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恋愛の考え方って・・・。

恋愛の考え方って・・・。

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2005.07.16
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カテゴリ:カテゴリ未分類
不倫をするしない。不倫を止める。どれも自分が決めて、自分が行動しなければ起こる状況ではありません。
 「運命」という言葉がありますが、私は信じません。
今自分がいる状況は、全て自分が決めた結果、歩んできた結果だと思ってます。
周りの状況(運命?)に流されて、今自分がいるのだと言うのならば、それは自分が流される事を決めて、流されるように行動してきた結果だと思ってます。
 そしてその周りの環境を作ってきたのも自分自身だと思います。
その環境に至るまで、いくつもの決断(流される人は流されていくという決断)をして行動した結果、その環境に至ったのだから、結局運命は自分が作っていくもので、決められた道のわけがありません。



 ある本で書かれていた面白い文書をそのまま引用します。

ある男が作者に問いかけます。

「人によって状況は全て違うんですよ。妻と私は昔のような気持ちがもうないんです。私は妻を愛していないし、妻も私の事なんかあいしていません。こんな状態で何ができるんですか?」

作者「愛する気持ちをもう失ってしまったんですね」

男「そうです。子供が三人もいるので、とても不安なんです。どうしたらいいのでしょうか?」

作者「奥さんを愛しなさい」

男「ですから、今言ったでしょう。その気持ちはもうないって」

作者「だったら、奥さんを愛すればいいんです。そうした気持ちがないのだったら、それは奥さんを愛するとてもよい理由になりますよ。」

男「でも愛情を感じないとき、どうやって愛すればいいんですか」

作者「愛は動詞である。愛と言う気持ちは、愛と言う行動の結果にすぎない。だから奥さんを愛しなさい。奥さんに奉仕をしなさい。犠牲を払いなさい。彼女の話を聴いてあげなさい。感情を理解してあげなさい。感謝を表しなさい。奥さんを肯定しなさい。そうしてみては、いかがですか?」

 以下、説明・・・

 「世界中すべての偉大な文学において「愛」は動詞として登場する。

反応的な人(環境に流される人)は愛を単なる気持ちとして捉えがちである。

なぜなら、反応的な人は感情や気持ちに支配されているからである。

往々にして映画やテレビの脚本は、人に責任はなく、その時折の感情で動くしかないと、私達に教えている。

しかし、映画の脚本と現実とは違う。

もし行動が感情に支配されているとするならば、それは私達が自らの責任を放棄し、そうさせたからにほかならない。 

 主体的な人(自分で考え行動する人)にとって、愛は動詞である。愛は具体的な行動である。

母親が新しく子供を余に送り出すのと同じように犠牲を払うこと、自分自身をささげる事である。

愛を勉強したければ、他人の為に(特にそれに報いてくれない相手のために)犠牲を払う人達を見ると良い。

子供を持つ親であれば、犠牲を払って育てた子供に対してどれだけ愛を感じるかがよく分かるだろう。

愛は行動によって具現化される価値観である。

主体的な人は感情を価値観に服従させる人である。

愛するという気持ちを失っているとすれば、それを取り返す事ができるのだ。」



本の一部を抜粋させただけなので、さっぱり分からないかもしれませんね。(笑)


 これは、恋愛に限らずですが、親に頼らなければ生きていけない子供は別として、大人になっても今いる状態を外的要因にする人は意外と多い。

ここでキツイ言い方になるかも知れないけれど、「親の不倫のせいで大人になっても本気で恋愛できない」というのを、いつまで理由にするのだろうか?

その理由を引っ張ることで、何ら理想の自分に近づけるのだろうか?

親と自分は別の生き物です。親は不倫をする事を自分で選んだので、あなたを苦しめた。

であれば、あなたは親とは別の選択をする事ができます。

親がそうだったからといって、あなたまで同じ選択をする必要はありません。

誰でも自分の弱さを認めるのは辛い。人のせいや、環境のせいにしたほう自分の心は楽だ。

でも、自分の心を傷つけるのは人にはできません。

同じ言葉を言われても傷つく人とそうじゃない人がいるのはナゼだと思います? 

それは、その言葉を受けて自分で自分の心に傷をつけているから。

自分の心を傷つけるのも、癒すのも、結局は自分自身でしかないのだから。

 親のせいにして、現状から逃げる理由をつけても、結局は自分が追い詰めてきます。

本気になれないのは、自分自身本気になることを恐れているから。

なぜなら嫌われてしまうかもしれない、相手も浮気するかもしれない、自分にはそれだけの魅力がない・・・。そういったことを考えるから。

それらの不安は、親がどうのこうのでなく、誰もが大なり小なり思う事。

たしかに親のせいもあるかもしれないけれど、親のせいにして、今後何か変わるのかな?

親が不倫して、それを知った子供は誰でも同じではないですよね? 

なんで? 

それは親のせいにするのを止め、自分を見つめなおし変わる努力をしたからじゃないのかな。


 人間という動物だけが、本能以外のものにしたがって生きる事ができます。

自分の行動や心を客観的に判断し、目標や夢・幸せな自分になるために、行動することが出来ます。

人間の権利ですよね。 

それを放棄し、本能に従って性欲に励んで結婚してもいろんな人とSEXしている人もいます。

 その人がそれを自分の理想像として行動しているのならば、別に否定はしません。

ただ、それを愛しているから・・・という理由付けするのは、おかしいですよね。 愛は動詞だそうですから。(笑)





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最終更新日  2005.07.16 14:23:57
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