法善寺横丁の夜(13)
■ 不審な方店の前でオジサン3人がアアでもないコウでもないとゴチャゴチャ言うてるうちに引き戸がガラガラと開き、内側に掛けてあった暖簾をくぐってイマキさんその人が表に出てきた。「ああっ、これは……」とイマキさん。「あ、いや、えらいご無沙汰しております」わたしは慌ててお辞儀する。「いやあ、さっきから表の方でなにか不審な方がうごめいていらっしゃるなあと思てましたんですぅ」横でナカムラくんがあははと笑いながら頷いている。たしかにこんな時間、店の前でぶつぶつ話し合ってるオジサンたちというのは「不審」であろう。それともこのヒゲ面のわたし(だけ)を指して「不審」と言ってるのか? そうなのか? でも店の中からは当方の姿は見えないではないか。「最近はこのあたりにも不審な方がよく出没なさるので、そちらにそのような注意書きも出てるんですぅ」と言いながら、イマキさんは折り目正しく左の手のひら全体で店の左側に立つ掲示板を指した。「ほんまや、ほんまや」とナカムラくんが嬉しそうに確認する。小学校の同級生であるわれわれに対しても、イマキさんはいつも敬語を使う。いきおいわたしなんかも丁寧な言葉遣いになってしまう。でもイマキさんの冗談はなかなか辛らつ。その辺のコンジョーは子供の頃から変わっていない。「ああ、エヌさんも。ご無沙汰してますぅ」「いやあ、どうもどうも」エヌ氏もなんどか「Wasabi」さんには来たことがあるそうだ。この店は雑誌『味覚ノート(仮名)』でも紹介された。共通の話題もいろいろあるようで、ナカムラくんも交えた大阪3人組はしばし談笑していた。わたしはと言えば、こんな遅い時間、店の片づけで忙しいシェフを相手に一から近況報告でもあるまいし、さりとていったいどこからどう説明すりゃ現在の自分の状態を把握していただけるか、いや、そもそもわたしの近況になど何の興味もないだろうが、そうは言ってもこのままじゃ確かに単なる「不審者」だし、などとちぢに乱れる心をもてあましつつ、ぼおっとそこに突っ立っていたのであった。イマキさんとは中学校まで一緒だった。その後は互いに連絡のないまま幾星霜。数年前に帰阪したときナカムラくんに連れられてこの法善寺横丁「Wasabi」に来てイマキさんが「シェフ」になっちゃってるのを知った。そのときは、店の場所は今と同じだったが、2003年の火事に遭う前の店だった。2002年の「中座火事」、2003年の二度目の火事、これらの災害を乗り越えて、イマキさんの店は見事に復活した。今や以前のにぎわいをもしのぐ繁盛ぶりである。イマキさんはいつの頃からか料理の道を歩みはじめ、どこか名のあるレストランで修行をしていたのだが、何かと難しいシキタリ的なもろもろが行く手に立ちはだかり「女にはこっから先はさせられない」というようなことを言われるに及んで「そんなら、日本にこだわることはないわいッ」と思い定め、フランスに渡ってそこで存分に修行してきた(←以上、ずいぶん前に聞いた話を思い出しつつ紹介)。「Wasabi」では、「串揚げに合うように」と、イマキさんが自分で選んだワインが充実している。向こうの本場でワインの研鑽も積んできたのだろう。あまり値の張らない美味いワインがいろいろ揃っている。「男子三日見ざれば刮目して見るべし」と言うが、女子だってそれは同じ。いや、わたしなんかは「刮目して見」られるとちょっと恥ずかしいようなもんだが、イマキさんは掛け値なしにすごい。今回はいただくことができなかったが、「Wasabi」さんの串揚げ。コースが2つあって高い方のにすると「ストップ」の声を掛けるまで次々に新しい串が出てくる。どれもこれも創意に満ちた作品で、材料ごとにタレとか塩とかレモンとかワサビとか、あるいは何にもなしで「そのまま」とか、最適の食べ方を教えてくれる。われわれは言われるとおりにタレとか塩とかレモンとかを付けたり付けなかったりしながら、まだ熱いうちに、ひと口二口で揚げ物をいただいてしまう。季節の材料を見事に活かしていて、「ほう、こんなもんも串揚げになってしまうんやね」などと感嘆しつつ手に残った串を「串つぼ」みたいな容器に放り込む。しばらくするとまた新しいのが揚がってくる。ひと串のボリュームはわずかなもので、だからいくらでも食べられる。イケル口のナカムラくんなどは酒の方もビールからワイン、それから吟醸の冷酒へと移っていっていつもわたしの二倍半は呑む。「Wasabi」さんは今では大阪中の食通に知れ渡っていていつ行っても満席だ。電話で予約しておかなければ店に入れない。それもそうとう早めにしないと席は取れない。わたしのように明日の予定も分からぬ者にはなかなか難しい。それでもまたいつか、ゆったり時間を取って、「Wasabi」さんの串揚げをいただきに参じたい。「そろそろ行きまへんか」。わたしは二人に声を掛けた。「そやな。もう行かんとな」と二人。「どうも忙しいとこをお邪魔しました」「いえいえ」「またいずれそのうち」「はい、どうぞまたいらしてください」「それではまた」「おやすみなさい」。口々に挨拶をして、オジサン3人は法善寺横丁を出た。「千日前通り商店街」を南下、「千日前通り」に出る。電車に乗るとするとそこはちょうど「難波」と「日本橋(にっぽんばし)」との中間だ。ナカムラくんのうちは日本橋のすぐ先の「谷九(たにきゅう)」。電車に乗るより歩いた方が早い。エヌ氏もわたしも、そのまま上本町まで歩こうということになった。エヌ氏は自転車を上本町駅前に置いている。わたしの乗る近鉄電車は12時半まではあるはずだ。三人でなぜか「うどん」の話をしながら「千日前通り」をひたすら東へ進む。日本橋一丁目(略称「にっぽんいち」)で堺筋を越えた。さらに行くと道は急な上り坂になる。上町台地の始まりだ。(この項おわり) ▲法善寺横丁「Wasabi」店構え 撮影は前回帰省時の2004年3月23日。