千早赤阪村から国道168号線を南下。途中寄り道で、柿葉寿司で有名な奈良五條市の五条駅近く大和街道沿いの
柿の葉すし本舗たなかでおやつ用の柿の葉寿司を購入。柿の葉寿司は失敗(口にあわないもの)があるが、ここ「たなか」のならば大衆柿の葉寿司で、羽田空港の空弁としても販売されているので、あまり失敗はない。鮭と鯛と鯖の詰め合わせで一番安い7個入り1092円。
賀名生(あのう)は、奈良県
五條市(旧吉野郡西吉野村)にある丹生川の下流沿いの谷で今は
国道168号線沿い。そこに
後醍醐天皇以下南朝方が御所を置いていた。当初の皇居だった奈良吉野
金峯山から。
楠木正成が遺児
楠木正行が四条畷で足利方に敗北したために、高帥直に、この山里にさらに押された恰好となった。1347年から1351年の5年間はここが皇居だったらしい。1351年
観応の擾乱と呼ばれる
足利尊氏の実弟
足利直義と足利家の執事高帥直の内部抗争があり、一時的に足利尊氏が南朝方に降伏。このときはすでに南朝方は
千早赤阪村観心寺に陵がある
後村上天皇の代となっていた。後村上天皇は劣勢となった北朝方を山城国
男山あたりまで押したが、代が2代将軍義詮となり、北朝方も巻き返し、1354年には結局、楠木家の本拠地である千早赤阪村近くの
金剛寺まで下がり、そこからさらに観心寺まで下がった。後村上天皇
崩御後、
後亀山天皇の代となる1374年からまたここが南朝方の御所となり、北朝方
後小松天皇に
三種の神器を返還するまでの20年間、皇居となった。
ところでこの
賀名生の
皇居。とても皇居とは思えないみすぼらしさが、
後醍醐天皇の苦痛を物語る。ちょうど訪問したときは梅が満開。国道を挟んで皇居と向かい合うように梅林の山がある。また皇居の裏山には、
南朝方の
北畠親房の墓がある。
次の訪問地は後醍醐天皇の子、
建武の新政の皇
室内の最大の功労者で、
楠木正成とともに
千早赤阪に攻防では
高野山で蜂起し、
北条幕府を倒し、新政後は、
足利直義に
鎌倉宮の地で
毒殺された、
大塔宮護良親王所縁の地へ。
南北朝時代の内乱の折、奈良県吉野に逃れた後醍醐天皇をかくまった「王を隠した堂」が王隠堂さんです。屋号ではなく苗字で、梅干は王隠堂さんというほど、梅で有名な農園です。賀名生の里生まれの奈良自生種林州で作る本格梅干しです。帝も愛した梅ということですか。この貴重な梅干が、奈良の西の京地酒処きとらさんからだけお取り寄せできます。こちらのサイトでは、奈良県の特産の銘酒や銘菓などが豊富な品揃え。サイトはこちらから入れます →
篠峯
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