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某政治家が宣う、「この際、企業献金を辞めるべきだ」
なにを今更・・ と思うのは国民の皆さんが感じる事でしょう。 一方では、政治には金がかかる、献金がなければ貧乏人は政治家にはなれないとする。 はたしてそうなのだろうか? 地元の利益を代弁し誘導する代議士。 本当に選挙民がそれを望んでいるのだろうか? 政治献金はすべて、政党助成金への基金として上納するシステムにしてはどうでしょう。 個別の政党や政治家への支援は、選挙の一票だけで充分なのでは? わが国では組織票といえども、記入の段階では個人の意志で選ぶことになります。
低所得者向けの住宅ローンが破綻しても、家が売れるまでは居住する権利を与えてはどうでしょう。
家は住んでいないと劣化がはげしくて壊れてしまうこともあるし、 住人も追い出されての野宿をしなくても済む。 いっそ、ローンを棚上げにして債務を継続させるとか・・ なんせ、在るものは使ったほうが社会的な損失が少なくて済むような気がするのですが・・
場当たり的に、できちゃった法律でも、価値のあるものは護っていこうということか。
外交努力だけで、国家国民を防衛できれば理想的だ。 しかし、実際に戦後の平和を築いてきたのは、世界一の(だった?)警察力。 そして日米安保と自衛隊による抑止力。 専守防衛の縛りにつけ込んで、いいように国民が拉致されたが、いわば彼らは奇麗事の犠牲者だ。 かっての戦争が侵略だったということは事実だ、なぜなら戦争にはそういう面があるからだ。 当然だが、虐殺も人権侵害もあった。 しかし、だからといって日本だけが断罪されることは不自然だ。 もし、力関係が、立場が異なっていたら、いったい、どうなっていたことか。 歴史はあくまでも客観的に事実と真実を検証すべきではないだろうか。 このたび話題騒然の田母神元幕僚長は、その辺りを主張しているような気がする。 幕僚長の発言について、文民統制の危機を叫ぶ正義と平和のホワイトナイトたちは、自衛隊が軍隊であることを認めていることになるから皮肉だ。
文化的な面から政治が変えていくのは、高度の政治判断が必要なのでしょう。
例えば、女性の出産と職場。 いつでも復帰できることが通常になれば、「そのままを受け容れる社会」となって生活がし易い。 それからマイホーム。 皆があわてて所有する必要はないが、複数の世帯が永きに亘って住める家ならば、なによりもエコであり、家族の絆はさらに養われる。 もうひとつは相続税。 使用中の住居など、必要最低限度の控除を除いて、課税は100%でもよい。教育費や生前の贈与などの抜け道は、税務署との知恵比べだ。 それは時代に合わせてフレキシブルに行われる。 どのような社会も、労せずして恵まれたロボットのような2−3世が、ダメにしてきたことは皆さんもよくご存知のはずでは? 資本主義の競争原理からしても、悠長が過ぎるというものだ。
安部さんに続き、福田さんもつぶれてしまったのか?
そりゃ、せっかく国政を真面目に考えて励んでいるのに(私にはそうみえる) 野党からは党利党略、つまり彼らの損得勘定で、猛烈に抵抗、あるいは攻撃される。 おまけに積年の問題(先輩議員や官僚たちの失策)の責任を執拗に追及される。 一部の、マスコミの煽りもあり、世論におされて支持率はさがりっぱなし。 これじゃ、やってられない。 我々の為に一生懸命に働いているんだから、もっと温かい目でみてあげられないものか? 更迭させるのならば、それ相応に筋の通ったものでなければならない。 少なくとも上記のように、不良のケンカ程度の言い掛かりではなんとも情けない。 それほど望むのであれば、一度、政権を譲ってみるといい。 公明党の対応も、みてみたいし・・
お祭りとは淋しいものだ。
とくに終わったあとの荒廃には寂寥感がある。 ひと世の、営みの虚しさを感じるのかもしれない。 あの盛大な祭りのすぐ傍らで、貧困に喘ぐ国民が 花火の音や歓声を虚しく聞いている。 この祭典が終わったら、彼らは声をあげるのだろうか。 かの国を、全体主義の一党独裁であるとするならば、 彼らには必要を要求する権利があるのだろう。 何故ならば、自由と引き換えに自己責任を問われる 国とは異なるからだ。
勝ち試合で、選手を肩車する光景をなんどかみかけた。
女子ソフトボールの投手は、かなり重たかっただろうに、 担ぎ上げた選手の感動的なイイ顔は、 実は重さに耐えた必死の形相だったのかもしれない。 同じく、女子レスリングでの金メダル。 このときは男性のコーチが喜びのあまりに、 なんと、女子選手の股間にアタマをつっこみ、 世界が瞠目するうちに担ぎ上げた。 結婚前のお嬢さんをである、 う〜む・・ では、「ママでも金」 の場合ならどうだ。 これはさらに、 う〜〜〜む・・ ではないか。
プロ野球の選手が、さらに選ばれてオリンピックへと出場する。
アマチュアの祭典でもあるそこでの試合で、他の選手と同じく一喜一憂するのは如何なものだろうか。 前回か、前々会だったか忘れたが、ニュースで報道されていた。 プロの、それも一流の選手が、燃え尽きました! などと、高校球児のごとく泣いたりするのには、なんとなく違和感がある。 何故ならば、彼らはプロだからだ。
米国は原爆を無差別殺戮に使った。 年寄り、病人、赤ん坊、子供、すべてが一瞬のうちに・・ 戦争に大義はないなどといわれるが、我々の心中にその火種が尽きることはない。 特権意識、差別、優越、打算、功名、防衛、等々の心理はその萌芽だ。 これらはやがて大義名分を有して、戦争への引き金となる。
朝、歩いて通うときに、毎回、信号交差点を通る。
居合わせるのは時間帯によって異なる。 早い時間はサラリーマン風が、急ぎ足で信号を無視して渡る。 その次には小学生の行列が通り、次には中学生が大勢でたむろする。 私の場合、わりといい加減な時間感覚なので、それらとはすべて遭遇する。 通勤の、サラリーマン風の場合には、減点や罰金とはならない安心感もあるようだ。 つまり、私も同じように信号無視をする。 では、中学生の場合はどうかといえば、これが難しい。 大人として手本になるべきか・・ それとも大人の特権を知らしめるべきか・・ 倫理道徳を教えるべきか、それとも服従と不条理の真実を・・ う〜む・・ などと、哲学めいた大袈裟なものでもないのだが・・ 彼らは自体も信号無視したり、そうでなかったりで実に定まらない。 優柔軟弱だが、結局は彼らと行動を共にすることになるようだ。 小学生、これはもう決まっている。 黄色い集団が見えたら、即座に信号遵守だ。 誘導している父兄もいることだし、そのような処で信号無視をするわけにはいかない。 いつぞや、シスター(修道女)の後ろを歩いていたら、迷わずに赤信号を渡ったので、 おもわずこちらも渡ってしまった。 ナンマンダブ・・ │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |
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