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TokyoCityの日記 [全11件]
我が家を売りに出して5ヶ月が経った。というのも、我が家を売って(専任媒介契約)、それを頭金にして新しい家を買おうとしていた(購入申し込み契約)。その販売と購入は同じ不動産屋、みんなが知ってるセン○ュリー21の系列のところだった。担当者の若い営業マンは、当初はよく頑張ったと思う。だって、我が家が売れれば、会社としては手数料収入が二件分入るのだから・・・ しかし、結局我が家は売れなかった。そしてまた、私が買おうとしていた新居もまた、いまだに売れていない。我が家は決して売れない物件ではない。何人かの知人に話したら、思っていたよりも1000万近く安いし、都心の一等地だから、「えっ、それってすごい安いんじゃない?」との評価。というのも、不動産屋が一戸建てを売った経験がほとんどなく(ほとんど賃貸)、正直素人に近かったのだ。なので最初は、「査定価格」というやつで、とんでもなく低い価格が提示された。安く出せばとっとと売れるから、という安易な素人判断。私はプロとしての不動産屋の仕事はそんなんじゃないだろうとはっぱをかけ、妥協点ぎりぎりの値段を出させた。 その後も、販売戦略や経過についてほとんど情報がなく、ときどき我が家に来ては価格の引き下げを求める依頼。私は「不動産屋が決死の努力をして、あとわずか価格を下げることによって、取引が成立するというなら、価格引下げに応じるが、ほとんど連絡がない中で、ただ値段を下げろだけでは納得できない」と断った。あわせて、専任媒介契約書どうりに1週間に1回は必ず現状報告してほしいと依頼した。 そう1ヶ月に1回しか連絡がないのだった。 専任媒介契約は3ヶ月で切れ、私は継続契約はしなかった。その後何回か、我が家の内見に来た方がいたが、15パーセント値下げしたら買うとかとんでもない申し出をしてきたので、断った。 そのうち、不動産屋からは何の連絡もないまま(あっ、お盆前に「またお盆明けに連絡します」と留守電に入っていた)日がたった。つまりそれっきりである。担当者も連絡が途絶え(たぶん辞めたか?クビか?)いつの間にか、購入予定だった物件も、取扱い業者と担当者が変更していた。私に何の連絡もなく・・・ 今思えば新居の工事業者も測量士も鑑定士も司法書士も売主も、ろくな奴がいなかったなぁと。だから新居は買わなくてよかったのかも。工事業者は近隣への挨拶もなく、トラック路駐で玄関をふさぎ出られなくなるし、測量士(&鑑定士)は測量をごまかして土地を広げる画策をするし、司法書士はそのグルだし、売主は土地を転がしてがっぽがっぽしたあとに「売ってやってもいい」という高飛車な態度、そんなメンバーでできた家はろくな家ではないだろう。姉歯だけの問題ではない。不動産なんて一生に一回しか付き合いがないから、ごまかせるとでも思っているのだろう。 我が家の売却も、せめてその取引終了くらいは連絡があってもいいのではないか。 今まで会った不動産屋でまともなところが一箇所もなかった。 不動産業界・・・どうなっているんだろう 私は自宅売却はやめることとした。 不動産屋を通さない個人売買が最も安全で安心できると思った。 実際、私は何度か全部自分で不動産取引を完結した経験がある。 素人でも十分できることではある。
これは平成18年8月11日の話。 西友というスーパーのある支店に子どもと一緒に買い物に行こうとしたときのこと。 手動のガラスドアから店内に入ろうとしたところ、店内から店外に出ようとした他の客が、勢いよくドアを開けたために、ガラスドアの角が私の顔面に強く当たりました。 私はその場に倒れこみ、間もなくかなりの出血がありました。 まわりには人が集まり、幼いわが子どもはただ泣きじゃくるだけ。 通りがかりの人がどこからかティッシュを持ってきてくれたが、加害者であるHは「だいじょうぶですか」連発のみ。 しばらくして、騒ぎを聞きつけた通りがかりの客が店員を呼び、間もなく私は救急車で運ばれていきました。 加害者Hは急いでいたのだろう、ここに電話くださいとメモを渡したまま、救急車の到着を待つ前に一緒だった父親とともにどこかに消えてしまいました。 一方、西友の担当者も、名刺を渡されたものの、「本来なら一緒に救急車に乗るべきなのでしょうけど、他用があるので・・・何かあれば連絡ください」と病院までは同行せず、救急車にのせたら店内に消えていきました。 近くの大病院に運ばれ、とりあえず切傷で全治二週間とのこと。 保険証もなかったので、自宅まで負傷した体をひきずりながら保険証とお金をとりにいき、治療費の清算(保険がきいて1635円)をしました。 自宅に帰ってからまず西友に電話をかけ(事故後1時間半くらい)、例の担当者に事後報告をしようとしたところ、「もう帰宅した」とのスーパーの返事。しかも他の店員に事故の件の連絡・引継ぎがなされていなく、「えっ?何のことですか?」という対応。 また、加害者Hの自宅にも電話をかけたところ、「あぁ、大事にならなくてよかった。治療費を支払うから連絡先教えてください」とのこと。そして自宅まで謝罪に来るとのこと。私はすっかり信用し、自宅の住所他連絡先を教え、「明日あさってなら家にいるから都合がいい」と伝えたところ、「明日あさってはちょっと・・・なので、月曜日以降息子に連絡入れさせます」という返事。おいおい、本当に謝意があるのか?と、誠意のない対応。 まっ、久しぶりに人を信じてみようと、月曜日まで連絡を待つことに。 しかし、それ以後まったく連絡なし・・・ こちらから連絡してもいいけど、1600円ほどのことで、あーだコーダ・・・を考えたらばかばかしくて・・・ 一方西友の対応は、担当者から翌日しつこいくらいに電話がかかってきたが、「どうでしたか?大丈夫でしたか?」「あーよかった。またご来店ください」とこれでこの件は終わりにしようとするような気配だった。私は、おいおいちょっと待ってくれよと思い、「この事故を今後店側としてどのように対応するつもりですか?」と聞いた。そしたらあわてて「では、これから建物の管理会社を呼んで検査させます。それではその結果が出たらご報告させていただきます」という返事。私が何も言わなければ、このままなかったことにしようとしたのか? 数日後、また電話がかかってきて「検査の結果、異常なしということでした。なので特に・・・」といったので、「そりゃあないでしょ。実際に事故が起きたのに何の問題もなかったとは。何らかの対応をしてください。」といったところ「まぁ、開閉注意の表示くらいしか対応策はないのですが・・・」という返事だった。私もこれ以上話す気もなくなったので、「では今後もこうした事故が起きないようにしかるべき対応を何かしらはお願いしますね」としてこの件で争うことはやめることにした。「他に私どものほうで何かできることあれば・・・」といったので「では加害者に連絡とってください。アレからまったく音沙汰なしなのです。私のほうから電話をするのも憚れるので・・・」といった それ以来、加害者からもスーパーからも連絡が来ていない この件のあとに、加害者に治療費の請求と、しかるべき謝罪を改めて求めようか考えましたが、私はかねてから世知辛い世の中になってほしくない思いがあったので、先方の誠意と気持ちにゆだねることとしました。そしてゆだねた結果、逃げたりごまかしたりする人でした。やはり、いままで出あった多くの人と同様に、また・・・という思いでいます。 西友の担当者はどうであろうか。どちらかというと、担当者はトラブル回避、保身の発想で対応していたように感じた。まず救急車には一緒に乗るべきだし、自宅まで謝罪に来るべきだし(自宅と店は非常に近い)、店の対応策や共通理解を私から問われる前にしっかり説明すべきだったと思う。この対応では、よくテレビで謝罪している企業とたいして変わりない、と思った。いっそうのこと、西友の社長に御直秘で苦情をあげようか(会社のために)と思ったが、そこまでしてはアノ担当者がかわいそうだと思った(出世できなくなるでしょ)ので、やめた。 会社の幹部の皆さん、早く気づいて社員教育を徹底しないと、会社傾くかも・・・と感想。 こんな細かい対応が、会社のイメージを作っているんじゃないかな? おそらくここまで読んだ人は、そんなお人よし過ぎる・・・と思うことだろう しかし、よく考えてみれば、大量出血している私に、そのとき適切な判断と行動が取れただろうか。 書いて少しすっきりした。 黒板五郎のような実直で誠実な人は本当にいるのだろうか?
ここのところ殊に人と人とのつながりをないがしろにする傾向が顕著になってきたのは、いままでいくつか述べてきたとおりであるが、今回はそうした傾向が社会学の視点から見るとどう見えるかを述べたい。 忘年会シーズンなのに閑散とした居酒屋、2次会が成立しない、というのは前回述べたとおりだが、今年の正月を体験してみてさらに社会の変化、人と人との関係の劇的な変化を肌で感じた。というのも正月なのに全然正月ではなく、ふつーの日だからである。そう思ったエピソードは次の六つである。 ひとつは、「新千円札が自動販売機に入らない」と元旦早々日帰り入浴施設の受付店員に延々と文句を言っている初老の夫婦。「元旦から働いている人に感謝しろよ」と思った。二つ目はジャスコの初売りやホームセンターの初売り。なにか正月らしい、初売りらしいワクワクするような商品との出会いを期待していったんだけど、結果は経営者の心の狭さを肌で感じただけだった。正月なんだから、赤字でもアンビリーバブルな価格の商品に出会えれば、経営者の太っ腹に企業イメージも上がるのに・・・と思うほど、すけべーな商品設定と価格設定しかなかった。例えば「プレステ2福袋三万円/プレステ2とソフト何でも1本/ただしソフトは7千円までのもの」通常販売と三千円しか違わない。せめて7千円限定はやめたほうがいいだろう。三つ目は元旦営業。みんな元旦くらいは休もうよ。どこいっても大型店舗は普段通り営業している。どうせ営業するなら早く閉店するのはやめてほしいと思った。どこも営業していないからこそ元旦なんじゃないか。四つ目は交通。20年前、東京の靖国通りでは元旦の交通量が0に近く、道路の中央でトランプをしたことがあるよ。田舎へ帰る高速道路の渋滞は100キロを超えたなんてニュースになっていた。今はせいぜい20キロか、それも一時的に。人の流れが変わったなー。五つ目は「除夜の鐘・初日の出・初詣」みーんな行ってたこれらのイベントにくる人が年々減ってきた。六つ目はテレビ番組。昔は夜0時になると、NHK「ゆく年くる年」と民放「なんだったっけな?」で2つの番組しかやっていなかった。今はくだらなすぎるナイナイの番組や、カウントダウンライブの中継、ネタがつきつつある格闘技など様々な正月になんの関係もない番組を延々とやってる。テレビがつまらない。 これらは言葉にできた一部の例である。要は社会全体が正月を特別の日にしなくなってきつつあるんじゃないかなということである。このままだと祝日でなくなっちゃうぞ、なんて。さーこれをこれから社会学的に考えてみよー。 私は正月が特別な日でなくなることについては個人的感情では淋しいけど、社会学の目で見れば社会が変動している証拠であり、ゆえに社会が生きている証拠でもある。しかし、その変動は人間から人へと、すなわち人と人とのつながりに感謝する社会から、自分さえよければそれでいいという利己主義への変動でもある。考えてみれば正月だけではない、先の忘年会もしかり、結婚式にしても、葬式にしても儀礼的イベントを行なわない人が増えてきている。ましてや、初七日や四十九日などは省略したり告別式に済ませてしまうことが多い。子どもが生まれてもお宮参りに行かなかったり、お食い初めなどの儀式を行なわない人も増えている。 では、こうした儀礼はどうして行なわれなくなったのか、あるいはどうして大事にされなくなったのか。それは次の3つの理由によるものであろう。ひとつは半端宗教者(家は何らかの宗教に儀礼的に属しているが、個人としては何の宗教的アイデンティティを持っていない者)が儀礼的イベントに興味を持たなくなったということである。儀礼的イベントは主に仏教と神道(そして一部キリスト教)による宗教行事であることが多いため、敬虔な信者と半端宗教者との乖離が激しくなっている。二つ目は面倒だからである。人と人とが付き合うということはそれなりに時間と努力が必要である。そこまでして他人と関わらなくてもいい、自分の生活に支障がなければ特に他人には無関心となる。人と関わらないと生きていくことができなかった昔に比べ日本人が中途半端に裕福になったからだろう。三つ目は、儀礼的イベントをおこなうには、それなりの時間と費用がかかるが、その分の時間と費用を別のことにまわすといった価値観の変化がみられる。人と付き合うことにお金や時間をかけるより、自分の欲求を満たすことにお金や時間をかけるようになった。 このように儀礼が行なわれなくなることにより社会にどんな変化が起こるのか。次に本稿の本題について述べていこう。儀礼的イベントはただのイベントではなかった。例えば1周忌は未だに親族の多くが集まるが、このイベントは個人を偲ぶ法事という意味合いもあるが、社会学的に見れば親族が再会する機会の創生ととらえることもできる。そんな機会でもない限り、親族が一堂に集まる機会などない。そうした機会を故人が与えたのが法事のシステムである。このことはほかの儀礼的イベントでも言える。町内の祭りは、氏子の祭りという意味合いが本来的にあるが、内実はコミュニティの創生・継続である。正月も、国民全員が休業することによって会いたかったけど会えなかった人に会う機会の創生でもある。忘年会・新年会もしかりである。みんな、今生きている人たちの人と人とのつながりを作ろう、という機会なのである。 しかし、そうした機会が尊重されなくなった。礼儀や作法、思いやり、感謝など、「他人があってこそ自分がある」という概念が薄れてきつつある。逆に「自分のために他人がいる」という概念に変わりつつある。そこに現代に特徴的な利己主義と儀礼との関係がある。 このような関係が実は自然環境や社会環境に大きな影響をもたらしている。ここのところの異常気象や自然災害は、人災であるともいわれている。すべてが人災とはいいきれないと思うが(というのも地球環境を劇的に変化させるだけの力を人間は持ち合わせているとは思えない)、私は人災による影響も大きいと考えている。また犯罪が非常に増えている。倫理観もマナーもくそもなくなりつつある。そこには、今まで述べたような利己主義の思想と、儀礼への無視が思想的に影響を与えているのではないかと考えている。自分の国さえよければそれでいい。自分の宗教さえよければそれでいい。自分の地域さえよければそれでいい。そして自分の家族さえ、あるいは自分さえよければそれでいいという考えが広がることによって、自然破壊がそして社会環境の悪化がすすむのである。 最後に、これは永遠に続くものではないと加えておきたい。「振り子現象」という言葉があるが、現在は「和」を失う方向に進んでいるが、必ずや「そうではいけない」と逆に「和」を追い求める時代がくると思う。それは恐らくわれわれ30代が50代になる20年後か、今の現役世代が引退する60年後か、あるいは日本という国の消滅や世界大戦など大きな社会変動があったときだと思う。それまでは恐竜時代の哺乳類のように、細々と期を待つしかないだろう。
私の文章は怒りや疑問でいっぱいだけど、はじめてのいい話。注文が殺到したら自分が注文できなくなるから実はお勧めしたくないけど、いいものはいいのでご紹介します。 私は世の中にある芸術作品のうち、いい評価をすることは滅多にありません。よく美術館や観劇、個展などを見に行きますが、印象に残るものは僅かです。そのなかで偶然出会った「石んこ地蔵」を紹介します。「石んこ地蔵」とは石でできた御地蔵さんの彫刻です。なーんだと思うかもしれませんが、ひとめ見たら忘れられないお姿をしています。最近多忙で、眉間の皺がまったくとれず、非常にストレスを感じていました。そんなとき、たまたま土産物店でこっちをニコッと見つめていたのが「石んこ地蔵」でした。 ただ姿形がいいだけではお勧めしません。とにかくモノがいいのです。ひとつひとつ手作りで、その昔石であったとは感じさせないくらい温かい命が吹き込まれています。また野山にとてもマッチします。草むらの中にちょんと置いたら最高ですね。雪の帽子をかぶっても違った表情になります。 まあ、あれこれいってもなんですから、検索サイトで検索して画像をご覧になってください。その良さが部分的に分かると思います。本当は実物を仙台まで見に行くのが一番いいと思います。少々というかだいぶお値段は張りますが、芸術家だって生活があります。芸術家の生活を支えるという意味でも、その価格分の価値はあるでしょう。たいへんお勧めです。 久しぶりにいいモノに出会えました。ニコっ
昨日、私はとある忘年会に行きました。山手線のとある駅からすぐの普通の居酒屋でしたが、なんとこんな時期なのにお客さんがほとんどいない。忘年会シーズンでしょ。午後6時からの会だったんだけど、お客さんが数組。いくら日曜日とはいえ、少なすぎると思った。そこで、人と人との和について、いろいろと感じたことを雑感として書き綴っていくこととしよう。 そういえば、最近お酒を飲む人が少なくなった。特に20代の人で「飲めない」ということで、居酒屋でジュースを飲む人が非常に多くいる。いやそれでもまだ居酒屋に行く人はいい。飲み屋自体に行かない人もいる。どうなっちゃったんだろうという疑問がふつふつと沸いてきた。私たちが10代のころは、よくいたづらでコーラハイを作っては誰かの家で飲み会をやっていたものだ(本当はお酒は20歳からだよ)。15―16歳で二日酔いや嘔吐を覚えたものだ。20歳になると自分のアルコール分解の限界を知っており、そのぎりぎりまで飲み歩いた。よく終電まで梯子酒したし、終電がなくなると朝まで飲み屋で時間をつぶしていたな。それがどうだろう。今の20代の子でもお酒を飲んだことがないし、飲みたいとも思わないというではないか・・・別に悪くはないんだけど、文化差を感じてしまい、付き合い方や誘い方に困惑してしまう。 酒の話題でもうひとつ。ただ飲まないだけでなく、2次会・3次会というのがなくなった。不思議なことに最近の飲み会はいつも9時には終了して、みんな帰路につく。朝まで飲む、朝まで語り尽くすなんてこと皆無といっていいかも・・・俺もここ数年経験していない。まぁ、飲んでいないから酔っ払っていないわけであって、2次会の必要もない。でもそれでいいのか?とも思う。1次会の2時間だけでは語り尽くせないから2次会を設けるのであり、テンションが高いから、気軽に誘えるようになる。・・・・・ ・・・・(酔っ払った中で書いたのでここで寝てしまいました)・・・・ZZZzzz
私が大学2―3年の頃だったので今から15年ほど前のことである。私の大学は横須賀市に近い横浜市にあり、よく上大岡の駅で飲み会をやっていた。これもまたそんなある日の話である。 大学時代とても仲良くしていた新潟と福島という友だち(いずれも出身地名で仮名)がいた。俺とあわせて3人で、その日も上大岡の駅で飲んでいた。飲んだあとは荒れる事が多く、駅前のロータリーの電話ボックスの電話帳を縦に破ったり、駐車違反している車の屋根に乗っかってその上から立ちションベンをしたりして狂乱していた。金はないが若さだけはあった俺らは、帰りが名残惜しく、上大岡の駅から横浜駅まで歩きながら話すことにした。最初はみな狂喜乱舞しながら歩いていたが、次第に疲れが出てきて、また酔いも覚めてきた。私と新潟は次第に、しんみりと話すようになり、ただただ歩くだけになっていった。しかし、福島のハイテンションというか狂乱はおさまらず、捨て看板をぶっ壊していったり、絶叫したりとパラノイアであった。そんな道中、福島の暴走を私と新潟でなだめながら歩いていた午前3時30分ごろ、場所は磯子駅の近くでの出来事である。 駅前なので、歩道は自転車の違法駐車で埋め尽くされていた。われわれはみな避けながら歩いていたが、まだ狂乱のおさまらない福島はその中の1台のママチャリがからだに引っかかったらしく、それでキレて「んだこらぁ、っざけんなよ」といってそのチャリンコを投げ飛ばしました。・・・・・・・そのときです 「エーーン」 15歳から20歳くらいの女の子の声で、その自転車が泣いたのである。俺と新潟は即座に目を合わせ、心の中で「おい、今の声聞いたか?」「おお、やべぇよ」という会話をアイコンタクトでした。チャリンコをぶっ飛ばした当の本人である福島は、「うぉーーっ、うぉーーっ」とまだ吼えつづけており、一向にそのことに気づいていない。しかし、俺と新潟はすぐにその場から遠ざかり、遠くからそのチャリのことを振り返って見てみました。歩道をふさぐように真横に横たわり、カラカラカラカラとペダルとホイールが悲しそうに回転してしていました。 後日、他の友だちとの会話の中で、俺と新潟はその話題を出し、あの事実が決して嘘ではなかったことを確認しました。今でも新潟と会えば、そのことは背筋が凍るほどの共通の恐怖体験として、話題にすることができます。 あの女の子の泣き声は、持ち主の生霊だったのだろうか・・・
俺にとっては生まれてはじめての経験だけど、誰しもが人生に一度くらいは経験するんじゃないかな?タイトルどおり、11月27日に我が家に泥棒が入りました。その顛末と、そういうときの被害者の気持ち、そしてまたまた警察への不満を放出したいと思ってます。 時は11月26日、私は社会人なんだけど夜学校にも行っているので、夜10時30分ごろ帰宅しました。家についてからは、まずは腹減ったし、お酒も飲みたかったので、テレビ見ながら手絞りレモンハイと冷蔵庫にあった何かを口にしながら、今後の研究方針について思索していました。そして日が変わり11月27日の午前0時30分ごろ、1階の電気を消して2階にある私の「インチキ研究室」のパソコンのスイッチを入れ、その研究方針をパソコンに入力などしていました。午前2時ごろになってウトウトしてきたので、そのまま布団にダウン・・・朝を迎えました。朝起きても、何の変化も感じられなかったので、普通に仕事に行く準備をし、バイクのエンジンをかけ、いざ出勤!というときに「あれっ?かばんがない!」と気づく、家中いくら探してもかばんがない。そして間もなく、女房のかばんもないことに気づく。玄関を開けたままにして、そんな騒ぎをしていると、外では近所のおばさんが「うちの前にかばんの中身が散乱しているんだけど・・・」という会話が漏れ聞こえ・・・そこで現場に駆けつけてみると、確かに私と女房の持ち物だ。おおっと、泥棒にあったんだ、と気づく。そしてすぐ俺は心底こみ上げる「ムカツキ」を感じる。長い間おさえていた、「てめぇ、ぶっ殺してやる」という感情。とはいっても、その感情の矛先を向ける対象がいない。じゃあ、しょうがない。一応法的な手続きだ・・・と、110番。15分後近所の交番のお巡りがチャリで来た。 要は、2階で寝ている間に1階の居間に入られ、いわゆる「貴重品」をもって行かれた。気づいたら、近所に貴重品以外の(泥棒にとっての)ゴミを散らされていたというわけである。こんなとき、普通の人はどういう気持ちになるのだろうか。俺は、近所の人やまわりの友だち、同僚からは、財産がとられて「お気の毒」という声をかけられ、励まされた。しかし、俺は金が取られたりその他の貴重品が取られたことそのものはそんなに大したこととは思っていなかった。それよりなにより「俺の家に泥棒が入った」ということそのものが気に食わなかった。「おい、泥棒よ!てめぇ何で俺の家の入ったんだ。ふざけんなよ」という俺のプライドが傷つけられたことによる怒りである。1000円取られても1000万円取られても、その気持ちは同じ。「俺のものをとるというのは、てめぇいい度胸してるな」という怒りの気持ちである。だからショックなんてほとんど感じていない。ただ、激怒しているのに、その怒りをぶつける対象がいなくて、さらにムカツいているだけ。ある意味、泥棒は俺と鉢合わなくてよかったのかも。多分、その場でキレてボッコボコに半殺ししてたかもしれない。そしたら、俺まで逮捕されていたかもしれない。そうか、俺にとっても泥棒と鉢合わなくてよかったのかも。そしたら今ごろ、気持ちはすっきりしていても、鉄格子の中だったかもね(集中治療室かもしれないけど・・・)。女房・子どもは明日から食うのも困ってたかもね。ううむ、納得いかん。 まぁ結果として、してやられたわけだから、感情は今後何とか処理しないと・・・そうそう、冷静になって書きつづけてみよう。110番のあとくる交番の巡査って駄目だね。被害届ひとつ書けないんだもん。盗難にあった金品のリストを作ることすらできない。こっちがひとつひとつ丁寧に話しても、途中で記入を止めてしまったり、「メモをとるのが大変なら私がリストのメモを作って渡しますよ」といって私がノートにメモを書き始めても、私が書いている途中でそのノートを取り上げ、「あっこれもあったんですか」なんてそのノートを持っていってしまい、そのまま書いていた途中なのにそのノートを返してくれない。仕事のできなさに唖然としたね。挙句の果ては、「被害届の用紙を書き損じたので明日電話連絡のあとまた来ます」という結果になり、そして次の日に留守中に電話が入った。その時の留守番電話のメッセージが「<ピー>あれ?あれっ?なんだ?いねぇんか・・<ガチャ>」というもの。っていうか、警察官っていうのは警察サービスの提供者でしょ。被害者を救済し犯人逮捕をするのが仕事でしょ。なんで被害者に偉そうにしなくちゃならないの?接遇のお勉強、みなさんやってくださいな。頼みますよ。被害者に横柄になったり、説教したり、仕事への誠意を見せなくてどうすんの。こんな現場の警官を抱えている警察官僚のみなさんには「ご苦労様」っていいたくなるなぁ。(注)もちろん現場の警察官のすべてではないと思うけど・・ まぁ、同じにも刑事さんたちはもうちっと<接遇>きちんとしていたかな。で・も・ね、きびしー私は刑事さんたちにも言いたい。玄関のドアの指紋を調べただけで終りにしないでよー。例えば、何を盗んで何を盗まなかったかという泥棒の選択を調査しただけでも、泥棒の年齢や国籍・性別・出身地なんかは簡単に分かると思うんだけど。素人の俺でさえ、なんでアレを盗んで、アレは盗まなかったのか、と不思議に感じることがあったよ。それを調べるだけで泥棒の価値観が明確に分かるんだけどね。結局は「指紋は採取できませんでした、今後気をつけてください」って言って帰っちゃった。あんまり真剣じゃないのかなぁ。誰か教えて。 こうした警察サービスに対してのクレームを受け付けるところってあるんですか?弁護士とか有料サービスとかNPOとかオンブズマンとかじゃなく、正規の警察組織内部や第三者評価機関などの公的なセクションとして・・・ まぁ、思ったとおりの結果だったけど、今後はセキュリティレベルをもっと高め、そして「今度こそ「俺が」捕まえて、打ちのめすしかない」かな、なんて思う。・・・いまのとこ。警察にはまったく頼れないし、自分の身と財産とプライドは自分で守るしかないというのが、いつものことだけど結論ですな。
むかーし、むかし、東京は新宿歌舞伎町に「G.B.ラビット」というディスコがあったのをご存知だろうか?たしか、男1500円、女800円くらいだったから、都区内の中高生と遅れてデビューした大学生が集まるディスコだった。俺が高校1年生のときボックスルームやフロアのダンスを牛耳れるほどだったから、自慢できるほど高級なディスコではなかった。そこでの恐怖体験である。 当時(80年代)、ボニー・Mの「ハッピー・ソング」とかの「Hi-NRG(ハイエナジー)」というジャンルがブームであった。私も高校の悪ガキ友だちとダンスを創作し、夜な夜なG.B.ラビットに通ってはそれを披露し、他の子たちにその「踊り」を広めていた(翌年ぐらいから踊りの「型」を決めて踊るのは低俗だからやめるようにとの指導が六本木のディスコではあったらしい)。そんな、ある日のことである。木曜日だったせいか、フロアはとても空いていた。俺も、高校の女友だちやそこで知り合った仲間とフロアで踊ったり、ボックスに入ったりを繰り返していた。チークタイムが終った直後、ビートの利いた新曲に(まったく出来もしないのに/当時体験入学していたブレイクダンススクールの型を真似て)ブレイクダンスの真似事をして「鏡を見ながら」踊っていたときのことである。私の周囲2―3メートルには誰もいなかった。というのも、ブレイクダンスの真似事をしていたので、みんながよけてくれていたのである。いい加減へたくそでみっともないので、ブレイクダンスもどきをやめ、普通のダンスに戻した。もちろん、鏡を見ながら踊っていた。鏡を通してフロアの様子はよく見えていたから、私の周囲2―3メートルには、まだ誰もいなかった。 ・・・なのに、である。肩をトントンと叩かれたのである。俺は、今風の言葉で言うと「逆ナンか?」と思ったので、すぐに振り向いた。しかし、そこには誰もいない。鏡にも誰も映っていなかった。まぁ、俺もイッちゃってたし、サワーで多少酔っ払っていたから、気のせいか?とも思って、また踊りつづけた。 10秒もしないうちに、また肩をトントンと強く叩く感覚がした。即座に振り向いたがまた誰もいない。鏡にも誰も映っていなかった。俺は背筋がクゥーーーッと寒くなり「ヤバッ」と思った。即座にフロアからボックスに戻り、仲間にそのことを話した。そうしたら、G.B.ラビットではよくある話なんだそうだ。なんでもディスコの常連だったある女の子が、自分を嬲り殺した男を捜しているとか・・・振り返ったときに顔を確認しているのだとか・・・その話については本当か嘘か知らないけど、肩をトントンと叩かれたその事実だけは確かなものだし、いまでもその感覚を覚えている。今から約20年近く前の話である。
インフォームドコンセントという言葉は何も医療業界でのみで使われる言葉ではない。福祉業界でもしかり、もちろん警察の取り締まりもそうである。そんなインフォームドコンセントとは程遠い、いやもしかしたら捏造とも考えられる取締りを受けた私の実体験をご紹介したい。 それは10月の月末のことであった。私は、東京都は文京区、国道254号をスクーターのリード100で車の流れに乗って運転していた。もちろん「車の流れ」なので、誰一人として制限速度は遵守していない。伝通院の交差点から小石川郵便局のあたりを走行しているときだった。東京学芸大学付属竹早小学校前の信号で赤信号になり、停止したとたん・・・・「そこのスクーター!ちょっと端に寄りなさい!」との聞きなれた言葉・・・「でた!」と思ったね。最初は自分のことだとはまったくもって思っていなかった。私のすぐ後ろに50ccの原チャリがいたので、そいつがなんかしたのだろうと思って振り返ってみた。そうしたらマッポは俺のこと見ているじゃないか・・・俺は思わず自分のことを指差して「俺?」と聞いてしまった。そしたら白バイくんは「うん」とうなづいた。まぁ確かに15キロくらいは速度オーバーしていたから、とりあえず叱責に付き合うかと思って、バイクを端に寄せて、怒られるのを待った。 第一声は「なに、どうした?急いでいた?」とのなれなれしい言葉。「おぉ」とぶっきらぼうに答えた。そしたら早速「すぐおわるから、運転手さん免許書出して」と。そして早速白バイの後ろの箱からあの黒いバインダーをとりだした。俺は内心、「おいおい本気かよ」と思ったけど、まぁ15キロくらいだったら罰金もたいしたことないだろうし、まぁ「たしかに」速度違反ではあったから「しょうがない。いいや。」といいたいことを全部飲み込み、白バイくんの業績につきあってあげる「大人の判断」をした。 俺も先を急いでいたため、早くしないかなと思っていた。白バイも汚ったねー字で急いで書いていた。まずは違反切符。青かったから特に気にならなかった。その間何も話さないで「じゃあここにサインして!はいじゃあ左手のひと指し指を出して」と拇印。この作業は俺も手馴れているので、さっさと行なってしまった。そしてそのあと、罰金の振込用紙を白バイくんが作成。なっなっなんと・・・「えっ?15000円?」・・・おいおいって思ったね。俺は思わず、「お巡りさんさぁ、何キロオーバーで切符切ったの?」と聞いた。そしてはじめてどこからかレシートみたいな速度が書いてある紙を出してそれを俺に見せ、セロテープで切符に貼りつけた。そこには75キロでていたと書いてあった。 いくらなんでもそりゃあないだろう。渋滞こそしていなかったけどかなり車の量があり、一番左の車線には違法駐車がいっぱいある、そんな都心の川越街道で75キロなんて出るわけもない。しかも、リード100は80キロくらいまでしか出ないので、75キロになるとエンジン音が「たすけてー」って苦しそうな音になる。そんな音は全然していなかった。おいおい・・・と思ったけど、サインしてしまったよな、拇印押しちゃったよな、俺公務員だよな、時間ないよな、と思ったら「まぁしょうがない」とまたまた「大人の判断」をしてしまった。 家に帰って、これ・・・よろしく・・・と女房に振込用紙を渡して、それで終わりにするはずであった。しかし、よく考えたら、どうしてもおかしい。納得がいかない。振り込んでしまった後だから、法的に抵抗するわけにもいかず、また「たったそんぐらいのこと」で法的にいたづらに時間を費やして、自分の時間がなくなるのがもったいないと思い、とりあえずはそのまま運が悪かったことにしようと飲み込んだ。 あとになって、私のお友だちであるバイクジャーナリストのYUKKYさんにきいたところ、それはおかしいと断言。本来は速度違反の場合、まず何キロ出していたか運転者本人の口から言わせることが取締りの原則のようである。そんなこと一切なく、さっさと書類を作成して、はいはい拇印押してと、さっさと事務作業を済ませたかったかのように感じた。下手をすると白バイの格好をした詐欺師ではないかとも考えたくらいである。しかも25キロオーバーが気になる。絶対にそんなに出していないのに、その結果が出たというのは、「恐らく白バイが俺のバイクに追いつくために加速し、そのときに速度計測スイッチを押したのではないか」と。 例え警察であっても、インフォームドコンセントは必要である。自分のどのような行為が、どのような法に触れているから取り締まるのかと。そして、警察官は絶対独裁権力者ではなく、そうした取締りに対して何かしら異議があるのであれば、異議申立てもできるといった説明も必ずしなければならないだろう。 本来なら、法的に闘うのが筋だろう。しかし、前述の通りあまりにもばかばかしいのでそれはしない。警察の思う壺だろうが・・・しかし、せめてもの抵抗としてここにその一部始終を載せた。あぁ、やっと怒りが少しおさまってきた。読んでくれてありがとう。 PS1 俺は昔から警察・タクシー運転手・犯罪者だけはどうしても好きになれない。今回のことでますます嫌いになった。でもね、中には(一部だけど)ちゃんと仕事をしている人もいるよ。 PS2 俺の目の前でこうした不正をする輩、俺は絶対に許さない。覚えとけ!
ちょっと前のことだけど、いまだ怒りがおさまらないので、ここに書くこととした。20代といえば成人・・・大人である。けれども、おいおい?と思うほど幼稚な倫理観に出会ったので、その怒りをぶちまけたい。書けば少しは気持ちが晴れるかな? それはもう2年くらい前のことになるだろうか。ある研究会というか、研究集会というかそういう集まりを東京都文京区中央部にある某大学で行った。その研究集会が終了し、スタッフや発表者の打ち上げの会を春日駅近くの某飲み屋で行なったときのことである。私のことをよく知っている人はなら「飲み屋で俺がヤクザと喧嘩したとき」といえば、いつのことで誰がいたかがだいたい分かるだろう。その打ち上げの会が終了し、さぁ帰ろうといったときに、「あっ電車がない」という20代の子が4人。みんな家は滋賀だったり、千葉だったり、都下だったり、埼玉だったりと到底歩いて帰れる距離ではなかった。しかも、タクシーで帰るほどの財力もなく、どうしようかとみんな困惑していた。そうした状況を放っておくことはできず、朝までの居場所として我が家へと案内してあげることにした。 我が家についてからは、みんなで2次会を少し行ない、話も盛り上がった。そして、ひとりまたひとりと疲れた子から雑魚寝で就寝していった。そしていつしか4人はみな寝てしまい、3月と寒い時期だったので、一人一人に毛布を用意しかけてあげた。私も別の部屋で寝ることも可能だったのだが、トイレの場所など何か困ったことがあったときに声かけづらいだろうと思い、同じ部屋で雑魚寝することとした。 やがて朝を迎えた。というよりは変な気配で目がさめた。それは女の子の「喘ぎを我慢している声」である。息づかいは荒いのに、声はださないようにしている「あの声」である。何がどうしたのかと最初はわからなかったので、しばらくは様子を見ていた。そのうちそれが何であるかが分かるのに、そんな時間はかからなかった。貸してあげた布団を隠れ蓑に、滋賀と千葉が二人で気づかれたくないことをしていたのである。俺も起きたばかりだったのできちんとした判断ができず、さてどうしたらいいものかと考えていた。そのうちに都下と埼玉も(多分)それに気づき起きたと思う。そして間もなく、とうとう昇天してしまったのである。二人は小声で「ごめんね」「いいよ」なんて会話をしている。そしてまた寝たふりをした。都下と埼玉は間もなく起き、帰る意思を示した。そのとき滋賀と千葉は寝たふりを続けていた。私はまず都下と埼玉の二人を帰した後、滋賀と千葉の二人にひとこと言うこととしたため、都下と埼玉を最寄の駅まで送っていった。駅までの道中もみな暗い表情で、昨日までの楽しい時間が一変してコンフリクトな精神状態になってしまっていた。 二人を駅まで送った後、私は自宅へ戻り、滋賀と千葉の二人を強く非難するつもりでいた。しかし家に帰るとそこにはもう誰もいなかった。私が駅まで送っている間に、こっそり帰ってしまっていたのである。しかも、こっそり帰ったために、家の玄関のカギをあけたままにして出ていったのである。呆れてものが言えない状態となった。 夜過ごすところがないからと、二人を含めみんなの安全・安心・健康のため、自宅と温かい布団を提供したにもかかわらず、その善意を「ラブホかわりに使う」という、恩を仇で返す行為に到底許すことができない気持ちになった。2年たった今でも忘れることのできない怒りである。 別に20代の男と女が一緒にいれば、そりゃぁ「何かしらある」のは否定しない。しかしだね、困っているところに善意を受けたのだから、礼儀はあるだろう。ヤリたいのなら二人でホテル行ってくれ!金ないなら外でヤってくれ! 二人からは、未だに謝罪の言葉がない。しかし、私の活動している業界と同じ業界で活躍しようとしているので、今後会うことはあるだろう。そのときは恐らく私と目をあわすことはできないだろう。かわいそうにも、そんな一日の無礼が彼と彼女の一生に、あるいは様々な人生のチャンスを相当期間奪い取ってしまうことになるだろう。今、滋賀の彼は、滋賀県内での活躍を自慢げに公言している。しかし、残念なことにそれは滋賀県あるいはせめて関西圏内で、今の侭ではそれ以上広がりをもてないだろう。少なくとも東京にきて活躍することはできないだろう。また千葉の彼女は東京に近いせいもあって、私の属する業界には入ってこれなくなってしまったのだろう。人生の過ちを認め、心をこめた謝罪と、成長した姿を見せてもらいたいものである。 20代の皆さん、タイトルは強烈だけど、悉皆そうだと言っているのではありません。中にはきちんとした人もたくさんいます。しかし、残念ながらこれが唯一のケースではなく、頻繁にあることだからこうしたタイトルをつけました。でも30代を迎えればもうちょっと成長するかな?と思ってます。どう思う? |一覧| |