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Minami’s クラブ

娘出産記~奇形の子と診断されて~


娘ジェンを妊娠して、何事なく
臨月を迎えた私。
予定日1週間前の超音波の検査で
ドクターから思いもせぬ事を告げられました。

「あなた方のお子さんは、手足の短い
奇形の赤ちゃんの可能性があります。
どうしますか?」

ど、どうしますか?って、どうするっていうの?
生むしかないでしょう?
なんでそんな事出産1週間前に言うの??

私は泣き崩れ、頭の中がパニックになりました。
旦那はしきりに
「大丈夫だよ、僕たちの子供が奇形児なんて事はないよ」

と慰めてくれましたが、私はそれから
毎日思い出しては泣く毎日でした。

「ごめんね、赤ちゃん。私のお腹の中で
ちゃんと育てられなくて・・・」
自分を責めてばかりいました。

そしてそんな不安を抱いていたある日
陣痛が起こりました。

「いよいよ出産!!」

オハイオから来ていた旦那の両親に
息子を預け、私と旦那は車に乗って
真夜中のハイウエイを走りました。

病院に到着すると、陣痛はますますひどくなっていて
すぐに分娩室に通されました。

無痛分娩をお願いしていたので、
麻酔専門のドクターがきて背中に注射を
しますが、全然効きません。

陣痛の進行が早すぎた為か、3本うっても
効かず、結局分娩のドクターが部屋に入った時には
頭がもう見えている状態だったそうです。

「OK,You can Push Now!!」
(はい、もうりきんでいいですよ!)

とドクターに言われて、2度プッシュしたところで
ズルンッと娘ジェンは誕生しました。

しかし娘の顔を見る間もなく、ナース達はバタバタと
ジェンを連れていってしまいました。

”赤ちゃんはどうなの?無事なの?”
私の心配をよそに

「体温が急激に下がっている!!」
「早く!!!!!」

とナース達の慌てた声が聞こえてきます。
な、何????
なんで慌てているの???

「大丈夫、大丈夫」

旦那がしきりに落ち着かせようとしています。
ようやっと3本分の麻酔が効いてきたせいか
私の下半身は、ぴくりとも動きません。

結局赤ちゃんに会えたのは次の日になってから。。。
実は私は自宅で破水をしていたのです。
それに気が付かず、娘は

”尿路感染症”になってしまったのでした。
体温が急激に下がり、危ない状態だったそうです。

出産後、再開できた赤ちゃんは
手も足もちゃんと人並みにある
小さな、小さな2300グラムの女の子でした。

「大丈夫だったんだ~(ToT)」

私は涙が止まりませんでした。
旦那もホッと一安心したようで
一旦家に戻っていきました。

アメリカの病院は母子同室なのですが
出産後、入れ替わり立ち代わり
いろいろなドクターが私たちの部屋を
訪問します。

何科のドクターなのかよくわからなかったけど
みんな必ずする事は、ジェンの体のサイズを計る事。
手や足、胴を計って記録していきます。

とてもエライ”博士”と呼ばれるおじいさんまで
訪ねてきました。
博士の手には”奇形”に関する資料がありました。

娘は生まれたばかりなのに、何度もレントゲン室に
連れていかれました。

そのうち”腎臓にウイルスが入ったかもしれない”
と言い出し、急きょICU(集中治療室)に
連れて行かれたジェン。

手の甲、腕、足いたるところに管をつけられ
24時間ナースの見守る中、小さなケースに
入れられたジェン。

それを見た瞬間、再び涙が込み上げてきてしまいました。

「神様、どうか娘をお守りください!!!」

そう何度も何度もお祈りしました。

健康な私はすぐに退院しなくてはいけないので
毎日おっぱいをしぼり、袋につめ、冷凍保存して
病院に届けにいきました。

10日間の集中治療室通い、、、、
本当に娘が恋しかった、、早くお家に連れて帰りたかった。

治療と検査の結果
無事ウイルスを除去し、11日目に退院できることに
なったジェン。

しかしドクターはまだジェンの成長過程を
心配していたのです。
カルテには「今後も定期検査必要」の文字。

今娘は2才9ヶ月。
標準よりかなり小さい。今だに1才半用の服を着ている。
でも私たちは何も心配しません。

どんなに体が小さくたって
健康でいてくれたらそれでいい・・・
そう願っています。

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