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初夏の候、いかがお過ごしでしょうか。 こちらはさまざまな事象に追われていますが、なんとか体を壊すことなく生活をしております。 大学を卒業して、親しかった友人も離れてしまう中でも新しい事をやってやろうと心だけは勇んでいる次第です。 しかしながら、身内の方で予期せぬ問題に遭遇し、やるせない思いを経験しているところです。 半分学生、半分社会に足を突っ込んだ人という事で、何かと面倒な事は多いですが、これもまた勉強だと思いありがたく思っております。 さまざまな後悔とつけに追われながら、明けない夜はないものと信じて頑張っていきましょう。
ご無沙汰しております。(・。・) 当ブログは2003年3月29日からはじまり、9年目を迎えることができました。本当に皆様のおかげです。 最近は専ら更新はしておりません。楽天ブログも時代の流れとともに変わっていき、私が頻繁に更新した時代とはすっかり様変わりしてしまいました。 写真やブックマーク、BBSの終了はなんとも寂しいもので、これらの仕様変更は、長年楽天ブログをやってきた私にとっては改悪なのかなと思ったりしていますが、運営が決めたことですので、まぁこれも時代の流れだと受け止めるのは、世の常だとも思っていたりもします。笑 ここは愛着のある場ですし、定期的に見てくれる人もいるので、閉鎖は致しません。 あくまでもここはかえりみちですので。笑 今後も、たまーに更新いたしますので、何卒見守っていただければ幸いです。 四国松山でも桜が咲きました。 まだ、しばらくはこの土地にいることになりました。 帰る場所はまだ沢山あります。ww 平成二十四年四月八日 かえりみち管理人 ぶぎゃふ
たまには歴史の話でもしましょうか・・・ さぁ、今年も椿まつりの季節がやってきました。(・。・) 椿まつりは、愛媛県松山市にある伊豫豆比古命(いよずひこのみこと)神社(通称、椿神社)で行われております。 ↑椿まつり初日深夜 ↑お忍びの渡御、みこし ↑貸銭の神事 椿神社のホームページによると、小額の守り金を借り、翌年は倍額(多いとの意)にしてお返しする行事です。借りる際に神社側より氏名・住所を尋ねられる事は無く、誰もが無条件に借りることが出来る神と人との信仰と信頼に基づいた特殊祭儀であり、本年も生活に励み、来年無事にお返しの参拝が出来る事を祈る祭儀ですとのこと。 ↑境内 椿神社では「愛比売命(えひめのみこと)」という神を祀っていて、何を隠そう、愛媛県の名前の由来はこの神様から頂いております。日本47都道府県数あれど、神様の名前のついた都道府県は愛媛県だけでございます。 ところで、律令国家は神社の祭神を組織化しようととし、全国の神社に幣物を分け与えました。この神社の一覧が『延喜式』に掲載されており、これを延喜式内社といいます。伊予国には二十四の延喜式内社がありました。 一般的に伊豫豆比古命神社は伊予国伊予郡に位置する延喜式内社に数えられているとしていますが、異説もあります。 この説の根拠として以下の史料を挙げているそうです。 『続日本紀』天平神護二年四月甲辰条 伊予国神野郡伊曽乃神、越智郡大山積神並授従四位下、宛神戸各五烟、久米郡伊予神、野間郡野間神並授授五位下、神戸各ニ烟、 これによると、伊予神(イヨズヒコノミコト)を祀っている神社は久米郡に位置していることが分かります。また『新抄格勅符抄』という史料からは、二つの伊豫豆比古命神社があることが分かり、これを根拠にすると久米郡と伊予郡に二つの伊豫豆比古命神社があって現在の椿神社は久米郡の伊豫豆比古命神社となり、延喜式内社に書かれた伊豫豆比古命神社ではないことが分かります。 延喜式内社に記載された伊豫豆比古命神社は伊予郡松前町にある伊予神社ではないかという説があります。どちらにしろ伊豫豆比古命というのは古来より中予の人から崇敬されたものなのでしょうね。(゜o゜)
明けない夜はない。 どうも、明けましておめでとうございます。 ところで、マヤ文明によると今年で暦が終わっているとか。2012年に地球は滅びるなんていう人もいます。ww ま、それ以前の平安時代から我が国は末法に入っており、もはや神も仏もない時代。 人間が人間らしからぬ時代。 そう考えたら人間は何処から来て何処に向かっているのか? たまに私は分からなくなります。(゜o゜) きっと今年は明るい一年になるでしょう。 自分を見失わず頑張っていきましょう!! 早速ですが、今年の紀州根来寺の干支のモニュメントがどうなったのか気になります。 知っている方はコメントください。 平成二十四年元旦 このブログも8年目 今年は厄年だよ、かえりみち管理人ぶぎゃう(・。・)
すっかりここからも遠ざかってしまいました。 中々、ここを更新する機会もなく、気がつけば年の瀬。 あっという間に、師走は過ぎ去っていきました。 思い返せば、今年は大変な年でした。 3月に起こった、東日本大震災で多くの人が命や住むとことろを失い、いまだ収束が見込めない福島原発事故が発生し現在も深刻な状況をもたらしています。 私事でも、今年は色々な事件がありました。オトナの階段を登る今、私はまだまだ子供です。色々な面でオトナになっていきたいと思います。 懐かしい友人の就職が決まり、今日は少しだけ電話しました。内定が決まったといえども現実は厳しいわけで、それでも好きなことができるというのは羨ましいことだと思います。 まだまだ若い、頑張れよ。 そして私も恵まれた環境であることを感じました。 めげずに頑張っていきたいと思います。 さ~来年は辰年。24歳。ついに2廻り目が来てしまうのか… 当たり前のことに感謝しながら今日も生きていきます。 本年はたいへんお世話になりました。 来年も皆様方が繁栄しよい年になることを願っております。 よいお年を!! 平成二十三年十二月二十九日 かえりみち管理人・ぶぎょう
すっかりご無沙汰ですね。(^^♪ 最近は、面倒なこと、厄介事など様々な問題を抱え意気消沈しているところでございます。 そして待ち受けるは卒論。まったく手付かず。 そんな中、腹が減ったので、ちょっと歩いて中華料理屋に行ってきました。 深夜の中華料理を腹いっぱい食べたのですが、 どうにもこうにも、幸せな気分になりました。 飯っていうのはこんなおいしいものだったんだろうか… 帰りしな自販機で缶コーヒーを買って、月を見ながら帰ってきました。 なるようになるとは思うけれども、無理せずやっていこうじゃあーりませんか。 楽天ブログのBBS、足あとなどの機能がいろいろと終了するみたいですね。 長いこと楽天をやってきたので、寂しくもありますが、時の流れというのはそういうもんでしょうねー
ここもすっかり放置しておりますが、それなりに元気に暮らしております。 ぶぎゃうです。(・。・) いよいよ秋も深まり、自分が卒業論文を書く時期になってしまいました。 本当にこんなの書けるのか!? と思っていましたが、大學4年間の集大成でもあり、来年度以降も大學に残る可能性を考えると、ここは終止符ではなく通過点なのだなぁと思います。 この四国という島にはもうしばらくいることになりそうですね。
どうも、ぶぎゃうです。(^^♪ なんとか生きております。 ![]() ↑七月中旬は実家へ帰省 ![]() ↑せっかくなので平泉の中尊寺金色堂へ。 ![]() ↑帰松後は徳島旅行へ ![]() ↑四国最強の秘境駅、坪尻 ![]() ↑先日は尾道へ!!(千光寺公園より) とりあえず、最近の近況はこんな感じです。 色々、行事がさしせまってますが、なんとかやらねばならないでしょうなー。
★にわか四国遍路(10)に戻る 2011年6月5日。ふと、遍路を歩く機会に恵まれた。 続けて打っていこうと思うのだが、もはやそのような悠長なことは言っていられない。 歩けるうちに歩かねば。 宇和島駅スタート。 ![]() ↑南予特有のスコールみたいな雨(愛媛県宇和島市) だらだらと長い坂を根無川沿いに三間方面へ。 ピークを超えると視界が開け感動の光景が見えてきた。 「あぁぁぁぁ、三間盆地だ!!!」 盆地を見て興奮するのも歩き遍路の醍醐味である。(笑) ![]() ↑三間盆地 三間は南予屈指の穀倉地帯である。 ![]() ↑お寺と思いきや鳥居。これぞ神仏習合。 三間の龍光寺は、神仏習合が色濃く残る。 通称「三間の稲荷さん」と呼ばれている。 ![]() ★四国霊場四十一番札所・龍光寺本堂(愛媛県宇和島市三間町) ここから、次の仏木寺(ぶつもくじ)までは、若干の距離がある。 ![]() ↑仏木寺の鐘楼は茅葺 ![]() ★四国霊場四十二番札所・仏木寺本堂(愛媛県宇和島市三間町) ここで妙な足の痛みを感じた。アスファルトを登山靴でずっと歩いたせいだろうか。 三間から宇和へ抜ける道は「歯長峠(はながとうげ)」といって難所である。由縁はその昔、東国武士の足利又太郎という人物がこの峠の頂に庵を結んだそうだ。この足利又太郎という人物の歯が長かったので、歯長峠というそうだ。 ![]() ↑辛いのは最初だけ!! そしていざ、絶頂。 ![]() ↑歯長峠 ほんとうは吉田の海が見えるはずなのだが、何にも見えない。 ここから7キロ。卯之町は近いはずだが、肱川沿いに延々と道をゆく。 どうして卯之町に肱川が流れているのか地形的にまったく理解できなかったが、卯之町から野村に流れて、そこから大洲、長浜へとU字に肱川は流れていることに地図を見てやっと理解できた。 そして宇和の明石寺(めいせきじ)へ!! ![]() ★四国霊場四十三番札所・明石寺本堂(愛媛県西予市宇和町) やっとこさ、明石寺に着いた。次回は卯之町から旅をつづけよう。 ●本日の歩行距離・・・23,8キロ ●総歩行距離・・・189,5キロ(四国遍路全行程の約13%) つづく
「原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。」 村上春樹氏による(カタルーニャ国際賞スピーチより) 東日本大震災から3ヶ月が経ちました。復旧の目処は立たず、事態は深刻化・悪化の一途を辿るのみです。とりわけて福島第一原子力発電所事故に関する報道には政府・東電・保安院・安全委員会の意図的な隠蔽が見受けられます。 さて「空き菅」や「菅 無能」と検索される我が国の総理大臣は史上に汚点を残す総理大臣になりましたが、彼のせめてもの功績を述べるとすれば浜岡原子力発電所を停止したことでしょうか。浜岡は東海地震の震央域に位置しています。これは停止すべき原発であり、停止は当然です。 私が住んでいる愛媛県にも四国電力の伊方原子力発電所があります。愛媛県伊方町は佐田岬半島という日本一細長い半島に位置します。 ![]() ↑伊方町名取の海岸 この伊方町は風光明媚な海岸線とおいしい魚、人情あふれるステキな町です。しかし、ここの伊方原子力発電所も安全な原発ではないのです。 そう、この伊方原発は世界で最も活発な中央構造線の真上に位置してるのです。 これ以上、国民に危険な思いを強いる原発など日本には必要なのでしょうか。私は疑問に思います。たしかに我々は今度の震災が起きるまで、原発の恐怖を知ることなく、電気を浪費して生活してきました。私は原発などに興味も示さず生きてきました。 しかし、政府や電力会社、先生たちは、原発は危険なものであるということを国民に認識させてきたでしょうか。「原発は安全である」「地球温暖化を解決するクリーンなものである」といって国民をだまし、地震大国日本においても津波対策や地震対策をせず老朽化した原発を動かしてきた責任があります。 実際に原発はクリーンなものではなく、放射性物質を含んだ熱水が海に放出されたり原発ジプシーといった社会問題を生む原因にもなっています。 本当にこれがGDP2位の先進国がしていることなのでしょうか。 みんな自分のことしか考えず、将来のことなど誰も考えていない。 福島県の皆様の心中を思うと、心が痛いです。これ以上、ふるさとを失う人がでない為にも、ふるさとを守るためにも日本国内の原発54基は即刻停止すべきです!! 原発がなくなったら停電にするという電力会社の圧力に負けてはいけません。原発がなくても十分電力は足ります。 広島の平和記念公園には次のような言葉があります。 「あやまちは繰り返しませぬから」 以下、参考リンク ☆6.11 脱原発100万人アクション -Action June 11 No Nuclear Power- ☆武田邦彦ブログ 3年ほど前に京都で武田先生の講演を聞いたことがありましたが、地球温暖化はないという斬新な発想をもっています。原子力にも詳しい武田先生は信用できる情報を発信してくれています。 ☆広瀬隆さんの書籍 ・追記 ![]() ↑名取の石垣(愛媛県伊方町) 伊方町名取地区は、陸奥國名取郡(宮城県名取市)から宇和島藩伊達家にしたがって移住してきた人たちが住み着いたところだそうです。 こんな四国の果てにも東北の香りを感じることができるのですね。 │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |
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