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カテゴリ:トルコの手工芸
オヤスカーフが、ある地域では嫁入り道具のひとつであることは、いろんなところで述べてきた。
嫁入りするときに10枚から200枚程度、自分で作ったり、母親、親戚一同で作り娘に持たせる。 嫁入り先で部屋に展示をし、ご近所さんにお披露目をする。 その後、旦那さんの家族、親戚、ご近所さんにプレゼントをする。 手元に残ったものは、自分の娘のために保管する。 トルコの各地でオヤスカーフが重視されるわけでなく、あくまで女性の手仕事としてオヤスカーフ作りが盛んだった特定の地域での慣習であるが・・・・。 この話とダブる伝統手工芸品が「手編み靴下」である。 ただ靴下と言っても、各地にある普通の手編み靴下ではなく、色が多彩で村ごとにことなる伝統柄のモチーフで作られた「飾り靴下」の話である。 飾り靴下で有名な地はいくつかあるが、そのひとつに今週末出かけてきた。 未だに家を漁れば、何かでてくる可能性のある場所である。 (ただ、今回の感触ではあと1周りしたら終わりかも・・・・) 現在も作っている人がいるが、残念ながら今のものは完全に観光客向けのお土産で、素材、モチーフ、テクニックのいずれも昔のものと似つかわない。 家に仕舞い込んでいるものを、出してもらった。 この近郊のいくつかの村に伝わるもので、村によってデザインが異なる。 いずれも年代は1950~60年代のもの。 素材は手で細く硬めに紡いだウール糸。 (稀にオーロン糸が一部使用されていることがある。これは1960年代に手芸屋でオーロン糸を売りだし、当時流行だったため。キリム糸の歴史とも共通する話) 未使用品で、かかと部分を糸で結んだり、口が閉じてある。 60歳代後半の女性が「このタイプは私が娘時代に作ったものだよ」と言っていたから、だいたい計算は合う。 家から回収される時点で、家の主の作ったものでないものがほとんどであった。 というも、自分で作ったものは結婚の際に配ってしまい、その後手に入れたものは、誰かの結婚式のときに贈られたものだからである。 (こういう話も古いオヤスカーフを回収するときと共通している) 中には誰から贈られたものか、小さな紙に名前を書いて保管されているものもあった。 「○○の嫁の××」などの記述が見られる。 おばあちゃんに話しを聞くと、どこの家でも最低10からそれ以上の靴下を作り、嫁入り道具として持っていき、嫁入り先で家族にプレゼントしたと言う。 「今じゃ、そんなことやる家はないけどね」と付け加えた。 今回の地域のものとは異なりますが、それ以外の地域のミフリ社長の靴下コレクションの一部が弊社HPに掲載されています。 よかったら参考までにご覧ください。 HPのトップの「掲載誌・掲載紙」の欄の一番下にある「ここ」と言う表示をクリックしてください。靴下ページに入れます。 トルコキリムと伝統手工芸ミフリ&アクチェ にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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