六、七日目北出羽の国から 2005・厳冬 ~北海道旅行も終盤・六、七日目~ ・北出羽の国から・初日に戻る。 ★さらば旭川 ほんと、旭川という街は寒い。 やっと、試験が終わって自由になった。 しかし、試験中は具合が悪くて思うように実力を発揮できなかった。 特急オホーツクで札幌へ撤退。 ↑いよいよ旭川出発(北海道旭川市) ★函館にて 札幌からは夜行急行「はまなす」で函館へ。 今日、乗る列車はカーペットカー。w しかも上段という最高良い位置である。 列車は室蘭本線をひたすら上る。 長万部で、鹿と接触したとかいう放送が入り、 七分遅れた。 車掌に起こされ、函館駅を降りたのが、深夜二時半。 駅の暖房すら入らない待合室でしばし待つことにした。 どっかの酔っ払いが騒いでる。うるさすぎ。w ↑摩周丸辺りから見た「函館港」(北海道函館市) 朝、4時30分を過ぎたあたりから真っ暗な函館の街に繰り出すことにした。 まず、歩いて土方歳三終焉の地を訪ねた。 ↑土方歳三終焉の地碑(北海道函館市) 新撰組副長の土方歳三は蝦夷地に渡り、この地で戦死した。 私は思わず、「終焉の地碑」に向かって敬礼をした。 朝から涙を流すとは思わなかったが・・・・w 5時過ぎに函館の朝市を訪れた。 あやうくウニを買わされそうになったが、 松前漬で乗り切った。w ↑朝市内部の様子(函館朝市) 7時20分、特急スーパー北斗で「森」に向かった。 ★森にて 大沼や駒ケ岳を車窓に眺めながらいくと、 車窓右手に噴火湾が見えてきた。 すると、そこは森である。 ↑駒ケ岳と噴火湾と森駅(北海道森町) ここは、かの有名な駅弁「いかめし」で有名な駅だ。 早速、いかめしを買おうとキオスクに行くと、 10時過ぎじゃなきゃこないという。 3時間も待って、やっとこさ「いかめし」を買うことが出来た。 その間には森の散策をしていました。 ★北の台地に別れを告げて・・・ 函館に戻り、津軽海峡線の特急「白鳥」に乗って、 本州に戻ることにした。 ↑いざ本州へ!!(北海道函館市函館駅) 天気は悪くて、灰色がかっている。 車窓左手に下北半島が見えた。 「あそこが本州・・・」 北海道と本州の近さを感じた。 かつてアイヌの人々は「津軽海峡」のことを、 「しょっぱい川」と呼んだそうだ。 海ではなく、川。 それなりの交流もあったことがこの故事から伺える。 しかし、本州の縄文文化が北海道に定着するまでは、 1000年かかったと言われている。 この川を文化が簡単に渡ることはできないようだろうか。 ↑北海道と本州を結ぶしょっぱい川(北海道知内町) 北海道。今では面影のない「開拓」という時代。 鉱産資源を求め、多くの倭人が北の大地に渡った。 その裏で悲しい歴史が北海道には数多くある。 一つのトンネル、道路、高台、公園、鉄道。 これを見て、思い出そう。 かつてこの地を切り開いた人々のことを・・・。 飛行機で新千歳に降り立つのもいいが、 北海道に行くならば、津軽海峡を見てもらいたい。 数えきれない多くの人々が、希望をもって渡った川。 こんなことを考えながら、いかめしをほおばりお茶を飲んでいた・・・ すると、 車窓にパパイヤ鈴木が浮かび上がった。 テレビの撮影だろうか・・・・? それから20分後、列車は青函トンネルへと入った。 兎にも角にも、道内で最後にみかけた人間が パパイヤ鈴木になろうとは・・・。w 私も想像していなかった。 北出羽の国から(完) |