第19回 早坂茂三さんの遺言 その12

早坂茂三さんの遺言 12 ある官僚と野党の協力


 新関寧さんは早坂茂三さんに質問を続けるのでした。

 早坂さんは「いいかいニイゼキさん、よく聞いておくのだよ。」と言ってあぐらを組み直して、隣席の新関さんに近づきました。

 私は早坂さんの傍に置いてあった大きな灰皿に目がいきました。灰皿はタバコの吸殻で山盛りになっていました。私はとっさに空いている灰皿を持ち、早坂さんの灰皿と取り替えました。

「ニイゼキさん、日中国交化はオヤジが総理になる前年の1971年、昭和46年から準備をはじめた。メンバーはオヤジと私、そしてA(当時衆議院議員)の三人で動いた。当時はまだ佐藤栄作首相であり、オヤジも佐藤派に所属していた。佐藤首相は親台湾派の先頭だったから表面上はオヤジも動けなかった。
 しかし、中国の世界に与える影響は大きくなっていた。アメリカも密かに中国との接触を行っていた。オヤジは日本と中国との関係を回復しないことには、将来、アメリカをめぐってたいへんなことになると考えていた。」

「なるほど早坂先生、今の中国の現状をみるとそれがよくわかります」と新関さんが合の手を入れました。

「ニイゼキさん、あのね、あの事件(ロッキード疑惑?)以来、野党は徹底してオヤジを追及したけどね、社会党の佐々木更三元委員長、公明党の竹入(義勝)委員長ら野党の方々もあらゆる人脈と独自ルートを使って中国との国交回復に努力してくれた。」

「えええ……意外でしたねえ」

「オヤジにとって、共産党以外はすべて与党なのだよ。野党のセンセイからの頼まれごとでも、できることは引き受けた。だからオヤジの日中国交関係回復には野党も協力をおしまなかった。同じ自民党の中であっても利害が一致しなければ協力をしてくれない人たちもたくさんいます。政治は現実……そう、リアリズムなのですよ、ニイゼキさん」と早坂さんはしんみりと語りました。

「…………」とうなずく私たちでした。

「当時の外務省中国H課長が密かにことを進めてくれた。彼は外務省きっての中国通で、彼が細部まで計画を立てた。台湾との関係を棚上げし、日米安保条約を堅持しての日中国交正常化を企てた。H課長、オヤジ、A、私の四人で細部まで検討をしていった。この四人以外にこのことは誰も知らない」と早坂さんは声を殺すようにして静かに言いました。

 広い宴会場が静まり返りました。

 しばらくの沈黙のうちに相澤嘉久治さんが声を出しました。
「どうだい、井上くんもご学友も今晩ここでこんな話が聞けるとは思わなかっただろう!?」
 新関さんと私が驚いて緊張している様子を察して、少しでも和らげようとしてのことです。

 私はこれらの歴史証言をしっかり記憶させようと、話し合いに入ることよりも、早坂さんと新関さんの話しのやり取りに集中しようと決めたのでした。

 2004年10月9日記


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