郎、花岡二郎の遺書を紹介しておこう。例によって戴國[火軍]編著『台湾霧社蜂起事件 研究と資料』に所載の資料の引き写しである。

「花岡二郎は事件突発前夜より霧社分室の宿直勤務にして【ドラマでは官舎にて初子の横で寝付かれず】、突発当時は其の任務を了へ自己の宿舎に帰りて朝食準備中なりしところへ凶蕃襲来し、周章狼狽其の裏庭より逃れたりしが、大〔ママ〕風一過、凶蕃は公学校方面に向ひ、自失の態にありしところ花岡一郎の帰来あり。共にこの意外の出来事に長嘆息しつゝ二郎の宿舎に入り、其の壁の貼紙の上に毛筆を以て、花岡二郎【ドラマでは一郎】は左記の遺書を認めたり。但し其の初頭『花岡両』の下部には両人の認印を並べて押捺されある点よりするも両人の意思と見らるゝものなり。

      花岡両

  我等ハ此の世を 去らねばならぬ
   蕃人のこうふんは 出役の多い為に
  こんな事件に なりました
   我等も蕃人達に捕らはれ
    どふすることも出来ません
      昭和五年拾月弐拾七日午前九時
    蕃人は各方面に守つて居ますから
    郡守以下職員全部公学校方面に死セリ」

【台湾総督府警務局「霧社事件誌」「第一編 霧社蕃騒擾事件/第五章 凶蕃の動静」
第三節 花岡一郎、二郎の最後」より。【  】は米七偶による書き込み。】


花岡一郎・花子、花岡二郎・初子の4人の中で生き残ったのは初子ひとりである。この警察の報告書は、初子の証言をもとにして書かれたのであろうか?



■『風中緋櫻』國興版 第18回 ■ 06月02日(水)


〔前情提要(チエヌチンテイヤオ=前回あらすじ)〕

一郎夫婦、二郎夫婦が出身部落のホーゴー社へ行ってみると、族人たちは首祭りの真っ最中であった。狩りとった日本人の首が「善霊」となり自分らのよき友となるよう、踊りながら祈っているのだ。

初子の母親は娘に、「お前のダマ(=父親。ホーゴー社頭目)は蜂起部隊に合流した。お前の弟はまだ若すぎて蜂起に参加できない。わたしらは、これから自分の実家の部落へ逃げる。いっしょに逃げよう」と呼びかける。しかし初子は、「うちの人がわたしを守ってくれます。わたしは二郎と行動をともにします」と告げて、部落を後にする。

一郎、二郎は、家族以外にも自分たちの親戚一党を引き連れている。戦いに参加しなかった老人や婦女子だ。山中の大木の下まで一族を連れてきた一郎は、初めて、全員で自決することを皆に告げる。動揺する花子と初子。「すまん」と詫びる一郎。一族は、従容として首吊り用の縄をない始める。

一郎、二郎は、別れを告げるため、戦闘準備中のタダオ・ノーカン頭目(初子父)を訪ねていく。頭目タダオは、笑みを浮かべながら二郎に言う。「オビン(娘の初子)は小さいころから外へ歩きに出るといつも前を走っていき、わしにも追いつけんくらい足が速かった。こんどハガ・ウドゥ(祖霊の橋=虹)をわたっていく時にはあんまり速く走らんように、そのことだけはしっかり伝えておいてくれ」。

一族の待つ場所へ戻る道すがら、二郎は一郎に、「初子だけは生き延びさせたい」と切り出す。絶句する一郎。子どもを身ごもっている初子だけは助けてやりたい。どんなことがあっても守ってやると誓ったのだ。「初子は身ごもっている。こんな形で死なせるなんて、どうしてもできない」。

***

初子は生き延びて、後年、台湾に国民党が来てからは「高彩雲(ガオ・ツアイユヌ)」と名乗る。セイダッカ名「オビン・タダオ」、日本名「高山初子」。生涯に3つの名前を名乗った(名乗らされた)この女性は、1996年、波乱万丈の生涯を閉じる。享年82歳。ドラマの第1回は、原住民文化を研究する現代の学生が年老いた高彩雲を訪問するところから始まるのだ。

現代青年を相手に高彩雲が語る、セイダッカと日本統治当局との衝突の歴史。それがこのドラマの構造である。現代のシーンは第1回と最終回にしか出てこないが、全編を通じて要所要所に高彩雲のナレーションが入る。つまりこのドラマは、高彩雲(=初子)の主観で描かれているということになる。もちろん、彼女の登場しないシーンもあるので、完全にすべてが「初子主観」というわけでもないのだが。

原作は、[登+オオザト]相揚(ドン・シアンヤン)さんの歴史ノンフィクション「霧社事件もの3部作」(日本語訳あり)だ。ドンさんは南投県埔里鎮在住。約20年にわたって原住民の歴史と文化を研究、何冊も本を出している。霧社から山道を下りると埔里である。能高郡役所もここにあった。埔里は霧社事件の地元なのだ。

ドンさんは、本を書くにあたって何度も高彩雲に会って取材している。また、このドラマの美術顧問に就いた邱若龍(チイウ・ルウオロン)さんは、これも10数年にわたって原住民のことを研究してきた漫画家で、劇画版『霧社事件』(日本語版 楽天版元)を出している。この人も、生前の高彩雲に会って、いろんな話を直接聞いているのだ。

脚本は、本人から直接確かめた話を根拠にして、「初子は、おなかの子どもを死なせないために、自決を決意した二郎たち一族から離脱した」という形で書き進められた。ただ、ドラマの全体が「初子主観」で描かれるという構造下にあるため、「それは本人がそのように言っているのだ」と捉えることも可能である。

もちろん、本人証言に基づく「説」なのであるから、それにあえて異を唱えるものではない。ただ、「祖霊のもとへ行くのだ」として集団で首を吊った他の族人たちに対し、日本化教育を受けて育った初子には、部族の伝統的な死生観とはまた違った考え方があったのではないか、わたしにはそう思えるのである。一郎、二郎の胸にも新しい世界観は宿っていたはずだ。が、彼らの場合には、日本化教育を受けていたからこそ、セイダッカ出身の警察官として、その立場上、同胞を裏切りたくなければ死を選ぶしかない、という理路に追い詰められたということではなかったか。

花子は、生まれたばかりの赤ん坊を道連れにして、一郎とともに死ぬ。子どもが生まれていれば道連れにし(花子)、まだ腹の中にいるのであれば生き延びさせる(初子)という一点においては、あるいはセイダッカの死生観が働いたのかもしれない。すでに近代教育を受け、初子とともに看護婦として働き始めていた花子は、このとき、一族の決断に直面して、どんな気持ちになっただろうか。

どう論じてみたところで、このときの一郎、二郎、花子、初子が、わたしなどの想像を絶するような極限状況におかれていたことは間違いない。自決を遂げた人々も傷ましいが、二郎と別れて生き延びた初子も、どれほど辛かったか。

***

一族の待つ場所へ戻った一郎と二郎。二郎は、初子に、生き延びろ、と告げる。「わたしたち、夫婦じゃありませんか。いっしょに死なせて」と哀願する初子。「腹の子どもを生め。日本人も、妊婦のお前を殺すようなことはしないはずだ。おれはお前を守り抜く、と言っただろう。勇気をもって生き抜け。子どもを生んで、育てるんだ」。「いやです」と首を振る初子。二郎は、一族といっしょにここまで来たテワス(マヘボ社モーナ・ルダオの妹。事情があって出身部落のマヘボで暮らせず、ホーゴー社に住んでいた)に、「おばさん、お願いです。初子を連れていっしょに山を下りてください」と頼む。

ドラマでは、このようにして、初子はテワスとともに山を下りる。

テワスは実在の人物だが、この場面は創作である。歴史はドラマよりも奇なり。実際に起こった事件のすべてを一貫した論理で理路整然と説明しつくすことは不可能だ。しかしそうは言っても、ドラマはドラマで、一貫した論理の道筋に、ある程度は沿いながら、進んでいかなければならない。初子離脱のシークエンスは、このドラマの「論理」にとって非常に険しい難所であった。「初子」の柯奐如(コオ・ホアヌルウ)はよく演じきったと思う。

***

うわぁぁぁぁ! 「前回のあらすじ」書くだけでもうこんな時間(台湾時間朝4時)になってしまった! 今日(つうか昨日)の第18回は公視版の第15回で、霧社事件の処理のために台北から戻ってきた「山崎警視」が出ずっぱりの大活躍をするのに、もうこれ以上書く元気がない!

公視版第15回以降の「山崎」については、脚本初稿では依然として「山崎主任」となっていたのを、監督に意見具申して「警視」にしてもらったという経緯がある。

わたしの主張:

「ドラマ前半では栄転して台北の総督府へ行ったことになってるんだから、戻ってきてまだ『主任』っつうのはおかしいですよ。このあと、鎌田支隊長ともサシで話をすることになる。支隊長といえば、霧社鎮圧の総責任者として送り込まれてきた台湾軍の司令官です。それと対等に話をするということは、『山崎』は警察側代表として霧社事件に臨むことになる。歴史上、鎌田支隊の下で戦闘に参加した警察部隊の小隊長の職階は、警部とか警部補とかでした。その上にいて戦略会議に参加するんだから、こりゃ山崎は『警視』にせんとまずいでしょう」

「分かった分かった」わたしの大げさな理論武装が恥ずかしくなるくらい、監督は簡単にオーケーした。

「山崎」は架空の人物だ。実際の歴史には、総督府警務局から始まって、台中州や能高郡の警察課や理蕃課、それの部長やら課長やらいろんな人物が登場する。がしかし、そんなのを全部ドラマに持ち込んだ日には、視聴者にはなにがなにやらわけが分からんことになってしまう。そこで、この架空の人物「山崎」が、「警察の上の方」のもろもろを一身に背負って、今日から霧社事件の処理にあたることになったのである。

監督に意見具申したのも、ドラマ世界のリアリティを確保するためであって、決してわたし一個の立身出世欲のためではない。ドラマの論理を確保する努力は、こんなところでもなされていたのである(自画自賛)。



■『風中緋櫻』國興版 第19回 ■ 06月03日(木)


〔前情提要(チエヌチンテイヤオ=前回あらすじ)〕

(1)小島の生還

タウツア蕃トンバラ社に駐在していた小島巡査は、事件勃発と同時に族人に捕らえられる。トンバラ社は蜂起には加わらなかったが、族人の中にはモーナに合流して日本人を殺そうという動きがあった。小島は言葉巧みに、日本に敵対することの愚かさ、トンバラにとっては宿敵である霧社蕃をこの機会に討つことの利を説き、虎口を脱する。

(2)山崎の霧社帰任

前に台北総督府へ転任していた霧社分室前主任・山崎「警視」は、惨劇後の分室に帰ってきて警察諸隊の指揮にあたる。小島に向かってぬけぬけと、「佐塚を主任にしたのは間違いだった。小島君、君に腕を振るってもらうときが来たようだ」と語る。

(この「山崎」、豪傑肌を気取りつつもじつは小心者で自己保身の権化。自分で言うのもなんですが、けっこうええ味出してます。それにしても、分室を去る際、「霧社はもう落ち着いてきている。君の言うような危険は存在せん。君には主任になる機会はない!」と言い放ったその舌の根も乾かんうちに……。悪いのはお前やないんか、と……。いつの時代にもこういうやつはおるのですな。)

(3)鎌田支隊司令部の設置。

台湾軍・鎌田彌彦守備隊司令官が着任。霧社に「鎌田支隊」を設置する。以後、鎌田の指令のもと、軍・警察の合同部隊(軍警部隊)による蜂起原住民の掃討作戦が展開される。山崎以下の警察も、まるごと鎌田支隊長の指揮下に入る。

山崎は、鎌田からいやみを言われる。「警察の不手際でこんな事件が起こったのに、あんたらの助言なんか聞いてられるか」というわけだ。腹を立てつつも顔には出せない山崎。が、掃討作戦も始めてみるとなかなかうまくいかない。鎌田が思わず「敵はなかなか手ごわい」ともらすと、すかさず「ご心配ですか」と姑息な挑発を試みる。このあたりのやり取りは、オジサン世代の皆さんには笑っていただけるものになっているんじゃないかと思う。日本語なんで一般の台湾人視聴者にはウケないのが残念だ(ほとんど自己満足)。

(4)初子捕らわる。

二郎たちと別れ、テワスと二人で山道を落ち延びていく途中、山狩りをしていた軍の一小隊から銃撃を受け、テワスは死亡。初子は無傷なるもその場で捕獲され、捕虜収容所に入れられる。

(5)タダオ・ノーカン戦死

ホーゴー社頭目タダオ・ノーカンは、軍との交戦のさなか、銃弾に胸を貫かれて絶命する。タダオは、事件発生後最初に戦死した頭目となる。

(6)村田の出現

公視版第4回(國興版第5回)で霧社を去った村田巡査が、なんと「台湾日日」の記者となって霧社に出現。軍警による捕虜原住民のリンチ密殺について、支隊首脳部をはげしく非難する。

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「山崎」と「村田」は架空の人物である。したがって、彼らの出てくる場面は歴史上には存在しない。

「村田」は「いい日本人」代表としてドラマに登場(再登場)する。「セイダッカ/日本」を「善玉/悪玉」とするような単純なドラマにはしたくない、という監督の意図に出た役柄なのだ。ただし、「いい日本人」というそのキャラクターそのものが単純でないかどうかというのはまた別問題である。この役を演じたヨシさん(石塚義高)は、脚本上ともすれば単純に描かれがちのこのキャラクターに複雑な陰影とリアルな演技造型を与え、撮影中のスタッフから、また放送開始後は多くの視聴者から、絶賛された。

「小島」のキャラクターも、実在の「小島源治巡査」とは大幅に異なっている。いろんな人の行動をまとめて「小島」にしてある。

「小島源治巡査」が実際に駐在していたのは「タウツア駐在所」であって「トンバラ」ではない。この後、日本側に協力する「味方蕃」の指導者がトンバラ社のテムー・ワリス(実在人物)なので、話をすっきりつなぐために、「タウツア」を出さなかったのだと思う。

「小島源治巡査」がタウツアで一世一代の演説を行い、蜂起側に傾きかけていた部落輿論を日本側に転じさせたのは、事実らしい。セイダッカ語を相当に話せたのだろう。また危機に臨んでそういう大芝居を打つなど、なかなかの豪傑ぶりだ。

ドラマの中で「小島」は、事件で息子を失う。「中山清」はその殺された息子の同級生だ。「小島」は、一族が蜂起に参加して死に絶え、天涯孤独の身となった「中山清」を引き取り、養子にする。これは「小島源治巡査」の身に起こった出来事を、史実そのままに、ドラマでも採用してあるのだ。

初子と逃げる途中でテワスが撃たれて死ぬ、というのは、史実にはないことである。初子は、実際には母親の実家のバーラン社(蜂起には不参加)に避難している。

このドラマの中で、モーナの妹のテワスは、山地警察官だった夫・近藤儀三郎に捨てられた過去を持つセイダッカ女性(史実)として、過去のいろいろを語ったり、ときにモーナの心情を投影する鏡の役目を果たしたり、あるいは今回のように初子の行動を動機づける要因になったり、登場のべ時間はさほど長くないものの登場回数は非常に多く、注意深く分析してみるとまさに八面六臂の大活躍だ。主役たちが自分で説明しなくても、この「テワス」のキャラクターがちょうどいい位置に立って主役たちの状況をうまく自然に説明している。

ホーゴー社頭目タダオ・ノーカン。

蜂起側六部落で生き残った人々は、このずっとさき、霧社事件がいちおうの決着を見た後で、「川中島」というところへ強制移住させられる。「川中島」。いまの地名を「清流(チンリウ)」という。霧社から埔里へ下りて、その埔里からさらに別方向へかなり行ったところの、川に挟まれた土地である。タダオ・ノーカンの墓はそこにある。

2003年7月。ドラマ第1回および最終回の現代のシーンを撮影するため、「萬仁組」は南投県埔里鎮に宿を取り、そこから霧社と清流(川中島)へロケに出た。川中島で墓参りをしたのは7月11日のことである。

当然、ここには「山崎」の出番も日本人役者のシーンもなく、わたしは基本的にはこのロケに何の用事もなかったのだが、高彩雲(初子)の昔語りにはところどころ日本語が混じるし、「やっぱりわたしが現場にいた方が安全ではないでしょうか?」と監督に申し出たら、同行を許されたのであった。

ちなみに高彩雲を演じたのは、高彩雲(撮影時点ではすでに故人)の子息(故人)の妻(つまり高彩雲の嫁)にあたる婦人である。非常に上品な日本語を流暢に話す人で、もうわたしなんかがロケについてくる必要は全然なかったのであった。この方のお話では、高彩雲は家の中では日本語で生活していたという。この方の日本語も、姑である高彩雲から習ったものだと言うのだ。

タダオ・ノーカンの墓は、娘の高彩雲一家の墓のとなりに建てられていた。中央に縦書きで

荷戈社酋長
故塔托歐 諾幹之墓
民國十九年霧社事件中陣亡

とあり、この3行を取り囲むように、上に横書き(右から左へ)で「浩然正氣」、右側縦書き「勇者不懼」、左側縦書き「英烈千秋」と書かれてあった。

見るからに精悍な、まさに「セイダッカ勇士」と呼ぶにふさわしい感じの墓碑銘である。タダオ・ノーカンは、モーナといっしょに蜂起し、真っ先に戦死した。娘は日本化教育を受けた「模範蕃」、娘婿は警察官である。タダオはもしかすると、戦いに利のないことをモーナ以上によく理解していて、残された者がなるべく迫害を受けぬよう、速やかなる戦死の覚悟を胸に秘めて、あえて最前線に出たのではないだろうか。

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さて、本日の第19回。って言ってる間にもうこんな時間に……。

今回も「山崎」出まくり。とくに、鎌田支隊長と例の居酒屋で飲みながら会話するシーンは、えらい長かった。

しかし自分で気に入っているのは、モーナの娘のマホンが捕らえられて分室に連れてこられるシーンだ。村田記者が勝手についてきて、「彼女をどうするつもりですか」と問い詰める。山崎はにやりと笑いながら、「大頭目の娘を捕まえたんだ。明日のトップ記事だろう」と言い放つ。いやあ、憎々しい。

あ、あと、今回、モーナ次男のバッサオがやられました。

軍の攻撃で重傷を負い、逃げ切れないと判断。かたわらの兄、タダオ・モーナに「ダナトゥヌ(日本人)のやつらにつかまりたくない。今のうちにおれの首を切ってくれ」と頼む。手を下せないタダオ。いろいろやりとりあって、ついにピホが介錯してやる。実際に介錯をしたのが誰だったのかは分からないが、負傷したバッサオ・モーナが仲間に頼んで介錯されたのは本当にあったことで、その現場にいた人がのちに証言したと言う。


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