カテゴリ:かぞく
このブログでも、また現実の暮らしでも、ママとして褒められることが度々あります。
「どうしたら、そんな風にいられるの?」と、ニコ(息子・2歳11ヵ月)ともども感心して戴くこともあります。 でも。 私は「乳幼児の相手」なんて初めてだし、子供相手の職業に就いたことも活動をしたことも無いし、苦手意識を持つこともあるし、「あ~、めんどくさいな」と思うことも、正直、あり。 ニコが特別、よそのお子さんよりも元来の性質が飛び抜けて良い、というワケでも無い、と思う。 (ニコがお腹に居る間は努めて心穏やかにいるようにしていたし、毎日、話し掛けたりはしていたけれど…だって私のお腹の皮一枚の、中か外かの違いで、確かに「そこに居る」のですからね) 私の実母の育児は…かなり「昔風」、しかも母の性格はヒステリックな気分屋なので、母の育児が身について今の私があるわけでは無いの。 叩いて当たり前、口答え(と母が感じるような発言)をすれば口をひねり上げられ、髪を大量に抜けるほど引っ張り回されることも普通にあった、そんな「しつけ」の方法だった。 あの年代の人だと普通なんだろうか、と考えてもみるけど、それを現代でやってたら虐待かと思う。 なので。 何も考えず、自然にしていて、そうなっているワケではないのです。 過去の自分の経験で「されてイヤだったこと」をしないようにすること。 (意識して、そうするように自分を持っていかなければ、出来ません) 言い分に耳を貸さず、ただ否定する。 ただ「従う」「詫びる」という形式を取らせて、親だけが気が済めばOK。 …そんな方法では、その時だけ良くても、本質的な解決が「出来ない」どころか「どんどん遠ざかっていく」だけです。 (子供も「ああ、またか」と慣れてしまいますからね) 時間がかかっても、説得すること。 子供が解るような言葉・子供が想像しやすい「そんな事をしたら、こうなるよ」な状況の例え話で。 例えば。 ニコが幼稚園に自分のオモチャを持って行きたい、と言い出すことがあります。 「止めておいた方がいいよ? だって、他のみんなが“あれ? これ、幼稚園のオモチャ?”って思っちゃうよ? “ボクのかな?”って間違ってお家に持って帰っちゃうかも。 そうなったら、ニコ、困るでしょう?」 これで納得して、片付けてくれます。 それでダメだったら 「じゃあ、無くしちゃってもいいなら、持っていきましょ」です。 ニコは“それは絶対にイヤ”と、慌てて片付けます。 「命令」しないこと。 「しなさい」とは言いません。 ニコにして欲しいこと、これは、3歳の現時点では、結局は「親の都合」によるところが大きい、というのも理由のひとつ。 オモチャの片付けも、食事の配膳も、着替えも、お風呂の時に脱いだ服を洗濯カゴに入れるのも、みーんな、「親がして欲しいこと」であって、ニコにとっては「しなくても全然、平気!」なのです。 オモチャは出してあれば何時でも遊べるし、配膳なんてしなくても食べちゃえるし、パジャマでも幼稚園に行けるでしょうし、脱いだ服がドコにあろうと構わないし、です。 なので、我が家では「お願い」「お誘い」しています。 「オモチャを片付けて、パパが帰ってきたらキレイで広いお部屋にしておいてあげよう?」 「お手伝いしてくれる子はいるかな? ごはん、テーブルに乗せてくれる?」 「お洋服に着替えてみよっかー。ママも着替えるし、パパもだよ?」 「お洋服、カゴに持ってってくれるとママとっても助かるんだけど」 それに、同じ事をするでも「命令される」よりも「頼まれた」方が嬉しいようです。 それは大人だって一緒です。 2~3歳児、知識は経験は少なくても、プライドは大人と同じ。 何か成し遂げた時は「すごいね」、手伝ってくれた時は「ありがとう」と、大人と同じように応えてもいます。 もちろん失敗しても叱りません。 こちらが「頼んだ」ことで、ニコの「義務」じゃないんですから。 「なんでこうなっちゃったんだろ? ナナメに持ってたから、こぼれちゃったんじゃない?」 とか、そんなカンジです。 失敗されたら本当に困ることは最初から頼まない、というのも前提です。 「叱る」のは、食べ物を粗末にした時、物を故意に(何気ないイタズラでも)壊した時、道義に反することをした時、です。 「自分の思い通りに子供が動かなかった時」ではなく「社会的に、許されないことをした時」。 そう自分でシッカリ決めて意識しておかないと、「叱る基準」が曖昧になり、子供にとっての「叱られる基準」がグラつき、他人の顔色を必要以上に伺う人間になるかと思います。 (相手の気持ちを思い測ったり、場の気配を感じ取ることは必要です) 叱る側が自分の感情を掴んでいないと「怒る」という「感情をぶつける行為」に簡単に落ちてしまうので、決して感情的にならないのも鉄則。 でも、普段、一番役に立っているのは「理想像」を持つことでしょうか。 「理想のママ像」を持っていて、普段から何もない時でも「あの方なら、どうするかな」とイメージトレーニングしています。 そのお一人が、今の皇后陛下の美智子様。 私は天皇制度がどうとか考えることも無いボンヤリな人間ですが、「母親」としての美智子様は理想だと思うのです。 (他に、母親としての映像を多く見られる方もいらっしゃいませんしね(^ ^;) 美智子様がまだ幼いお子様達のお母様でいらした頃の映像は、今でも多くテレビで流れるし、逸話を聞く機会もあります。 ああいうお立場の方のなさることを悪く言う人はいないでしょうし、例え褒められない場面あったとしても外部には出ないのでしょうけれど、メディアの評価を抜きにしても、あの方の育児は工夫が凝らされている素晴らしいものだと思うのです。 10年以上前に全国を廻られた時、ゆっくり走る車中の美智子様(と現天皇陛下)を初めて直に見ました。 素晴らしく気品のある「良いお家のお嬢さまが、そのまま歳を取られた」と感じる方でした。 もちろん、ああいう方には周りにお世話係もいらっしゃるでしょうし、日々の暮らしも、お手伝いさんがいるかもだし、お子様の教育だって「養育係」もいらしたでしょうし、私達とは比べられないこともたくさんあります。 でも、本質的なものとして。 美智子様のような方が、感情的にキーキー言うことは、あるだろうか? ガリガリ怒って乱暴に物を扱ったりするだろうか? 子供を怒鳴ったりするだろうか? 子供に覚えて欲しくない言葉遣いをするだろうか? …なんて考えるのです。 そう考えて、本来の自分を抑えてでも「理想のママ」を「演じている」に近い状態かも知れません。 実際「うっわ、私、無理してる! 無理してる~! 背伸びし過ぎで爪先が浮いてコケそうだ!! 今、顔、ひきつって無いか!?」と思うことも時々あります。 何とかコケずに踏みとどまってますケドね、意地で!(^ ^;;) でも、そうすることで「良い資質」が伸びてくれればそれで良いと思うのです。 「氏より育ち」と言いますが、その「育ち」=「育て方」を、少しでも、と思うわけです。 20年も頑張ってれば、もしかしたら、私にも身につくかもしれないし!(笑) 「それで子供は言うことを聞くの?」と思われるかも知れませんが。 生んだ時からこうなので、習慣がついてくれたんだと思います。 逆に、叱る時は正座をさせて3分で終わります。 「してしまったこと」「原因や理由」「説得」、解ってくれたら「約束(もうしません)」で、「じゃあ、このお話は、もうお終い! 解ってくれたんだよね?」と「決まった言葉」と笑顔で「終わりの区切り」。 叱ったまま離れても、気まずい空気が濃厚ですから。 その後は「お茶にしましょうか」「ママ、お茶碗洗っちゃうね」など「全く普通に」過ごします。 後から(直後でも)蒸し返すのは厳禁、後で本人を交えてパパに報告するでも「こういう事があって、ニコは“もうしません”って約束しました」に留めています。 「3分のお説教と、翌朝のパパへの報告」だけでも、数ヶ月に1度くらいの事なので、相当、堪えるようですし、インパクトも強烈なので、本当に、しません。 パパが居る時に叱っても、パパが口出しをしないのも感謝しています。 「そこまで言わなくても」「もっと甘やかしてもいいのでは」と言いたくなる時もあるでしょう。 でも、私の権威を損なわないでいてくれるのです。 「権威」と言うと厳めしい印象になりますが、「母親は間違っている」と僅かにでも思わせるようなことをしない、ということです。 その分、ニコの感情のフォローに回ってくれています。 理屈では納得しても、ヘコんだ感情は瞬時には戻りませんから。 これは、私と彼が逆の立場でも同じことをしています。 そして、叱ったことへのクレーム(「あれは言わなくても…」等)は、子供が居ない時・寝ている時に言います。 私と彼の「全く個人同士のこと」で多少の言い合いは仕方ないと思うけれど、「子供や家庭が関わること」でのケンカじみた事や大きな意見の食い違いは、子供には聞かせてはいけないと思うからです。 ニコは、あと少しで3歳。 どんどん私達夫婦と違う道を歩いていきたがるようになる時期が来ました。 その道が正しいものであれば、例え私達と違っていても認めていきたいと思います。 間違っていれば、その芽が小さいうちに正していきたい。 小さいうちに正すには、その芽が「見えて」いなくては…子供が「見せて」いなくては。 子供が何か「新しいこと」を始める時に「隠す」のは、親に咎められることが多すぎて「これもダメと言われるかも」と思ってしまうから、というのもあると思うんです。 その「新しい試み」が「良いこと」ならいいけれど、「悪いこと」だったら…隠れて伸びた芽が、切りにくい大枝になってしまってから気が付いたらなかなか大変です。 最近よく「芽が出て ふくらんで…」と歌っているニコ。 一斉に色んな芽が出そうな気配が濃厚なニコにピッタリな歌かも。 バラの芽のように目では見えないけれど、ニコの「芽」も、ちゃんと「見て」、「理想のママ」として対処していきたいな、と思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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