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カテゴリ:家族の風景
オジサンは、32歳で、マンションを購入した。そのとき、3男坊をさづかり、その同じ年に父の死を迎えた。人生の喜びと悲しみと将来設計への取組みを同時に行ったということである。
京都で大学を卒業し、東京に本社があるある団体に就職した。採用後3年で東京本社に転勤となった。最初は独身寮に住んだ。4畳半一間で、便所は共同で、共同のシャワーしかなかった。上京して3年ほどで結婚して今度は世帯寮に入ったが、世帯寮に入居制限があり、とにかく寮はでなければならなかった。 当時の年収は、350万円程度であった。 平成元年、30歳にして、家探しを開始した。今のようにインターネットでの検索なんぞは望むべくもない、アパマン誌と住宅情報を見るほか、新聞折込、電車の中吊り広告を見る他、妻と住みたい街の候補地のイメージについての話をしていた。たまに情報をつかむと時間を作って夫婦で出かけていって、駅近くの不動産やに飛び込み、住環境と概ねの価格についての感覚を養った。 31歳になって、ようやく候補地を見つけた。埼玉県東部の武蔵野線沿線で、千葉よりの小さな町であった。田園風景が広がり、全くの田舎であったが、なんとも清々しかった。そこに大型マンションが建つという。 立派なマンションのモデルルームで、契約について話をきいた。購入できそうな物件は、販売価格4000万円である。当時の私の年収であると30年ローンは組めない、年収が少なすぎて、希望の金額の公的借入ができないことが判明した。また、バブルの影響もあり、民間金融機関のローン金利は8%にも上っていた。公的資金でも5.5%程度はあったと思う。 ローンは35年ローンにして、当初5年間は返済額を低くするステップ償還にして、借入金を減らすために、夫婦の両親に頼んで、一部を負担してもらった。 やっと契約にこぎつけたとき、オヤジが心筋梗塞で倒れた。平成2年の入居の年に亡くなった。ほぼ同じ時期に、三男坊が妻の中にさづかった。その後、役付職員になって、またバブルの影響もあり、給与は徐々に引上げられて、ステップ償還の恩恵もあり、生活は安定的に維持できたが、当時のローン金利は高いままであったので、自動車を購入する予定の資金で一部繰上げ償還をした。 いま、冷静に考えて、あのときの自宅購入は正しかったのか、と自問することはある。バブルがはじけた今、同地域の私達の入居しているマンションクラスでは3000万円台で販売している。当時から約15年の年月を経て、なお新築物件が当時より安い価格で販売されているからだ。 でも、その答えは、いつも同じ「正しかった。」である。 男子3人の子に恵まれ、家族5人が健康に過している。住環境は、入居当時からすると長足に発展し、公的施設や道路網も充実し、田舎の環境は少なくなったが、住環境としては向上している。 現在、ネットによる検索が自由にできるようになって、入居地域、販売価格の選択肢は広がり、情報が多すぎて迷うことになるでしょう。 でも、迷うことにより、自分達を見直し、より自分達にあった生活設計を考える機会が増加するものと思う。・・・30歳台は、それに充分に時間を掛けられる世代である。 今となっては、全くうらやましい限りである。 最近になって、「Smatch 住まいの達人ブログ」を知った。 住宅購入に関する話題はもちろん、暮らしや生活、ライフスタイル全般について、「住まいの達人」ブロガーがさまざまな情報を日々発信するブログポータルでである。ブロガーは、マンション購入体験者から住宅ローンのプロ、インテリアデザイナー、さまざまなジャンルの専門家、意外なあの有名人まで多種多様で、スマッチ!は、そんな達人ブロガーたちとコメント、トラックバックを通じて情報共有したり、意見交換をする「場」になっている。 そんな「Smatch 住まいの達人ブログ」は、10/26でサイト開設1周年を迎え、それを記念して、1周年記念特設サイト「30歳のリアル」が開設されたという。 私なんぞは、30歳当時、自分の目で見、耳で聞き、自分の足で回って、その土地の空気を吸い、その土地の人の話しを聞いて、土地の感触をつかもうとした。 どういうことだ。今は、それらの情報をボータルサイトで、同世代の人たちとの交流を通じて、情報を得て、様々な意イメージを感じることができる。そうして、イメージを膨らませてから、現地に足を運べばいい。 ホントにいい時代になった。・・・まったく、うらやましいことである。 人気blogランキングへ ←よければクリック お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.10.17 11:25:30
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