第6回 命を懸けた闘い

相澤嘉久治さんに学ぶ「主体的創造的に生きること」
第6回 命を懸けた闘い

 新聞折り込みチラシで相澤嘉久治さんが「服部敬雄山形新聞社長・山形放送社長・山形テレビ相談役に問う!?」という書籍を発行したことを知った。私は出勤して直ぐに相澤さんの事務所に電話を入れた。
 相澤さんは私の電話を待っていたかのように、「正々堂々と書いたぞ」と言った。電話の向こうでは背筋をピーンと伸ばして堂々としている相澤さんが目に浮かぶ。

 服部敬雄さんという山形新聞社社長としての権力による功罪の数々が念に入りに書かれてあった。しかも、山形新聞グループの内部告発でしか知りえないであろう事件も記されており、当事者たちにとってはたいへんな出来事であることは、私たち凡人の想像以上であっただろう。

 私は「取り敢えず100部いただきます」と予約をした。書籍は事務所に取りに行った。
久しぶりに会った相澤さんは肌の色艶もよく、以前より若返って見えた。
 事務所のスタッフたちに私を紹介して深く椅子に腰を下ろした。その姿は武将のように見える。

「これからこの山形はたいへんなことになるかもしれない。君にも迷惑が掛かるかもしれないがいいかい?」と言って、出来上がったばかりの書籍を私に渡した。
「私がなぜこれを書いたのか?これを読めば分かる。君の上司の湖山さんと米沢市長の長俊英さんにはぜひ感想をお聞きしたいと伝えてくれたまえ」と言う相澤さんはやはり決起している。「相澤さんは命懸けだな」と思った。私のような若造にもそのことが分かるほど尋常ではない気迫が感じられた。相澤さんは「マスコミの集中排除」に向かって闘いを挑んだのだった。ペンという武器を使って。
 
 私がひとりで頑張ってもこの本はさばけないと思い、数人の先輩方に本の販売をお願いすることにした。米沢では当時市議会議員だった(私の上司の)湖山寛一さんが議会を中心に、市役所職員の北澤幸昌さんが労働組合や友人関係に、地方事務所の三身隆夫さんも県職員労働組合を中心に苦労しながらこの書籍を売り歩いてくれた。
 一方では山形新聞置賜総支社長自らが米沢の書店から大量に買占めていくために、一時は書店からこの書籍は消える事件もあった。
ある書店主が「ぐるーぷ場に注文しても在庫がないといわれた。井上君から仕入れた方が早く手に入るかしら」と相澤さんに応援する書店も現れた。
この書籍を手売していても、私には何も嫌がらせや妨害などもなかった

 その頃私は頻繁に山形市に行っていたので、その後も書籍は追加をしては相澤事務所に取りに行った。そのたびに相澤さんは目を輝かせて書籍の反響を語った。その反響はすさまじく、「メディアの権力者が各方面にここまで影響を与えていたことに驚いた」、「放送局が郵政省の許認可制度であることは知らなかった。公共電波性格が分かった」など手紙も多く寄せられていた。私が想像していた以上に反響は大きいものだった。
 しかし、私にとっては意外だったのが労働組合関係者、革新政党関係者の冷たい反応であった。
「マスコミは所詮資本に毒されている」、「相澤某はこんなものを書いて高橋某のゴロツキ新聞と同じではないか」、「あんたも好きだね。こんなことやって身体に気をつけなよ」、「こんなことは当たり前のことだから、いまさら目くじらを立てるなよ」、「相澤さんのあの感情的な文章はなんとかならんのかい」と私を通して批判するのだった。
 私は笑顔で「誰も書かなかったことを書いたまでのことです」と応えるようにした。
すると「何が目的なんだい?」、「山新と取引するのか?」と疑った見方もする者もいるのだった。そのたびに「革新って何だ」と思いながら
「相澤さんは大丈夫か」と心配になった。

 11月24日記

相澤嘉久治のホームページ スペースÅ
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