第13回 早坂茂三さんの遺言 その6

早坂茂三さんの遺言6 ふたりのやり取り

早坂茂三さんの遺言 6  ふたりのやり取り


 「あの田中角栄元首相の大物秘書早坂茂三が私と一緒に歩いている」
 早坂さんの巨体がゆっくりと廊下を歩いていくのでした。私はその右脇に半歩下がって歩いていました。ニコニコしながら私に気さくに声を掛けて笑う早坂さんは、テレビや講演で活躍する“政治評論家早坂茂三”には程遠く別人に感じました。

 白川荘の広間のひとつを借り切っての遅い夕食です。上座に早坂さん、その右側に新関寧さん、新関さんの右隣に私が座りました。下座は向かって右側に相澤久美さんと二歳の娘さん、左隣が相澤嘉久治さん、さらに左には相澤事務所の鈴木さんが座りました。

 乾杯もそこそこに、話題は先日行われた衆議院選挙となりました。

 早坂さんは山形県も熟知しているだけあって、自民党や民主党などの政党には関係なく、候補者たちの名前を挙げては投票数からくるそれぞれの候補者の問題点や課題を述べるのでした。

 特に相澤さんの厳しいコメントの一言ひとことに丁寧に感想を加える早坂さん。
ふたりのやり取りを見ていると、早稲田大学の先輩後輩を超えた学生運動で共に闘ってきた者同士でなければ培(つちか)われない関係性であることを感じざるを得ませんでした。

 相澤さんは1954年に早稲田大学に入学し、ここで“先輩早坂茂三さんと出会い”、民科(民主主義科学者協会)早大班での学生運動をとおして、“相澤嘉久治の人間の生き方”を決定付けるほど、影響を与えられた早坂先輩だといいます。ふたりの選挙分析のやり取りにはその関係を実証するものを感じました。

「嘉久治さん、そのとおりだと思うよ。選挙は地盤、看板、カバンというけれど、苦しいときほど地盤は大切だ。あのふたりの二世議員は看板は大丈夫だ。しかし、今回はカバンが行き過ぎての過失だ。それを償い回復するにはどのくらい多くの住民と対話をするかだよ。その結果が選挙に出たといわざる得ないなあ」と山形県のふたりの候補者KとKの主体性について述べる早坂さんでした。

 米沢牛のルーツである飯豊牛のすき焼きにステーキ、岩魚の塩焼きなど次々に出てくる料理とその盛の多さに驚きながら早坂談義は続きます。

 お酒を控えている相澤さんに気を遣いながら、早坂さんはタバコは休みなく吸うのでした。
タバコをかじるようにくわえて、天井を目掛けて煙を吐く早坂さんの横顔には「大丈夫かい……山形県出身の議員さん方よ。天下国家を論ずる前に何か大切なことを忘れていませんか?」と呼び掛けているように私には見えるのでした。

 つづく

 2004年7月25日記

追記 「素晴らしい山形」の再発見を探求する相澤嘉久治さんのホームページ「スペースA」もあわせてご覧ください。
「スペースA」のトップページへ



© Rakuten Group, Inc.